王宮での生活1
通された部屋は居室と寝室の二間続きになっていた。屋敷の離れにあるソフィアの部屋など、この居室の半分ほどしかないのに、これは一人部屋なのだと言う。
柔らかい色調で統一されている居室は、ソファとローテーブルのセットが部屋の手前に、食事の出来るテーブルと椅子2脚のセットが部屋の中央、書き物をする机と椅子が窓際に、辞典が置いてある本棚が机の側にある贅沢な空間になっている。
「こちらの本は全て、殿下のお部屋にお運びしてよろしいでしょうか」
クリスが抱えていた本を示して言う。
「いや、その本棚に置いてくれ。ここでしか読まない」
「かしこまりました」
クリスが本棚を整理している間、ウォーレンはソフィアの手を引いてソファに座らせ、自分もその隣に腰を下ろした。
ぴったりと身を寄せて手を握ってくるウォーレンをどうしていいか分からず、ソフィアは姿勢を正して前を向いていた。
部屋の戸がノックされ、クリスが戸に近寄る。
戸を細く開けて、クリスは何かボソボソと話していたが、こちらにやって来ると「侍女の入室許可をお願いいたします」と頭を下げた。
「許す」
クリスが一礼して戸を開けると、手にドレスを持った侍女が3人と、身支度を整える道具を載せたワゴンを押した侍女が1人、入って来た。
ワゴンを押しているのがカレンだと気付いてソフィアは嬉しくなり、にこりと笑った。
「ソフィア様のお着替えをお持ちしました」
ソフィアが立ち上がる前にウォーレンが立ち上がり、侍女達に近寄る。
侍女が持ってきたドレスは3着で、今ソフィアが来ているドレスと似た淡い緑色のドレス、淡い桃色のドレスと、濃い赤色のドレスだった。
ウォーレンは赤色のドレスを手に取ると大きく広げて、ソフィアに見せた。
「こんな色も似合いそうだな」
自分では選んだことのない色で戸惑うが、ここはウォーレンに任せよう、とソフィアは頷いた。
「これで」
ウォーレンはドレスを侍女に返す。ソフィアは侍女達に連れられて寝室へと足を踏み入れた。
大きなベッドとナイトテーブルがあり、化粧台と姿見が据え付けられている。
そして、窓際に丸テーブルと椅子が2脚。
一人部屋だと聞いたが、何故椅子が2脚ずつあるのだろうか。1脚だと左右対称にならないからだろうか。
この国は左右対称が美しいとされる風潮があるから、きっとそうだ。しかし、椅子が向かい合わせでなく、直角になるように置いてあっては左右対称でなくなるし、それは美しくないのではないか。
そんなことを考えている間に、侍女達はソフィアの着ていたドレスを脱がせてしまい、下着姿にしてしまった。
そこで侍女全員が手を止めてしまった。
何かおかしいだろうか、とソフィアは自分の姿を見下ろす。
普段通りだ。コルセットも緩んでいないし、付けるものは付けている。もしや、ソフィアの知らない何かが足りないのだろうか。
「ソフィアお嬢様」
侍女達は頭を寄せて何か話していたが、カレンが代表してやって来る。
「なあに、カレン」
「侯爵様のお屋敷で、きちんとお食事は摂られておられますか?」
侍女達の視線はソフィアの胸に主に集中している。
ソフィアは真っ赤になって俯いた。
モリーと侯爵が心配していたことが現実になってしまったのだ。
恥ずかしさのあまり、涙まで溢れてきて、それが更にソフィアを惨めにする。
「ああ、お嬢様、いけません、泣くようなことは何もありませんよ。お嬢様がお元気で、おいしいものをたくさんお食べになっておられるなら、結果は関係ありませんからね。困ったことなんて何もありませんとも。ほら、顔を上げてください」
「本当に? 本当に問題ないと思う?」
ぐずぐずと鼻を鳴らすのはみっともないと分かっているが、ソフィアはカレンに聞き返さずにいられなかった。
「ええ、大丈夫ですよ。ですから、こちらへ座って、お化粧を直しましょう」
カレンはソフィアの手を引いて化粧台の前に座らせる。
実はその二人のやり取りの後ろで、裁縫の得意な侍女が、赤色のドレスの胸を必死に手直ししているのだが、泣いているソフィアは気付かなかった。
「ほら、お嬢様。紅は何色にしましょうか?」
カレンが言えば、隣の侍女がすかさず、
「ソフィア様はお色が白くいらっしゃいますから、どんなお色でもお似合いになりますよ。明るめの桃色も素敵ですよ」
と、たくさんの紅の中から、淡い桃色の口紅を取り出す。
本当は、先程お手洗いで遭遇した侍女達が、あらかじめソフィアに似合いそうな色味だけを揃えてワゴンに載せてあるのだが、やはり涙を抑えるのに必死なソフィアはそのことにも気付かなかった。
「どうして私、胸が大きくならないのかしら。いつもお腹一杯食べているのに」
まさかこんなところでそれを指摘されると思っていなかったソフィアの衝撃は大きい。
「どうしてでしょうねえ。でもそんなことは大したことありませんよ。ソフィアお嬢様はいつもニコニコされていれば、それで良いのですから」
「でも、プリシア様にいつも言われるのよ、貧相な娘だって。侯爵令嬢にふさわしくないって」
「プリシア様の言うことに耳を貸しちゃいけませんよ、ソフィアお嬢様。あの方はお嬢様の美しさに嫉妬しておられるだけなんですから」
「嫉妬? そんなの、おかしいわ。プリシア様はあんなに女性らしくて」
プリシアの好む、豊かな胸を見せつけるような胸元が大きく開いたドレスはソフィアの憧れだった。
だが、ミシェルは絶対にそれを許してくれない。首もとまでしっかりと覆われるホルダーネックか、鎖骨や肩は見えるが、胸元が隠れるボートネック。丸襟でも小さめ、スクエアタイプも小さめ。とにかく、何もかも小さめに作られてしまう。
「大きければ良いってもんではありませんよ、お嬢様」
そう言うカレンは、背も高いが、胸も大きい。そんな人にソフィアの気持ちは分からないと思う。
ソフィアは完全に拗ねていた。
恐らく、カレンの存在がソフィアを子供に戻してしまったのだろう。
扉が居室側から控えめにノックされた。
「ジーナ、まだですか?」
クリスの声が、若干イライラとして聞こえる。
「は、はい、もうすぐです。今しばらくお待ちください」
カレンの側で、ソフィアから繕い物をしている侍女が見えないように立っていた侍女が答える。
「あ、お嬢様、いけません、まだ目を開けないでくださいまし。余分な粉を落としてしまいますから」
カレンに言われて目を閉じているソフィアに部屋の様子は分からない。
繕い物係の侍女が、ジーナという筆頭侍女に頷いてみせる。ジーナはほっと息をついて、口を開いた。
「ソフィア様、もう目を開けていただいて大丈夫ですよ。急がせて申し訳ありませんが、次はこちらへ」
ソフィアは素直に立ち上がり、ドレスを着せられる。
姿見に映る自分を見て、いつも着ないドレスの色に違和感は感じたものの、おかしくはないと思う。
「どこか気になる点はございますか?」
ジーナが前に進み出て尋ねる。ソフィアは首を横に振り、大丈夫、と答えた。振り返って仕度を整えてくれた4人の侍女に「ありがとうございます。お世話になりました」と頭を下げる。
「ソフィア様、わたくしどもに敬語は結構でございます。何なりとご命令くださいまし」
命令するのは難しいわ、とソフィアは困ってしまう。
モリーに接するようにしたら良いのかしら。
「そう、なの。分かったわ。ありがとう、みんな」
モリーにするように、モリーにするように、とソフィアは念じながら侍女達に笑顔を向けて、カレンに2回頷いてもらい、ソフィアはジーナに先導されて居室に入った。
ソファに座っていたウォーレンが弾かれたように立ち上がり、しばしの間、ソフィアに見入った。
それを確認したクリスはジーナに合図すると侍女達は黙礼して部屋を出て行き、クリスも最後にソフィアを見た後、頭を下げて部屋を出ていった。