あの人はずっと走っていた
この物語はフィクションであり、登場する人物名、団体名等は
全て創作上のものです。
(いつもは殆どすべて創作しますが、
地名等を今回に限り実際の名称をいくつか使わせていただきます。)
また作者は陸上未経験かつ消防関係者でもないため、
その辺りに関して一部不自然な描写があるかもしれませんが、
お許しください。
「ねえねえ、箱根駅伝ってすごい大きな大会なんやろ?
そこで4位なんて、この主将さん、本当に速いんやね!」
「いや、健介さんはそこまで速くないよ。
高校時代もいつもメンバーに入るか入らないかギリギリだったし、
あの人がメンバーに入らないぐらいの方が
チームの調子は良かったから。
それでも」
「この万年補欠が何言ってんのよ!!」
「いてえ!!!」
お袋の容赦のないツッコミが後頭部に入り、
俺の説明は強制的に途中で中断された。
・・・まあ、三つ子の魂百までで、
つい口では「痛い」と言ってしまうが、
日々消防士としての苦しい訓練によって鍛えられている俺の体は
実際には大したダメージを受けてはいなかった。
「昔はあんなにお袋の平手打ちが怖かったのに」と思うと、
どこか寂しい思いもするが、
それは俺が少しは大人になった証しでもあるのだろう。
神戸を離れて5年。
時々戻ってきてはいるから、
そんなに劇的な変化を感じることは少ないのだが、
それでもなお何事も昔のままとはいかない。
町の変化はその賑わいの現れでもあり、
遠く離れた故郷が元気であるならば
基本的には喜ばしいはずなのだが、
それでも心の中にはどこか、
変わらないものへの安心感というのを求めたくなる。
そうその『変わらぬ安心感』こそが、
「あの人がずっと主将を任せられる理由なのかもな。」
「へ?」
「さっきの説明の説明の続きだよ。
お袋のツッコミでストップさせられたけど、
お世話になった先輩を単にディスるわけないやろ。
あの人は確かに全国から選抜された下級生たちより速いわけじゃない。
それでもあの人が高校でも大学でも主将に選ばれるのは、
走ることに対しても、
人に対しても、
たとえどんな状況でも圧倒的に『真摯』で、
それが周りの奴を安心させてくれるからなんだよ。」
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どんな豪雨が降っていようが、
どれほど風が強かろうが、
一面が銀世界の雪道であろうが、
あの人が走っていない日は殆どなかった。
しかも全力で、
いつも苦しい顔で、
どこまでも出し尽くして。
理事長の肝いりで全国から集められ、
始めは変なエリート意識から粋がっていた特待生たちも
一人親元を離れた寂しさからか、
はたまた辻監督の猛練習に疲れ果ててか、
自由時間でもため息をついている奴が増えてくる。
そんな時ふと寮の窓から外を眺めると、
海岸線までの風景を一望できるのだが、
その日が外出禁止にでもなっていない限り、
その風景のどこかではいつも健介さんが走っていたんだ。
「あんなにただ無茶走りしたってタイムが上がるわけじゃない。」
訳知り顔に言う奴は多かったし、実際そうなのだ。
無駄に走るよりも適切に休む日を入れた方がいいし、
筋力トレーニングなどに一定の時間を使うことも
タイムに繋げるためには必要なのである。
でもそんなことは当然健介さんも知っているのである。
「それでも俺はずっと走っていたいんだ。」
誰に言われてもあの人はその姿勢を変えなかった。
その拘りがあの人のランナーとしての成長を
ある部分で止めてしまっていたことは、
健介さんを尊敬している俺ですら正直否定できない。
それでもあの人はずっと走っていた。
そのうち、俺を含めた何人かが、
時々健介さんにくっついてロードワークに出るようになった。
どちらかというと俺のような万年補欠に近い連中で、
試合への出場も難しく、
いつももやもやしていたような連中だった。
もちろん健介さんは万年補欠の俺たちよりは明らかに速いわけで、
最初はついていくだけでも必死だった。
でもだんだん慣れてくると必ずしも健介さんが
何も考えず走っているわけではないことが少しずつ分かってくる。
実は毎回コースは微妙に変えていること。
それぞれの地形に合わせた走りについていつも考えていること。
道行く人々や道中のお店などについても本当によく知っていること。
自分の走りだけでなく、そういった周りの変化にもいつも気を配っていること。
それほど多弁な人ではなかったが、
折に触れて色々話してくれたし、
俺たちから聞いたときはいつでも
誠実に答えてくれた。
そんな健介さんと一緒に走ることで、
刺激を受けた何人かは日々の取り組みも変わってきて、
新たにメンバーする奴もいた。
逆にメンバーから漏れたやつが
ロードワークに混ざってくることもあった。
大抵の奴はいつも来るわけでなく、
何か悩んでいるような時にひょっこり現れ、
気が付いたらいなくなっていることも多かったが、
誰が来ようが抜けようが、
健介さんは気にせずいつものように走っていた。
でもその日常が俺たちみんなを支えていた。
その価値を俺たちは後に改めて思い知ることになる。
あの東日本大震災の直後に。
すいません、脳内プロットが暴走を始めたので、
もう少し先輩話続きます。
リハビリ中ということで大目に見て頂ければ幸いです。
期せずして現在の様子+過去の出来事
合わせて2000字前後みたいなフォーマットが
出来つつあるので、そんな感じで進めていきたいと思います。
まだ次回も主人公は「おこたでみかん」のままかもしれませんが、
それなりに過去の事情なんかも展開させていければと思いますので、
よろしくお付き合いください。