ご令嬢たち4
都の中を静かに馬車が歩いていく。速度は遅い。
ソフィアは懐剣を外套の内側に隠すと、手紙を開封した。
いつか見た、スカーレットの字だ。
゛大切な姉上へ
今朝は母上からたくさん怒られたが、我は悪いとは思わぬ。ウォーレン兄上が全部悪い。だから姉上は堂々と戻ってくれば良い。我が許す。
王太子も王宮内で忙殺されておるゆえ、心配はいらぬ。あれの対処は我とマトリョーナ殿で充分じゃ。
さて、言伝ての件、この手紙が姉上に届く頃には、ウォーレン兄上とミランダ殿は客室でお茶をしている頃であろう。姉上の読み通り、最初からウォーレン兄上はミランダ殿に相談する段取りをしていたようだ。内容は確かに伝えたぞ。兄上はかなり渋っておったが、折れてくれた。
だから姉上に一つ頼みたい。
戻ったらすぐに兄上と仲良くしてやってほしい。兄上も頑張っておるので、具体的にはキスをしてやってほしい。あと閨では大胆な下着と゛
ソフィアは手紙を手にしたまま、片手で馬車の窓を閉めた。
誰だ、スカーレットに無用な知恵を授けたのは。
ウォーレンか、王太子か、もしやマトリョーナ様だろうか。
こんな、こんな破廉恥な手紙を幼い姫に書かせるとは。
怒りに手が震える。
何度も深呼吸を繰り返し、気を落ち着けていると、馬車がゆっくりと停車した。
ソフィアは窓を少しだけ開ける。
王都の出入口だ。御者にはあらかじめ侯爵家の通行手形を渡してある。
問題なく出られるはず。
ローズは国境付近の村で暮らしていると聞いた。
ゆっくりと進み出した馬車にほっと一息つく。
ここを抜けると、道はかなり悪くなる。
コルセットをしないことについて周りはあまり良い顔をしないが、都の外の馬車だけは別だ。あのプリシアでさえ、外へ出る日はコルセットを外していた。
ゴッという震動で体が浮き上がり、固い座席に叩きつけられる。慌てて、背中に当てていたクッションをお尻の下に敷く。
舌を噛まないように何か噛んだほうが良いだろうか。
ローズに渡すための花束を確認する。足元に木箱を置き、中に横たえてある。花束は無事だ。箱の底にはローズに似合いそうなちょっとした髪飾りが、分厚い布に厳重に包まれて入れてある。
自分の髪に使っても良いし、娘がいるなら、娘の嫁入りの時に持たせても良い。生活に困ったら売ることも出来る。
こういう時、装飾品というのは便利だ。
男性相手だと、宝石類のついたきらびやかな剣帯だったり、持ちにくそうな羽ペンになったりする。
ローズが再婚したこと、タルヴィティエ王国の東の端、エカテリア帝国との国境の村に暮らしていること。
祖父から聞いた話はそれぐらいだ。
祖父の話を疑っているわけではない。
ただ、祖父とソフィアの間にいるであろう『ソフィアを王家の弱点にしようとする何者』かを、このままにしておくわけにはいかない。
これは侯爵家の威信と自身の価値をかけた、ソフィアの賭けだ。
これを手柄として、ソフィアはウォーレンに嫁ぐ。軍人の妻として、次期王弟の妃として。
どうしようもないただのご令嬢ではなく、国に冠たる王族の一員として、認めてもらうのだ。
そして、きっと皆から『奥様』と呼んでもらうのだ。
こんなことお嬢様では出来ない。さすが奥様。
他に人がいないことをいいことに、ソフィアはにやにやと明るい未来を想像する。
すぐに酷い揺れに頭を背もたれにぶつけて、顔をしかめるのだが。
こんな道程があと半日は続く予定だ。
揺れが酷いため本も読めない。今は一人だが、たとえ同行者がいても会話もままならない。
国内の道の舗装を行ってほしいが、観光地でもない片田舎へ続く細い道など、どうしても後回しになってしまう。
恐らく前の戦の時も、兵士達は似たような道を行軍したはずだ。道がよくなれば行軍日数も少なくなるし、馬にも人にも都合が良い。急務として陛下に進言してみようか、とも思う。
ただ、この悪路が、敵の進軍を阻むものだとしたら、それはそれで意味のあることでもある。その場合、考えたくはないが、ローズのいる村は見放された場所として、認識されていることになるのだが。
悪路のせいではない揺れが馬車を襲う。馬の嘶きと、御者の悲鳴。
ソフィアは窓を閉めると耳を塞ぎ、座席の下で体を丸くした。
来てしまった。
最悪の事態だ。
矢が、何本も撃ち込まれている。そのうちの1本が、屋根から刃を覗かせた。衝撃は進路左上から伝わる。
ソフィアは右側の扉を細く開けた。ソフィアの足2つ分ほどの幅の先は断崖。見える景色から、地面はソフィアの身丈よりもずっと低い場所にありそうだ。
ソフィアはそろそろと馬車から出ると、まず御者の様子を確認した。
矢が体中に刺さって倒れている。
目を見開いたまま微動だにしない様子から、絶命していると判断した。
唇を噛んで涙を堪える。
馬は無事だ。ソフィアは上に注意を向けながら、そっと手綱を御者の手から外す。
馬は手綱が弛んだことに気付いたのか、首を大きく振る。
風を切り裂く矢の音。
馬が後ろ足で立ち上がる。
馬車の屋根に何本もの矢が撃ち込まれて、炎が上がる。火矢だ。
ソフィアの命を考えていない手に、自分の考えの甘さを思い知る。そこまでして、ソフィアをウォーレンの妻にしたくない者がいるとは。
熱さに驚いた馬が走りだそうとする。だが、馬と馬車を繋いだままのロープが邪魔をして、前に進めない。
ソフィアは手綱を握りしめたまま、崖のぎりぎりを歩いて馬の前に回った。
「落ち着きなさい!」
人語が馬に通じるとは思っていないが、あまりに暴れるので思わず言ってしまう。
ロープを切ろうと懐剣の刃先を当てる。さすが王家御用達。紙を切るようにすぱっとロープが切れた。
馬と目があった。
馬が前足を折り畳む。
ソフィアは馬の背に跨がった。ソフィアが合図するまでもなく、馬が走り出す。
貴族の嗜みとして、乗馬はしたことがある。したことがあるだけで、出来るわけではないし、鞍も着けない馬に乗ったことなどない。
馬の首に抱きつくように、長い手綱を手に巻き付けるように握りしめ、ソフィアは目を閉じていた。
耳元で風が唸る。馬は駆け続ける。
どれほどそうしていただろうか。
穏やかな風に目を開けた。
馬は駆け足をやめ、ゆっくりと歩を進めている。下は草が生えており、馬の足音が幾分小さく柔らかい。
顔を上げて辺りを見回す。
森の中だ。馬は道を走らずに身を隠せる場所を求めたのかもしれない。
おかげで今、自分がどこにいるか分からなくなってしまった。
馬が足を止め、膝を折った。ソフィアは馬の背から降りる。
馬はまたゆるりとした速度で歩くと、泉の縁で立ち止まった。匂いを確認して、水を飲み出す。
ソフィアも用心しながら水に手を浸す。冷たい。口に含んでみる。飲み込むと、喉が渇いていることに気付き、何度も手ですくっては水を飲んだ。
一心地ついて、改めて辺りを確認する。
森の中。
馬は草を食んでいる。
薄暗さが木々の影のせいだけでないことに気付き、ぞっとした。
太陽が見当たらない。空の色が紫から紺へ変わりつつある。
屋敷からあまり出ないソフィアでも、さすがに夜の森の中がいかに危険かは想像に難くない。
肉食の獣や盗賊達がどこに潜んでいるか分からない。土地勘のない場所なら特に。
森から出なくては、とソフィアは木々の向こうへ目をこらす。だが、道らしきものは見つからない。
歩き回って道を探すべきか、それともここで覚悟を決めて一晩明かすか。体力がないソフィアにしてみればどちらも危険には違いない。
馬が草を食むのを止め、遠くを見るような仕種をした。
ソフィアは馬の手綱を握り締め、馬に寄り添う。
人の話し声がして、足音が近づいてくる。
身を固くしたソフィアの前に馬を引いた少女が姿を現した。
連れているのは立派な体躯の馬。
女の肌の色が黄色がかっていて、タルヴィティエ王国ではあまり見掛けない彫りの浅い幼い顔立ちをしている。着ている服は見たことのない形をしているが、使われているのは上質な布。
「あの、道をお尋ねしたいのですが」
勇気を振り絞って声をかけた。
「あー、あ、エカてリあ公用語ヲ話せ、ますか?」
女からそんな異国の言葉が返ってきて、ソフィアは泣きそうになった。近隣国の言葉は大抵話せる。勉強してきて、本当に良かった。
「話せます。ここは、どこですか?」
「ここはエカテリア帝国、西の辺境、オスカ領です」
オスカ領であれば、ローズのいる村とわずかに端を接している。そこまで遠くに来てしまったわけではないらしい。
「あなたは、帝国の方ですか?」
「私は、タルヴィティエ王国の者です。ノランの村に行く途中で賊に襲われ、ここまで逃げてきたのです」
「たる、ヴィティえ、王国のかた。とりあえず、うちへどうぞ」
少女は言って、にこりと笑顔を浮かべた。