初めての舞踏会
ソフィアは辺りを見回して、誰もいないことを確認すると、ため息を一つついた。
夜空は生憎の曇りで、月も星も見えない。それがソフィアの気持ちを映しているようで、また気が滅入る。
バルコニーの手摺にオレンジの果実酒の入ったグラスを置くと、ソフィアは小さく身震いする。夜会の正装はうなじから背中を出すことが決まりであるため、ソフィアもそうしているが、どうにも寒くていけない。
賑やかな音楽と人のざわめきが小さく聞こえる。今日は国王陛下と王妃陛下の成婚25周年を祝う記念舞踏会だった。
この日のために、異母妹のオーネリーはドレスを30着も試着して、13着作らせた。前日までどれを着るか悩んだ挙げ句、ソフィアが着て行こうとしていたお気に入りのドレスをかっさらっていってしまった。ソフィアは慌てて、2年前に作ってもらったが着る機会のなかったドレスを持って、懇意にしている服飾職人を訪ね、手直しをしてもらい(手が足りないので使用人のモリーと一緒にソフィアも裁縫を手伝った)、間に合わせたのだ。
皆が頑張ってくれたのに、これではドレスが泣いてしまうわね、とソフィアは申し訳なく思う。
1曲しか踊っていないのに、もう逃げてきてしまったのだ。
踊ってくれた男性は公爵家の三男で優しそうな人だったのに、踊りながら楽しい会話の一つも出来なかったソフィアに呆れたのか、曲が終わるとすぐにソフィアに飲み物を手渡して踊りの輪から出てしまい、無言でソフィアの隣で次の相手を探すように会場のあちこちに視線を走らせ始めてしまった。
その態度に居たたまれなくなって、ソフィアは誘ってくれた礼を言って簡単な挨拶をすると外へ出て来てしまったのだ。
――きっとモリーが怒るわ。それにミシェルはもうドレスを作ってくれないかも。
使用人と職人の顔を思い浮かべると、ソフィアの目尻に涙が浮かぶ。情けないし、申し訳ない。
だが、侯爵夫妻は怒らないだろう。
父親であるワイズリー侯爵は、ソフィアの異母妹・オーネリーを売り出す為に、ソフィアの社交会デビューを2年遅らせるほどオーネリーを溺愛している。ソフィアのことはオーネリーのおまけに数えているようだから、今更ソフィアが舞踏会で失敗しようが、それで婚期が遅れようが気にしないのだろう。
母の違う妹は、ソフィアとは正反対の、人懐っこく明るい性格で、誰からも愛されている。特に彼女の母親のプリシアはオーネリーを溺愛していて、彼女を美しく飾るために実家である子爵家の財産をかなり食い潰してしまったと噂(というか陰口)で聞いた。
ソフィアを産んだ母親であるローズは庶子の出だ。侯爵と彼女は珍しく恋愛結婚だったというから、結婚当初は仲も良かったのだろうが、ローズがソフィアを身籠ってすぐに、侯爵が妾をとったことが原因で、ソフィアを産んで侯爵家を出た。
庶子は一夫一婦が多いから、妾が妻と同じテーブルで食事を取ることに抵抗があったのかもしれない。
離婚が成立して数年後、彼女は自分と同じ庶子の男性と再婚した。今は幸せに暮らしているらしい、とソフィアはローズの父親に聞いた。
ソフィアから見ると祖父になるその人物は、前の戦で活躍した将軍で、庶子の出ながら男爵位を得て、現役を退いた今は指南役として王宮にも出入りしているらしい。
ソフィアが今日の舞踏会に出ることを伝えたら、祝いに1曲踊ってくれると約束してくれたが、会場に祖父の姿はなく、それがソフィアの気分をまた暗くしている。
仕事で遅くなっているかもしれないのだから、と自分に言い聞かせてみるものの、もしかしたら嫌われてしまったのか、それともこのドレスがいけなかったのか、悪い方へばかり考えが行ってしまう。
ソフィアが何度目かも分からないため息を空へ逃がしていると、背後が急に明るくなった。
何事かと振り向き、そこに一人の若い男性の姿を認めた瞬間、ソフィアは深く膝を折り、貴族の女性に認められた最敬礼をとった。
国王夫妻の子・ウォーレン王子が立っていたのである。