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先輩のラストラン

この物語はフィクションであり、登場する人物名、団体名等は

全て創作上のものです。

(いつもは殆どすべて創作しますが、

地名等を今回に限り実際の名称をいくつか使わせていただきます。)

また作者は陸上未経験かつ消防関係者でもないため、

その辺りに関して一部不自然な描写があるかもしれませんが、

お許しください。

「さあ、いよいよ鶴見中継所に先頭集団が近づいてきました!

トップは六郷橋でスパートをかけた蔵澤大学菅野、

続いて甲洋大学藤浪、清治大学前田が並走しながらこれを追います!!

予想通りは3強が僅差で2区への襷渡しをしそうです。

そしてその後ろは・・・、本山学院!

本山学院大学の永井が先頭集団に10秒ほど遅れて必死に粘っています!!

永井健介4年生!昨年も1区を任され、

その時には19位と大幅に出遅れてしまいましたが、

今年は最上級生の意地を見せて、

3強を必死に追っています!!!」

「行け、健介さん行け!!」




テレビでは最初の中継所手前での先頭集団3人のデットヒートと

そこに必死で食らいつく1人のランナーの様子を映しており、

俺はその4人目に向かって届くはずのない声援を

それでも必死に送っていた。




東京箱根間往復大学駅伝競走、

通称「箱根駅伝(はこねえきでん)」は東京大手町(おおてまち)から箱根芦ノ湖(あしのこ)までの往復約200キロを

大学生ランナーが往路5区、復路5区、計10区に分かれて襷渡しする駅伝競走である。

本来はあくまで関東の大学駅伝No1を決める大会なのだが、

テレビが大々的に全国生中継し、

正月の風物詩として定着してしまったこともあり、

現在では日本で最も有名な駅伝大会と言っても過言ではなくなっている。


高校まで長距離ランナーだった自分にとっても

かつては憧れの大会であり、

毎年熱心にテレビに噛り付いていたものだが、

ここ数年はまた別の意味で応援に力が入っている。




「はーい、お雑煮出来たよー。

あれまあ、本山学院4位なんてすごいやん。

そう言えば今走っているこの子、

どっかでおうたことある気が・・・」

「主将や、主将。

多分お袋が最初に寮に挨拶に来た時、

会ってるはずやで。

お袋、悪いけど、今いいとこやから、

テレビの前から、はよどいてくれ!」

「はいはい。

大学までは陸上続けるんかと思ってたら、

高校出てすぐ就職するなんて言い出すんやもん。

てっきり陸上が嫌になったんかと思ったけど、

やっぱり『血』はあらそえんのやねえ。」

「お袋!

後で聞くから、ちょっと黙っといて。

中継が聞こえへんから!!」

「はいはいはい。」



お雑煮を用意してくれた母親を邪険に扱うのもどうかと思うが、

今の俺は先輩の『最後の走り』を目に焼き付けるのに必死だった。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



永井健介22歳。


俺が高校時代お世話になった陸上の名門校、

本山学院大学附属石巻本山学院高等学校での2つ上の先輩であり、

当時の主将だった人だ。


遠く神戸から宮城に単身やってきた俺を、

いつも気にかけてくれていた人情味のある先輩であり、

監督の交代や留学生の受け入れなど、

俺の入学年度から始まった陸上部強化の混乱の中で、

監督と共にバラバラのチームをまとめ上げてくれた苦労人でもある。


それだけでも十分に思い入れのある先輩と言えるのだが、

俺たちには決して忘れることのできない『共通体験』があるのである。




東日本大震災。

2011年3月11日14時46分、

東北地方を襲ったM9.0の巨大地震と大津波によって、

沿岸部を中心に壊滅的な被害がもたらされた。

阪神大震災をも遥かに上回る15000人以上の人が亡くなり、

今も数多くの行方不明者が存在している。


俺たちの学校があった石巻市は

最も被害の大きかった沿岸地域の一つである。

学校や寮自体は高台にあったため、

無事だったものの、

自分たちが暮らしていた町が

津波によって跡形もなく流されていくのを、

俺たちは、

一緒に見ているのである。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



「大健闘の永井!

卒業後は東北地方に本拠を置く建設会社に就職し、

陸上競技の第一線からは離れます。

まだまだ復興が進まない、

東北の沿岸部の再建に少しでも力を貸したいと、

高校時代、石巻本山学院時代に自分を育ててくれた、

恩返しをしたいと言っております!

その前に、

何とか昨年の失速を挽回して、

主将としてチームの勝利に少しでも貢献する走りを

したいと申しております!!」



各大学どの区間に誰が走るかを示す

事前エントリー発表時、

1区に健介さんの名前を見つけて電話したら、

「いや、昨年あんなんだったし、

当日エントリー変更もありうるよ。」

と一旦はぐらかしながらも、

「走れるとしたらランナーとしての俺の最後の晴れ舞台だ。

全てを出し切るつもりだから、

目に焼き付けておいてくれ。」

と高校時代はそこまで闘志を前面に出す人ではなかったのに、

そんな風に実に熱く語ってくれた。




「健介さん、俺、しっかり見てるよ。」


いつも以上に苦しそうな、

でもいつにもまして強い意思を目に宿らせて、

先輩は箱根路を駆けていた。




中継所まで後1km程。


少しでも早くたどり着いて欲しいという思いと、

もう少しだけ先輩のラストランを見ていたいという思い。


俺の中で2つの思いが交錯する中、

中継は先頭3強の区間賞争いを映そうと、

画面を切り替えたのだった。

先輩の話前半戦です。

本当は1話でまとめるつもりだったのですが・・・

いつも通り脳内プロットなので不安定です。

一応東日本大震災との繋がりなんかも出させていただきました。


「箱根駅伝、あんまり知らないからもう少し解説入れてくれ!」とか

ありましたら修正させていただきますので、

コメント・ご感想等どうぞよろしくお願いします。


次回でもう少し話も主人公も動かしていければと思います。

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