風と共に、3
翌朝、全身の痛みで起きたソフィアは、屋敷内が騒がしいことに気付いた。
誰かが騒いでいるのではなく、声や物音を立てないように気を使いながら忙しなく立ち働いているような。
ワイズリー家の離れの朝の気配に似ている。
懐かしく思いながらベッドから降りると、ソフィアはクローゼットを開けた。
昨日の着替えはお喋りな使用人のセルマの手を借りた。だが、帝国の服もきっと一人で着替えられる。
比較的簡単そうなドレスを見つけたので、それに袖を通した。胸元を紐で縛ってサイズを調整できるなんて素晴らしい。
姿見の前で自分の服装を確認する。問題ない。
ちょうど、部屋の扉が遠慮がちにノックされた。
「どうぞ」
扉を開けて入ってきたのはリサだった。
「おはようございます、リサ様」
「おはようございます、ソフィア姫」
ソフィアはカーテン越し窓の外を見る。太陽はまだ顔を覗かせたばかり。朝も早いのに、リサの顔には疲労感が滲む。
「姫に悪いお知らせがあるんです」
ソフィアは気取られないように息を大きく吸うと、頷いて先を促した。
「昨夜遅くに、王国の方から馬が駆けて来ている、と見張り番から連絡があったんです」
馬車ではなく馬であれば、何かの伝令だろうか。
「ところが、その馬が今朝になってもこちらへ到着しないので、そちらへ向かって旦那様が騎士の方を一人、送ったのです。鞍を着けた馬だけが見つかったそうです。鞍には王国の紋章が刻印されていました」
途中で、何か事故があった、ということか。
その時、扉がけたたましくノックされた。こちらの許可なく開かれる。
「ご無礼をお許しください!」
扉から一歩だけ中に入って、簡素な鎧をつけた男が膝を床につけて頭を下げる。
「リサ様、姫様、たった今、ノラン村の方角から煙が上がっていると報告がありました。馬の得意な者が様子を見に行っております」
「急ぎの報告ありがとう」
リサが労い、ソフィアを見る。
「ソフィア姫、どうされますか?」
「ノラン村へ向かいます」
「分かりました」
リサは部屋に報告に来た男に向かって「私の馬に鞍を用意してください」と頼む。
「かしこまりました」
男はもう一度頭を下げてから出て行った。
「姫様!」
入れ替わりに、使用人のセルマが飛び込んで来る。
「ちょうど良かった。セルマさん、ソフィア姫の身仕度をお願いします。馬で遠出します」
「かしこまりました」
セルマが頭を下げる。
「仕度が終わったら西門へ。私も仕度をします。では、西門で」
リサが出て行く。
リサはソフィアにノラン村に向かう理由を尋ねなかった。
「姫様、さあ、準備をしましょう」
「ええ」
セルマに促されて、部屋へ戻る。
コルセットは着けない。着てきたドレスを着せられて、髪をきちんと結い上げられた。上から埃避けの上衣を羽織る。
「姫様、この土地では年に1度は大なり小なり戦があります。主に相手はゴチク人ですけどね。ですから、戦の気配にはみんな敏感なんですよ」
「そうなの」
「ここでは、男も女もみんな戦います。リサ様も、普段はおっとりしていても、とてもお強いんですよ」
「リサ様も、戦場へ行かれるの?」
「いえいえ。でも、そうですね、山賊やら盗賊やらが出た時には、退治してくれますよ。うちの人が見た時には、リサ様が武器を一振りしただけで、賊が3人も倒れたそうです。旦那様にも認められて、特別の武器も作ったそうです」
多少誇張はあったとしても、それはリサが戦力として領民に認められている証拠だ。異国から来たというリサが、この地に受け入れられていて、自分のことのように嬉しい。体操や乗馬、会話から、リサの不断の努力が感じ取れるからかもしれない。
「姫様、ご無理をされてはいけませんよ? どんなことがあっても、自分の命を最優先にしなきゃいけません。いいですね?」
セルマはまるで、子供に言い聞かせるように、ソフィアの前に立って教える。
「お願いですよ、姫様」
「分かりました。セルマさん、本当に色々ありがとう」
セルマは笑顔で頷いて、ソフィアを先導して歩き出す。途中の厨房から顔を出した人がセルマに何か手渡した。少し大きな鞄2つ。セルマは無言で受け取った。渡した方も、セルマの名前を呼んだだけだ。
戦になりそうな気配で、屋敷内の皆が緊張しているのが分かる。辺境伯も魔術師も姿を見せないのは、彼らが動けば気配どころではなくなるせいだ。彼らが動くのは一番最後。そして動き出せば、最善の結果を最短の時間で得ようとする。それが上に立つ者の勤め。
建物の外に出た瞬間、強い風が顔に吹き付けた。手で目を庇いながら、セルマに続く。
馬の側にリサが見えた。黒い外套を羽織っている。その背中には武器なのか、長い棒を背負っていた。
リサはソフィアをみとめると、馬に股がった。馬上のリサに、セルマは鞄を2つとも渡す。リサは鞄を馬の両側に垂らすように載せた。
「ソフィア姫」
馬の上から手を差しのべられた。厩番らしき少年が走ってきて、馬の側へ踏み台を置いた。ソフィアはそれを踏んで、リサの手を取る。馬の上に引き上げられた。
何とかリサの前に座る。
「風が強いので、もしも火事ならすぐに村全体に火が回るかもしれません。急ぎます」
「はい。お願いします」
ソフィアは覚悟を決めて、そう答えた。