ご令嬢たち7
辺境伯は夜中のうちに早馬を出してくれたらしい。朝食前に起こしに来た使用人からローズからの返事を受け取った。
四つ折りにされた紙を開くと、黒炭で一言『承知』とだけ書かれ、やはり家名なく、『ノラン村のローズ』と署名されていた。
紙もインクも村では貴重な物だ。全てを簡素に済ませているローズに、祖父と同じ潔さと聡明さを感じる。ソフィアにもローズのような聡明さがあれば、このようにあちこちに迷惑を掛けず、あの御者の老人も命を落とすことはなかったのかもしれない。
「さあ、異国の姫様、お召し替えをいたしましょう! 私は使用人のセルマと申します!」
使用人は明るく言って持ってきたワゴンの中から明るい黄色のドレスを取り出した。着たことのない色のドレスだった。
「元はヴィーナス様のドレスなんですが、リサお嬢様のために旦那様が仕立て直されたんですよ。ただ、リサ様の肌の色には合わないので、1度も袖を通されたことがないんです」
ヴィーナスは辺境伯の前の妻の名前だ。置いていった物を、直したとはいえ、次の妻となる女性に渡すのはいかがなものか。いや、帝国ではよくあるのだろうか。ソフィアならちょっと嫌だが、リサは大丈夫なのか。
「お借りするわ」
「ええ、ええ。足りない物は何でもおっしゃってくださいませ! こんな田舎では姫様のお望みの物全ては揃わないかもしれませんが、出来るだけご希望に添えるように努力いたしますよ!」
元気がいい。カレンを思い出し、スカーレットを思い出した。
「姫様?」
「これは帝国では一般的なドレスの形なのかしら?」
「そうですねえ。もっと胸元を広く開けたもののほうが人気はありますね。ただ、リサ様の体型では」
セルマは言い掛けた言葉を飲み込んだ。
だいたい言いたいことは分かる。そして、それがそのまま己に突き刺さるものであることも。
「セルマさぁん! ソフィア姫に他のドレスは必要ですかぁ?」
ドアの外からリサの大声が聞こえてくる。
「どうされます? 他のドレスも試してみます?」
「いえ、こちらを」
「大丈夫だそうです!」
扉を挟んで大声で会話するのは帝国流なのだろうか。
「リサ様!」
別の使用人の声がして、向こう側が静かになる。
「あちゃ、コリーンさんに見つかった」
セルマが自分の額をぴし、と叩いた。
「コリーンさん?」
「女使用人頭なんですけど、厳しいんです。旦那様より厳しいです」
どうしよう、怖い。
「では、姫様、お着替えを」
「お願いします」
踏み台に乗る。セルマはてきぱきとソフィアから寝間着を脱がせると、下着を着けさせ、ドレスを着せる。鏡台の前に座らせてソフィアを帝国の未婚女性の髪型に結い上げてくれた。
「セルマさんはご結婚されてるの?」
「はい! お屋敷には通いで働かせていただいております」
「そうなの。通いなんて朝早くから大変ね」
「家のことは全部夫に任せておりますからね! 問題ないですよ。家で子供の世話をするほうが体が一つでは足りないぐらい大変です」
「お子さんは何人いらっしゃるの?」
「5人ですよ。みーんな女の子。賑やかですよ。一番上が5才で、3才の双子に、1才の双子です」
双子が二組。これは大変そうだ。
「私は元々はヴィーナス様付きの使用人だったんですが、こっちのご飯が美味しくって帝都に戻るのが嫌になって、こっちの人と一緒になったんですよ。ここの野菜を食べたらもう都には帰れませんって」
にこにことたくさんお喋りしてくれる。5人も子供を育てていて、仕事もこなして、凄い。
「姫様も、ご結婚されたら1に体力、2に体力ですよ! しっかり食べてしっかり体を動かす! これが基本ですからね! そして子供が産まれたらとにかくたくさん眠ることです! 私は産んでから3ヶ月ぐらいはずっと寝ていましたよ」
体を動かすことがあまりない。
そういえばリサは自分でウサギを捕りに行っていたようだし、したことはないが、貴族の中ではウサギ狩りやキツネ狩りを行う者もいると言う。
参加すれば多少は体を動かすだろうか。馬に乗れないがまず乗馬から訓練したほうがいいだろうか。
「3ヶ月も寝たら体が動かなくなってしまわない?」
「だから先に体を動かしておくのです。そしたら3ヶ月後に体を動かすようになった時に楽に戻りますよ」
なるほど。勉強になる。
「私の周りでは既婚の女性はあまり外で働かないの。セルマさんのお話、とても勉強になるわ。出産で命を落とす方も多いし、今からとても不安なのよ」
口に出したのは初めてだった。こんなこと口にしたら、モリーやジーナに怒られてまうし、王族の娘として子供を産むことは使命でもある。不覚悟として婚約者失格とされてしまうかもしれない。
「お貴族様では多いですけど、農家の女はあまり出産で亡くなることはないですから、やはりたくさん食べてたくさん動くのが良いと私は思うんですけどねえ」
後でリサに体の動かし方を教わろうと思う。
「おはようございます、ソフィア姫」
食堂に顔を出すと、キアランが優雅にお茶を飲んでいた。
辺境伯の姿はない。リサも辺境伯の息子のルロイの姿も。
「おはようございます」
昨夜と同じ椅子に座ると、セルマがいそいそと食事の仕度を始める。
「レヴィなら朝の鍛練がてらの見回りです。昼前には戻りますよ。ルロイはまだ寝ている時間です。リサはお説教が長引いているようですね」
キアランは肩をすくめる。
「リサ様と辺境伯のご結婚はいつ頃のご予定なのでしょうか?」
「まだまだ先でしょう。
実はリサ様は川で溺れているところをレヴィが拾って屋敷に置いている娘なんです。
最初は言葉も通じない、身元を示す物も何も持たないリサを親元へ返すために私が呼ばれたんです。何しろ言葉が通じませんからね。
それであののろいを掛けて身元だけでもはっきりさせようとしたんですが、事情があり、リサは帰ることが出来ないことが分かったんですよ。それがつい先週のことです」
「そうだったのですか」
「リサは使用人として働くことを希望しているようですが、彼女はろくに仕事が出来ませんから、屋敷に置いておく理由として婚約者を名乗っているんです。
名目上の婚約者ですが、屋敷内ではきちんとした立ち居振舞いが必要ですからね。それで、お説教です」
キアランは楽しそうに話しているが、結構辺境伯家の深みまで話してしまっているのではないか。
もちろん他言する気は全くないが、リサの苦労を思うと胸が重くなる。
「リサ様にドレスをお借りしていますので、そのお礼を言おうと思ったのですが」
「まあ、そのうち来るでしょう。先に食べていても問題ありませんよ」
カトラリーが並べられ、皿に盛られた料理がソフィアの前に置かれた。一人分だろう。
「キアラン様は?」
「実は我慢出来ずに先にいただいたんです。ですから、どうぞ」
寝坊してしまったらしい。いつもなら誰よりも早く目覚めてしまうのに、どうやら自分は疲れていたようだ、とソフィアは今更ながら思った。