俺は高桜紅実が本当に謎に思える
人生初だ。他人にこんな風に正面切って指を指されるのは。
「短刀直入に申し上げます。秋津川 蒼真さん。貴方、呪われています」
「は?」
真剣な表情で俺に言うのは、同じ学年の女子生徒。
日本人形のような黒髪美人で、うちの学年の名物生徒の一人だっけ。えっと…名前は。
「あ、申し遅れました。私、高桜 紅実と申します」
そう言って礼儀正しくお辞儀する女子生徒。
ああ、そうだ。高桜紅実。うちの学年じゃ有名な、オカルト姫だ。
「早速ですが、祓わせて戴いても、宜しいでしょうか?」
そう言って、高桜さんは小首を傾げた。
…どうしたものか。
何て言ったって、ここはお昼休みの食堂。
最近怒濤の仕事ラッシュにより埋もれるかと思ったけど、所属している生徒会の仕事をなんとか片付け、久しぶりに食堂で食べられる…と、生徒会の同僚の蘭条潮と来たところでだった。
潮は既に席に着いている。
ギャラリーの目も気になるし。
ていうか、祓わせろって何だ。
「嗚呼、そうでした。今直ぐに返事を要求するなど、淑女のたしなみに欠けておりました。では、後程」
一切表情を変えずに淡々と言うと、高桜さんはクルリと踵を返し、振り返らずに歩いて行った。
…何なんだ、あの人は。
「紅実、何かした?」
席に着くと、潮が問い掛けて来た。
…知り合いか。
助けてよ、そこは。
「知り合いだったの」
「ん。幼馴染み」
…助けろよ!!
そんな俺の心情にもお構い無しに、潮はデフォルトの無表情で味噌汁を吸っている。
分かってるけどね、そういう奴だってことは。
「高桜さん、誰にでもああ言ってるの?呪われてるとかどうとか」
俺が問うと、潮は相変わらず、ホントに考えてるのかと聞きたくなるような無表情でうーんと考えてから、首を横に振った。
「紅実が忠告するのは、」
「やっぷー!ねぇ、さっき、紅実リンに言われてた!?ねーえどうなの、アッキー!」
うるさっ。頭に響きそうな声で叫ぶなっ。
俺は潮の声を遮った声の主を睨んだ。
そいつは全く反省の色を見せずにニコッと笑った。
「汐梨、しー」
潮が口に人指し指を当てて注意した。
それを見て、そいつもまた口に人指し指を当てて頷いた。
「ごめんね潮ー。でも嬉くって。まさかあの紅実リンがねえ」
そう言ってニヤニヤと俺を見る。ムカツク。
こいつは、蘭条 汐梨。潮の双子の妹である。
常に無表情で無口な潮と、常に笑顔で煩い汐梨。
二卵性で、さほど似てはいない。
だが、たまに以心伝心としか思えない卓越したコンビネーションを発揮する。
因みに、汐梨は風紀副委員長である。何故だ。
「君らの幼馴染みか…。それは、確かに普通じゃないよね」
俺は溜め息まじりに二人を見遣った。
すると、二人は顔を見合わせてから、揃って俺をどついてきた。
「アッキー、私らを何と思っているの」
「うちの学年の名物生徒の双子」
「「酷い」」
メソメソとあからさまな泣き真似をし、汐梨はこちらをジトッと見た。うざい。
潮に至っては主菜の鮭のムニエルに入ったようで、それを黙々と食べている。
「紅実リンはね、百発百中の占い姫なんだよ。おうちも神職の家系でね。私も試合の日に紅実リンにお守り貰うようになってから、怪我とは無縁だしー」
さっさと復活した汐梨はそう言って、俺をニヤニヤと見た。
そう言えば、汐梨はテニス部だっけ。
そして、ポケットから可愛いとは言えない不細工なクマらしきもののマスコットを取り出した。
「じゃじゃーん!!」
「…」
「羨ましいなんて言っても、あげないもんねっ」
いや、要らんがな。…ヤバイ、口調崩れた。
「それ、クマ?」
「ううん、ライオン!」
「…それが?」
ライオンと言えば、立派なフサフサのたてがみが一番に思い当たるが、それが無い。
いや、確かにたてがみがあるのは雄だけで、雌はたてがみが無い。
それくらいは分かる。でも、なんで敢えて雌?
「ライオンの雌?」
「ううん、雄!」
嘘だろう!!
折角納得してやったのに、なんでそうなるのさ!?
「たてがみは?」
汐梨に突っ込んでも体力の無駄だということを、残念ながら俺はよく知っている。
潮も聞くに徹しているし。
だから、真面目に聞き返してやった。
「これは紅実リンからの怪我防止のおまじないだからね!」
そう得意気に言った汐梨を見て、思った。
はて。怪我防止、つまりは怪我が無いようにというおまじない…。怪我無い《けがない》、毛が無い。…ダジャレかいっ!?
「可愛いでしょー?紅実リンてば、本当に天然ちゃんでさ」
脱力した俺とは真逆に、汐梨は不細工なマスコット(ライオン)をそれはそれは愛しそうに見ていた。
天然なんて聞こえは宜しいけど、要はあんな感じなんでしょ!?
面倒なのは嫌いなんだよね、俺。
別に人として嫌とかじゃなくて、関わるのがね。
「多分、紅実はまたアキの所に行くよね」
それまで傍観していた潮がポツリと言った。
「え」
「また来るって、言ってなかった?」
「そう言えば言っていた…」
俺はガクリと項垂れた。そんな俺を、蘭条兄妹は楽しげに見ていたのを、俺は知らない。
高桜紅実と言えば、俺からのイメージは変人に尽きる。
切り揃えられた黒髪や、凛とした佇まいは、姫そのものだが、その正体は根っからのオカルトオタク。
それでついたあだ名はオカルト姫。
彼女の伝説は真偽が計り知れない。
毎朝、裏庭で祈祷をしてから教室に入るとか、誰にでも清めの塩を吹っ掛けるだとか。
所謂残念な美少女。
男子生徒からは完全に観賞用にされている。それくらいは、あまり友人を作らない俺でも知っている。
俺自身、他人との付き合いは狭い。
じゃあ何で生徒会なんて入っているのかって、それは外面だけは良いから。
下手に不真面目に振る舞うより、外面取り繕う方が、よっぽど生きやすい。
これが俺の持論。
よって、クラスメイトや教師には品行方正な優等生を演じている。
そして、約束通りにその日の放課後、高桜紅実はやって来た。
…自作の呪い人形と共に。
「ねえ、高桜さん」
「はい、何でしょうか。秋津川さん」
「その、持っているものは何かな?」
俺はあくまで自然に、高桜さんの抱き抱えてる日本人形風な女の子のぬいぐるみについて訊いた。
見た目はファンシーなぬいぐるみ。
真っ赤な振り袖に、眼にはキラキラ輝く綺麗な石が縫われている。
所々、縫い目が雑だけど。
汐梨のライオンのマスコットといい、彼女が不器用なことを証明してくれる。
「護り人形です。これを部屋に於て毎朝話しかけてあげてください。災いを跳ね返す力が得られます」
どんな羞恥プレイだ!!
護り人形だというそれは、呪い人形にしか見えなくなってきた。
この人は一体俺に何をしたいんだろうか…。
「あのさ…悪いけど、俺、あんまりそういうオカルトチックなこと、信じてないんだよね。だから、」
「この人形は、私が三日三晩かけて祈祷し縫い合わせた傑作なのです」
聞けよ!!勝手な奴だな!?
内心は苛立ちでいっぱいなんだけど、必死に耐えて高桜さんの出方を待っていた。
なのに、暫く高桜さんは話そうとしなかった。
そして、小首を傾げて曰く。
「…?何か話さないのですか?さっき、何か言いかけておられましたよね?」
「~~~っ」
俺は噴火しそうな頭を必死に自制して、引き攣った笑みを浮かべた。
さっきも思ったけど、想像以上だ。
なんて勝手なんだ、オイ。
そう来たか!!
「どうぞ」
高桜さんは、俺に呪い人形を差し出した。
…正直、欲しくない。
ていうか、全力で拒否したい。
お金を払ってもいいから、貰いたくない。
でも、ここは放課後の教室。
生徒会所属の俺、学年でも有名人な高桜さん。
高桜さんは、変人だけど美少女。
そこらの女子より頭一つ分くらい小さい。
大人しくしていれば、小動物のような庇護欲をそそる外見、らしい。
確かに奇行のせいで男子からは遠巻きにされているが、世話焼きな女子らには人気者。
じっと俺を見上げる高桜さん。
固唾を飲んで見守るクラスメイト。
「…ありがとう」
俺は、負けた。
ファンシーで不細工な呪い人形を受け取り、ガックリと項垂れたのだった。
***
「アハハハハッ」
「傑作!!」
机をバンバン叩きながら笑う若干二名を、俺は睨んだ。
そんな俺の机の上には、さっき高桜さんがくれた呪い人形が乗っている。
自分に似合わないことくらい分かっている。
ていうか、欲しかった訳じゃないし。
「副会長も汐梨も…そろそろ蒼真が怒る」
ポツリと呟かれた潮の救いの言葉により、小さくはなるが堪えきれないと言わんばかりに未だ続く笑い声にイライラする。
机の上の紅茶の入ったカップには、ムスッとした顔の男の顔が映っている。
「やだーちょっとアッキー怒んないでよ。可愛いよ、うん。私はアリだと思うよ」
汐梨が慌てたようにフォローらしきものをする。
ひーひー言いながら言われても、全く心に届かないから。
俺はこいつらどうしてくれようかと頭の中で算段をたてる。
そんな時、生徒会室の扉が開いた。
「悪い、遅れた。って…何だこれ」
入ってきた会長は、笑い転げる副会長と汐梨を見て、訝しげな表情をした。
そして、潮の顔を見て何かを察したような表情をし、俺の顔を見て顔を引き釣らせた。
俺はムスッとしたまま、目の前の呪い人形を睨んだ。
コイツ…。凄くボコりたい。
分かってる、彼女に悪気はない。寧ろこれは厚意だ。
これでも秋津川はこの金持ちボンボンの通う学校で、生徒会に入れるくらいの規模はある。
一応その跡取り息子な訳だから、俺はおべっかまみれの幼少期を送っている。
そのせいでこんな可愛いげのない性格になったが、人を見る目は養われた。
高桜さんは、潮や汐梨と同じ。
俺の後ろに興味はない。
俺自身にしか興味がない。
例えそれが彼女の奇特な趣味によるものだとしても。
「ハァ…純粋な厚意が一番困る。突っぱねたら完全にこっちが悪者じゃん」
溜め息と共に俺は机に突っ伏した。あぁ、どうしようかな。重要な案件仕上げて、今頃はのんびり紅茶でも飲みながら小さな案件を仕上げるだけだったのに。
相談…出来る奴は今回は居なさそうだ。
チラリと生徒会室に居るメンバーの面々を見て思った。
副会長と汐梨はからかわれて終わるのみ。
潮は頑張ってくれるだろうけど、人付き合いに関しては弱いから無理。
会長はヘタレだから却下。
はい、全滅。使えないな、この人ら。
「呪われてるとか言われたけど…寧ろ彼女に呪われているような気がしてならない」
「アッキーめちゃくちゃへばってるねえ」
突っ伏した俺の頭を、汐梨がちょいちょいとつついた。
そして、呪い人形を抱き上げた。
「この子、持ち歩くのも大変だし、ここのアッキーの机の上に置いとこうよー。紅実リンに見守られてのお仕事なんて、羨ましいくらいだよね」
ヘラリと笑って、汐梨は言った。
その様子を見て、高桜さんは相当汐梨に好かれているんだなと分かる。
いつも煩いコイツだって、本質は俺と変わらない。
蘭条家って言ったら、世界に名だたる名家の一つ。
こいつらとは初等部からの付き合いだけど、初めて会った頃のこいつらはもう少し冷たさがあった。
そんな頃から認めていた幼馴染みなんだから、高桜さんが其処らのお嬢さんたちと一緒にしちゃいけないのは分かる。
…でも、疲れるんだよなあ。ぶっちゃけ。
***
数日後。朝。
「おはようございます。秋津川さん。教室まで護衛させて頂きます」
校門前で、俺が車を降りると何故か高桜さんが居た。
因みに俺は驚かない。
ここ最近、毎日これだからね!
どうやら俺の業は深いらしい。
まだ俺にかかる呪いは解けていないようだ。
この毎朝のお出迎えに加えて、お昼休みの除霊(という名の一緒にランチ)や、時折突然現れて清めの塩をかけてきたり。
自分の机に魔方陣らしきものが貼られていた時には新手の苛めかと思った。
しかも剥がしやすいシールタイプ。
そこに気を遣うなら寧ろするな!!
違うクラスだからまだ良いものを、同じクラスだったら…ぞっとする。
しかも、生徒会の秋津川がオカルト姫の呪いにかかっているという、完全には否定出来ない噂が流れてるし。
そして、今日もまた。
「秋津川さん、今日の貴方は教室への方向は凶と出ています。管理棟を回って行きましょう」
「うん?」
これ、いつものことだから。
結構管理棟とかグラウンドとか回って行くよ。
方違え(かたたがえ)って言うんだよね、陰陽道の俗信の一つ。
古文とかの授業でたまに出るやつ。
でも、方違えって宿泊しないといけないんじゃなかったっけ…?
まぁいいや。高桜流なんでしょ、多分。
靴を履き替えて振り返ると…塩を手に周囲を警戒する高桜さんが居た。
もうヤダ、この人。なんでこういうことしてるの。
「私は風紀委員ですので、この学校も邪から守らなければならないのです」
いや、別に聞いてないけど。
…心読んだ?てか、え?
風紀委員?
「風紀委員なの!?」
「平ですが、一応」
真顔で胸を貼られても…。
ああでも、エッヘンって感じだ、コレ。
ていうか、風紀委員なんだ…。
生徒会だけど、確かに平委員の顔全部は知らないなあ。
「そうなんだ…」
「そうなのです」
まだエッヘンポーズの高桜さんを横目で見てから、ばれないようにこっそり溜め息を吐いた。
風紀委員って言うと、生徒会と並ぶ組織の一つ。
例えるなら、生徒会が内閣、風紀委員会は司法かな。ただ一つ言えるのは、風紀委員会ってのは、文武両道な逸材の集まる場所ってこと。
生徒会に求められるのは、主にカリスマ。
このボンボンたちの学校の生徒は外部生の特待生くらいしか、一般家庭出身者は居ない。
皆、ご家族に大事に大事に、ある程度は特別な扱いを受けて育ってきた奴らばっかり。
つまり、プライドはチョー高い。
自分よりも低い家格の奴らを見下す馬鹿が居るくらいに。
因みにそういうのは、ご法度で、みっともない行為の一つとされているから、そんなのやるのは、あんまりウチの常識を理解されて居られない成り上がりとかばっかだけど。
まぁ、そんな奴らも従えられるのが、家格マックス、勉学良しな奴ら。 で、俺。
あ、ナルシストじゃないから。
家格だと、うちの秋津川は色々複雑な家柄だけど、古くから続く名家だし。
俺はこの学園だと上の上の家格だけど、会長はマックス。もはや王。
潮と副会長は同じくらいかな。
つまり、成金君くらいなら話も聞かずにペイッと出来ちゃうわけ。
いや、しないけど。後が怖いから。そんなのするの、馬鹿だけだから。
で、それに対して風紀委員会の選抜基準は例外も有るけど主に三つ。
一つは生徒会と同じく家柄。言うこと聞かないアホへの最後の手段ね。口先回ると尚よし。
二つは武道の心得があること。喧嘩の仲裁に入れるから。
三つは情報通。情報戦こそ現代社会での最も大きな戦いの一つ。
この三つのうちどれかに当てはまれば、風紀委員会には入ることが可能だ。
ただし、これは完全勧誘制。
風紀委員長の推薦のみが所属できるかどうかを決める。
で、その推薦を貰ったと。…高桜さんが。
まぁ、汐梨が風紀副委員長だし、そっちの流れがあっても仕方ないんだけど。
高桜さんって、何に特化してるの?
家格は、高桜っていうと確かに上流階級で一般から見れば雲の上の人だけど、この学校でなら中の上くらい。
武道…は、見た目が小動物な彼女には些か無理じゃないかな。
情報通…って、人脈とかを指すんだけど…。
まぁ、女子からの人気は高いし、案外そうなのかも。
「着きました」
「あ、うん。ありがとう」
俺の教室の前で、高桜さんは立ち止まった。
俺が礼を言うと、ピシリと敬礼した。…これはどうも。
そして、また何時もの真顔で「失礼します」と言うと、足早に去って行った。
…彼女は一体、何から俺を守っているつもりなのだろうか。
教室には既に疎らに人が居た。
潮と目が合うと、潮はうん、と一つ頷き、持っていた本に目を落とした。
潮と高桜さんって、もしかして似てる…?どっちも無表情キャラだし。
俺はそんなことを考えながら、自分の席に着いた。
「ん…?」
自分の机の中に手を入れると、何かに触れた。
何だ?一応俺は置き勉はしない主義だ。毎日車で送迎だし、校門くらいまでなら持てない重さのものでも無いし。
だから、何だろうかと、それを出してみる。
「…はぁ」
可愛らしいピンクが見えた時に、ああこれかと溜め息を吐いた。
週に二、三度ある。所謂ラブレターだね。
今時古風なと思うけど、メアドも知らない子からしたら、これが唯一の手段だもんね。
俺は封筒を鞄にしまうと、席についた。
***
その日の放課後。
俺は潮と共にたった今サボりを敢行しようとしていた副会長を捕まえ、引きずりながら生徒会室に向かう。
「生徒会サボって女子口説くとか、嘗めてるんですか」
「えー違うよー。情報収集だってば!」
「口説かれている側にそう言われて引き渡されたんです!何が違いますか」
全く、この人も成長しない。
その癖、仕事が出来るのだから腹立たしい。
「あんまり酷いと顧問に訴えますよ」
普段優しい人は怒ると怖いということを教えてくれた生徒会顧問を挙げると、喚いていたのが途端に大人しくなる。
…頭いいのか悪いのか分からない、この人。
これで人脈は恐ろしいことになってるからなあ。
生徒会室に入ると、会長が机で書類とにらめっこしていた。
副会長とは対称的な性格のこの人は、ザ・真面目な人である。
「騒がしいと思ったら、雅人か。すまないな」
一応親友という立ち位置に立たされている為、会長は俺たちの引き摺る副会長を見ると、かすかに眉をひそめて言った。そこに副会長が口を挟む。
「ちょっと八尋ー?親友なのにそれは無いでしょ!?」
喚く副会長を一瞥し、会長は額に手を当てた。
「協力して欲しいんだろう?」
「…」
会長の一言で急に押し黙った副会長。
手を離してみると、大人しく自分の机に座った。何だあれ。
「副会長、どうかしましたか?」
「うーん、ほら?俺って八尋とお揃いの万年片想いってヤツだからさー」
そう言ってヘラリと笑った副会長を見て、思考が止まる。
副会長が恋?万年片想い?万年脳内が春なこの人が?
会長は分かる。
昨年の卒業式に滑り込みセーフで婚約者とのすれ違いを解消したから。
でも、副会長が?…無い。
「頭大丈夫ですか?」
「ちょっ!?ヒドッ!」
副会長は俺の言葉が不満だったのか、不貞腐れて目の前の書類を弄り出した。
「そりゃ、俺は端から見たら適当かもしれないけどさー。恋愛に適当なんて出来るわけ無いでしょ。それに知らぬ間にフォーリンラブなんだからさぁ」
副会長はそう言って、作った紙飛行機を会長に向けて飛ばした。
それはスコーン…と心地好い音と共に会長の頭に命中した。あー。
「雅人…覚悟はいいな?」
「えっ?嘘!?痛かった!?それはちょっと待って欲しいなー?」
「問答無用…」
会長はドスンッと、副会長の机に書類の山を置いた。
「きびきび働け。泉院副会長」
会長はとても麗しい笑顔を浮かべた。対称的に、副会長の顔色は悪い。
「ああ、そうだ。秋津川」
「は、はい」
急に会長が俺に視線を寄越したから、慌ててそちらを向いた。
「お前の受け持っていた例の件、片付きそうだ。今、教師の方で対策が練られているらしい。意見を求められたら答えてやれ」
「そうですか。分かりました」
会長が言ってるのは、多分、この間俺が片付けた案件。
あれは本当にキツかった。徹夜したし。
会長みたいに器用に卒なくこなすのは、俺のスペックじゃ無理。
「秋津川が気付いてくれて良かった」
「…」
この人のこういうストレートな誉めかたも嫌いじゃない。
「アキちゃんがデレた!!」
…こういう煩い副会長と違ってね!!デレたって何だよ!
?俺は副会長を放っておいて、自分の席についた。
「ん」
目の前に置かれたティーカップ。
流石、潮。気が利く。
「ん…よし」
おいおいおいおいおい…。呪い人形の向き直さなくていいから!!
然り気無く目線が合わないように横に向けていたのに…。
「大丈夫。紅実は優しいから。自分がされて嫌なことは、しない」
潮は去り際にそう言い残し、自分の席についた。
優しい、ねえ…。
まあ、仮にそうだとしても、俺にとってはお節介の塊なんだけど。
ていうか、今まで周りとは一線を画してきた訳で。
あんな風にグイグイ来られると、どう対応していいか分からなくなる。
結局は自分の問題なのかもね。
人との付き合い方は何となく分かっていたつもりだったんだけど…。
「俺もまだまだ、かな」
溜め息をつくと、俺はパソコンの電源を入れた。
***
「ヤバい、遅くなった…っ」
門限に厳しい祖父になんて言われるか。
そう思いながら、すっかり人気の無くなった校舎を走っていた。
外はまだ薄明かるいが、とっくに下校完了時刻を過ぎている。
先輩たちや潮はもう既に帰った。
俺は仕事に没頭していたら遅くなってしまった。
うちの祖父は古風な人で、跡取りは絶対男!!という人だった。
それで優秀な姉を差し置いて将来跡取りとなる長男の俺は、既に隠居している祖父に幼い頃から躾られて来た。
姉は婚約者に引っ付いて嫁ぐ気満々だしね。
『恋って、本当にミステリアスなものなんだよ』なんてのろけた表情で言われた日にはどうしようかと思った。
姉がアホになったと、本気で親に相談しようと思った。
まあ、兎に角。俺が大人びていると言われるのはそのせいかもしれない。
秋津川家は、何かと厄介な御家だしね。
「ん…?」
不味い。
近道しようと中庭を通ろうとすると、そこにはあんまり関わりたくない人たちが。
うちの学校にはまあ、少しはっちゃけてしまった生徒が居る。
大抵が成り上がりの家系なんだが、金髪やら茶髪やらがたくさんいるのだ。
とは言え、うちはお坊ちゃん校。
ハーフやクォーターが多すぎて、金髪茶髪を指摘することはなかなか出来ない。
風紀が頑張っているらしいが、その結果はあまり芳しくはないようだ。
「おい、来たぜ」
「待ってたぜえ?書記さん」
どうやら標的は俺らしい。
着崩した制服の男子生徒が五人。こいつら…。
「悪いんだけど、全然身に覚えが無いんですよね。見逃して貰えませんか?」
俺は相手から視線を逸らさずに言った。
「お前が俺らの溜まり場を潰したことは分かってんだよ!この落とし前は付けて貰わねえとなあ…?机の中のラブレターは見たか?」
「はて、何のことやら…?っと」
相手が繰り出してきた拳を避けた。
コイツ、話で聞く奴じゃない。
他も同じか。
くそ、やっぱ遠回りでも校舎内を通れば良かった。
ていうか、ラブレター…?ああ、朝のアレか。
いつもの事だから、家で読もうと思って、まだ開封さえしていない。
あれが罠だったのか。
別に騙された訳じゃないのに相手がそういう風に見てくるから…ムカつく。
「チッ…。謀しか能の無い、灰鼠がっ」
「へぇ…。久し振りに聞いたなあ、それ。成り上がりの君らでも知っているんだね」
謀の灰鼠。それは、秋津川の異名。蔑んで言う言い方だけどね。
古来より知略に優れてきた御先祖様たちは、仕える主君を代え、時に自分が上に立ち、乱世を乗りきり、御家を残してきた知将だ。
その為に、向けられる恨みを多く抱えてきたのも事実。
昔から、秋津川家は嫌われものなんだよね。
でもお伽噺のコウモリみたいな奴だからさ。
華族の流れを組むから、家格だけはトップクラスな為に、あからさまな攻撃が出来ないんだよね。
俺も小さい頃はいろいろ言われた。
でも、御先祖様たちみたいに倍返ししてやった。
今じゃ学習して、笑顔と丁寧な言動で乗りきってるけど。
乱世なんて、もはや書物の上だけの御話。
それでも、恨みは無くならない。秋津川に生まれた者は、恨まれながら生きていく。
女はいい。いずれ嫁いで姓を変えるから。
でも、後継者の、俺は。死ぬまで理不尽に憎まれ続ける。
それでもいいと思って生きてきた。
家族は嫌いじゃない。
大切にして貰った。
ちゃんと、感謝してるから。
だから、生まれを理由に不幸ぶるつもりは毛頭ない。
自分は恵まれていると、ちゃんと分かっている。
「今さら家のこと言われたって、何とも思わないよ?とっくに乗り越えてるし」
そう言いながら、確かに、高桜さんの言う呪いとやらは実在すると思った。
俺は、呪われている。
秋津川の、嫌われものの呪いに。
でも、とっくに受け入れた。
俺は秋津川蒼真だから。
それ以外は、有り得ないから。
「ここは学舎。家格をどうのこうの言うことを許される場所では無いんだけど?ここの生徒は何だかんだ言ったって、俺を生徒会の書記として扱ってくれているようだし」
優しく諭したりするのは苦手。
口は姉の方が強い。
だから、俺は武器を持った。
向かってくる相手を受け流し、手刀で堕とす。
踏み込もうとする動作のフェイクをしてから、タイミングを合わせて、もう一人を。
「卑怯な戦い方を…!」
「何とでもどうぞ。所詮は薄汚い灰鼠ですから」
俺は人に好かれはしない。
告白を受けるのは、俺が書記だから。
若しくは母似の容姿か。
どちらであれ、俺自身を、性格を引っくるめて受け入れてくれる人なんて居ない。
会長のように皆から尊敬されることもないし、副会長みたいに友好的でもない。
潮みたいに思わず構ってやりたくなるような性格でもないし、汐梨みたいな元気な明るさも持っては居ない。
だから、もっと、もっと。強くならなければ。
そう思ってきた。
秋津川を守れるくらいに、一人でも戦えるように。
汚くていい。
好かれなくてもいい。
でも、この誇りだけは、絶対に捨てたりしないから。
また一人、また一人と。
受け流し、撃ち、の繰り返し。祖父に 叩き込まれた、秋津川家の者が受け継ぐ護身法。
はったりや奇策ばかりを含む、人間の動きそのものを研究し尽くした御先祖様たちの努力の結晶。
「はあ…はあ…」
一人、俺は立っていた。
俺に喧嘩を売ってきた奴らは皆沈んでいる。
「乗り切ったか…」
一人で。
肩を上下させながら、沈んでいる奴等を見下ろす。
取り合えず、学生証を取って汐梨に付き出すか。
そう思って屈み込んだところで。
俺の背に影が差した。
不味い。まだ残っていたか…!?
振り返り、体制を整えようとするも、間に合わない。
降り下ろされる一撃に、痛みを覚悟していると―――。
「駄目、ですっ」
乾いた音が聞こえ、その後、目の前の男子生徒が倒れた。は?
そして、その向こう側に居たのは。
「高桜、さん…?」
肩を上下させ息をしている高桜さん。
両手で木の棒を持っている。
「何、これ?」
未だに状況が理解できていない頭を無理矢理動かす。すると、高桜さんは至極真面目な顔で言った。
「これは、代々我が家が護っている御神木の枝から作られた聖なる木の棒です。因みに私が十二歳の時に三日三晩かけて念を込めた力作です」
あー。そういうヤツね。
質問を変えよう。
「どうしてその…聖なる木の棒を持ってここに助太刀出来たの?」
「…」
だんまりか。高桜さんは何やらモジモジし出した。
…どうした?この反応は初めてだ。
「私、風紀委員として、秋津川さんの護衛をしていたのです。先日、秋津川さんが検挙された空き教室の私物化の件で、逆恨みをしている連中が居ると聞き…」
それを聞いて、なるほどあれかと思い出した。
空き教室が所謂ヤンキー坊っちゃんたちの溜まり場になっていると聞いて、ここ最近、証拠集めや検挙書類を汐梨と作っていたんだよね。
そこで恨みが汐梨じゃなくて俺に来るところが、秋津川の悲しさだよね。
「し、しおリンに頼まれたのです。秋津川さんを守るようにと。勿論、私も率先して」
…つまり、高桜さんが俺に絡み出したのは、しおリン…汐梨の指示か。
てか、守るって。
「ねえ」
「はい、何でしょう?」
「高桜さんって、風紀だと戦闘員ポジションなの?」
俺がそう聞くと。
「私、幼い頃から高桜流退魔道を祖母より習っております。この聖なる木の棒を使ったり、塩を使ったりして敵を散らすのです」
「じゃあ、高桜さんのおまじないって…」
「高桜流退魔道の一つですね」
がっくり。なんだ、この人の残念さは。
「私、この流派に誇りを持っております。確かに他からは変人染みた流派と思われ勝ちですが…私は、高桜紅実ですから」
口許を緩めて、高桜さんは言った。
変人染みたって、ちゃんと分かっていたんだ…。
高桜さんは俺をじっと見てから言った。
「私、やっぱり今日思いました」
「え?」
前言撤回。
この人、俺のことなんか考えちゃいない。
いきなり空気を切り裂きやがった。
「秋津川さんのこと、恋愛的に好きです」
…は?
「私、中等部一年の頃に、校門付近でコッソリ塩を撒いている所を、男子に見つかり絡まれまして、その時に助けてくださったのが、秋津川さんなんです」
やべぇ、覚えていない。
高桜さんは…ヤッバイ超モジモジしてる!!
俺が塩を撒く女子生徒を助けるイメージが湧かないから、恐らくその時の俺はイライラしていて、相手に八つ当たりしたとかそんな所だろう。
「あの時の秋津川さんの言葉のお陰で、今の私があります。それまでは自粛していた高桜流退魔道を、人目を気にせずに使うようになりました」
「…」
どうやら俺のせいらしい。
この変人生徒が誕生したのは。
「秋津川さんは、御家のことを何と言われようと、屈しませんでした。本当は嫌いな相手にも、笑顔で対応していました」
え、バレてた。
もしかして、俺の中身知ってるの?
こんな腹黒なんですけど。
「今回の秋津川さんの護衛役を勝って出たのも、しおリンからあ、アピールをした方がいいと」
「アピール?」
確かに滅茶苦茶付きまとわれたが、残念ながらアピールされた覚えはない。
それなのに、高桜さんはフンと胸を張って言った。
「異性に守られてときめかないはず無いのです。どうですか、秋津川さん。ときめきましたか」
「…」
本当に、予想を大きく外れてくれるな、この人は。
守られてときめくって、それは性別が逆だろう。
どちらかというと守られるような、お姫様みたいな容姿の癖に、俺を守ろうって?
今ここに転がっている、チンピラたちから?
塩撒いたり、変な人形作ったりして?
「はは…っ」
ヤバい。何だよコレ。こんな奴、今まで居たか?
いきなり笑いだした俺を見て、高桜さんは首を傾げた。
それが小動物然としていて、更に笑えてくる。
腹を抱えて笑っていると、高桜さんはとても困惑していますって顔をして俺を見ていた。
あー何だよもう。そんな顔するなっての。
ああ、何だろう。悔しいな。
不覚にも、俺は。
「悔しいけど、そうだね。ときめいた。惚れちゃったかも」
そう言って微笑めば、高桜さんは目をパチパチと瞬いた。
そして、ポンッと音がしそうなくらい真っ赤になった。
何コレ。何この動物。
「わ、私は…秋津川さんのハートを、射止めたのですか…」
「何でそういう恥ずかしい表現使うのかなー」
俺は脱力して、ため息を吐いた。
そして、まだオロオロしている高桜さんの頭に、手を置いた。
「そうだよ、俺は君を好きになっちゃったの」
恥ずかしい…。
そっぽを向いて言うと、高桜さんは更に赤くなった。
「く、紅実って、呼んでくれますか…?」
「バッカ。直ぐにそれは贅沢過ぎ。呼んでほしかったら、もっとちゃんと会話して、互いを知らなきゃね。君、オカルトばっかなんだからさ」
照れ隠しに饒舌になってしまう。
俺は会長たちみたいに自分の好意を伝えられないというほど、不器用じゃないけど、でもさ。
「分かりましたっ…!不束者ですが、私、頑張ります」
…それは、反則。
初めて彼女が俺に見せた、満面の笑み。
そうか、天然か。そうか。
この恋愛は前途多難だな…。
まずは噂を最小限に、ああでもその前にこの足元の奴等をしょっぴかなきゃなあ。
ああ面倒だ。
早速二人をズルズルと引っ張っていく小さな後ろ姿を見て、俺はふと笑いを漏らした。
「うん、悪くない」
さっさと嫌なことを片付けよう。
そして、そうだな。
報告書を書きながら、君の話を聞こうか。
君の目に映る自分がどんな奴なのかを、知りたいし、俺の目に映る自分がどんな奴なのかを伝えたい。
そこで、俺は気が付いた。
「そうか、これが恋なのか」
姉の言葉が、今ならストンと胸のなかに落ちてくる。
『恋って、本当にミステリアスなものなんだよ』
確かにそうだ。
この冷徹とまでは行かないけど冷めている俺を、こんな気持ちにさせてしまうんだから。
そんなことを考えている内に遠ざかってしまった背中を追いかけた。
君は不思議だ。この俺を、惚れさせるんだから。
嗚呼、俺は高桜紅実が本当に謎に思える。
恐らく、これから蒼真はある意味自由な紅実に去り回されることになるでしょう。それを見て面白がる双子たち。彼の受難は始まったばかりです(笑)それでもきっと、見ている方がジリジリするようなウブな恋愛模様をするんでしょうね。目に浮かびます。紅実の変人さは、なりを潜め…るといいですね、うん。頑張れ、蒼真。






