めっちゃうまい焼肉屋
「おいしい記憶 エッセーコンテスト」落選作品の改稿です。
尼崎に、いい肉を食わせてくれてそれでいて高くない焼肉屋がある。結構気に入っていて、会社の同僚とよく行くのだが、そこで時々顔を合わせるカップルがいた。男性の方は三〇代半ば、女性の方は二〇代後半といったところか。何回か会ううちに話をするようになった。ちなみにさっき「カップル」と書いたが、そういう言い方をするといつも女性の方が「カップルではない。単なる飲み友達」と否定する。女性の方は店の近くに住んでいて、西淀川の小学校で先生をしているそうだ。男性の方は梅田に勤務するサラリーマンだが住んでいるのは伊丹。わざわざ通勤経路を逸脱して女性に会いに来ているわけで、男性の方は単なる飲み友達とは思っていないのかもしれない。
この女性が非常に表現力豊かと言おうか、肉を食うたびに「めっちゃうまい!」などと大げさに喜んでくれる。事実めっちゃうまいのだが、そこらの芸人なんかよりよほどグルメレポーターの素質があると思う。そんなときの店主は本当にうれしそうで、まさに焼肉屋冥利に尽きる、と言っていた。
一方の男性の方は、最近よくいるブロガーで、料理が運ばれてくるたびにスマホのカメラでの撮影を忘れない。「烏の辛党食べある記」というブログをやっていると聞き、時々愛読しているが、この文章がまた秀逸で、現場での女性の喜びようが目に見えるようだ。店主も、彼らが来店するたびに、ブログアップありがとうございます、と礼を言う。
ある日、その店で彼らと会ったとき、女性から、近々引っ越すのだと聞いた。旭区の学校に異動になり、尼崎から都心を通って通勤するのが苦痛だということで、新しい学校の近くに住むことにしたのだという。今後、この焼肉屋になかなか来られなくなるのが残念だと彼女は言った。店主も、これ以上ないほど残念がっていた。
それから3か月ほど経った頃、何気なくカップルの男性が書いていたブログ「烏の辛党食べある記」を見ていたら、あの先生と一緒に食事に行った記事が載っていた。場所は、千林の焼肉屋。例の尼崎の店と同じように、「めっちゃうまい!」と感動する先生の姿が、秀逸な筆致でリアルに再現されていた。あの男、家伊丹のくせに千林にまで会いに行ってるのか、と可笑しく思ったのと同時に、尼崎の焼肉屋の店主の顔が浮かんだ。要するに千林の店に客を取られたわけだ。残念がるだろうな。私は、このブログの件は、店主には言わないことにした。
久しぶりに尼崎の焼肉屋に行くと、「あのブログ見ました?烏の何たらってやつ。」と、店主が話しかけてきた。「あの先生、引っ越し先で、うまい焼肉屋見つけたんですって。よかったですね。」
「よかった?」意外な言葉だった。私は思わず聞き返した。「お客さん取られたってことやで。何か複雑な気持ちとかないの?」
「それは思わんかったですね。」店主は答えた。「だってあの先生、めっちゃ幸せそうに食べるじゃないですか。彼女がおいしいもん食って幸せになってくれるなら、別にうちの店でなくても構わんでしょう。」
私は衝撃を受けた。この店主は、本当にお客さんの幸せだけを思って、うまい肉を食わせようと日々働いているのだ。客を取ったとか取られたとか勝ち負けとか、ちっぽけなことを勝手に考えて気を遣っていた自分が、心底恥ずかしいと思った。
私は無言で、当店自慢のハラミを口に運んだ。心なしか、以前よりずっとおいしく感じた。私は思わず口走っていた。
「マスター、このハラミ、めっちゃうまいわ!」