王の身体
「手を貸してくれないか?」
博士がそう言った。
「もちろんいいですよ。」
博士は最近忙しそうにしている。娘さんが病気になってしまったからだ。現代の医学では治せない難病だそうだ。今年で十六歳になる。この研究室にも時々遊びにやってくる、かわいい子だった。私によく懐いてくれていたので、とても残念に思う。博士はそんな娘さんを救うため、研究に没頭しているのだ。今まで博士はずっと1人で研究を行っていた。誰にもさわらせなかった。それを手伝ってくれと言うならば、断る理由が無い。むしろ、喜んで手伝う。
「僕はできた人間じゃない。借りたら返さないけど、それでもいいかい?」
珍しい。博士が冗談を言った。冗談なんて通じない人だと思っていた。
「かまいませんよ。私にできることならなんでもさせてください。」
「ありがとう。君の好意は決して忘れない。」
そう言って、ポケットからハンカチを取り出して、そのまま私の顔を覆った。私の意識はそこで終わった。
目を覚ますと、毒殺室に居るのに気づいた。この毒殺室は、博士が作ったものだ。もういらない実験体を始末するための施設。なぜ私がここに居るのか、まるで理解できなかった。
「起きたかね。どうだい気分は?」
外に博士がいた。
「どうして…」
扉の向こうに居る博士に手を伸ばそうとした。だがそれはかなわなかった。私の手は、肩甲骨から先がごっそり無くなっていた。
「一体何が?どうしてこんな…博士?」
博士は、怪物を連れていた。その怪物が怯えた顔で私を見ている。
「これかい?これは僕のミオリだ。どうだ、美しいだろう。新しい身体だ。」
ミオリとは博士の娘の名前だ。博士はさらに続ける。
「この身体はね、ワニの顎とライオンの牙を持ち、皮膚は象の皮膚。それを堅い外骨格で覆っている。脚は馬の速さと、描族の跳躍力を兼ねそろえている。翼で空を自由に飛ぶことだって、ヒレで海の中を遊びまわることだってできる。もちろんエラも付いてるぞ!肺呼吸もエラ呼吸もできる。これで酸素があればどこにだって住める。それにだね、この身体は光合成もできるのだ!1ヶ月くらい何も食べなくたって生きられる。素晴らしいだろう?極めつけはこれだ!この腕!君の繊細で器用なこの肩甲骨から先の腕だ!やはり手は人間のものでなくては!この美しさ!繊細さ!器用さ!私も持っている、この腕の便利さ!素晴らしい!」
博士が興奮している。これほどまでに感情を表現するのは初めて見る。
「なぜこんなことを?」
「僕はね、ミオリを愛しているんだ。愛しているからね、世界一の身体を与えたかったんだ。ミオリは病弱でね、小さい頃から病気ばっかりしていた。そのせいか友達もあまりできなくてね、可哀想に思っていたんだ。だからこの、王の身体を造った。大変だったよ。本当にね。今はもう遺伝子レベルで結合してるけど、拒否反応が多くてね。嫌になりそうだった。でもミオリの為だからね、頑張ったよ。」
「お父さん…お父さん…」
「ああそうだね、もう疲れたね。新しい身体に慣れてないからね、仕方ないね。でもちょっと待ってね。すぐ終わらせるから。」
そして博士はスイッチを押した。私も押したことがある、毒ガスのスイッチだ。私は何も納得できなかった。ふざけるなと言いたい。私はドアに身体をぶつけた。何度も、何度も何度も、身体から血がでても打ちつけた。自然と叫んでいた。
「ごめんよ。使えない実験体を助けてやる道理は無いんだ。本当に…」
「怖いよお父さん。」
血塗れになりながら、私が最後に見た光景は、怪物ーーミオリが博士の身体を引き裂く姿だった。