磯部、回想する
舗装されていない砂利むき出しの、都会出身都会在住の純情なシティーボーイには過酷な坂道を、俺は舞に引きづられていくように歩く。芋掘りで生じた右腕の痛みに加え、腰、膝、脚に蓄積されたダメージがRPGの毒状態のように神経に響き、思わず声が漏れる。
「もう歩けないよぉ」
「華奢な乙女に引きづられながら乙女みたいな声だして恥ずかしくないんですか」
一蹴された。
いつもの調子であればどこが華奢なんだこのクソ筋肉女――と突っ込むのだが、疲労でそんな気力もなく、華奢な乙女の不機嫌による馬鹿力で右腕が引きちぎられかねないのでやめておいた。
無言で女に引きづられる、空虚な時間である。処刑台に連行される反体制派の残党のような気分だ。
この空虚な時間を利用して、そもそもどうして俺がこんなド田舎に来ているのか――という点について明らかにしておこう。
2ヶ月ほど前の話だ。
都心で今年の最高気温を更新しました――という本来暑がりの俺にとっては最悪なニュースの映像を、北海道のど真ん中からほくそ笑むように眺めていた正午前の事である。
国家反逆者の如くエアコン全開(設定温度16度)の部屋で、電話のベルが鳴った。文字通り、ベルが鳴った。
監禁場――我が社の若手社員(俺含め2名)の間ではそう呼ばれている――部屋に設置された今や昔懐かしの黒電話が鳴動している。
この時点で既に悲劇的な展開が予想できなかったわけではなかったが、「お昼ごはんができましたよ」という食堂からのラブコールが何らかの事情で1時間ばかり早まったという展開を願いつつ、受話器をとった。
「ランチですか?」
「そうですね、ちょうど社長はランチに行きましたよ」
確実に、悲劇の幕開けを告げるコールであった。
この温厚で優しげな声は社長秘書徳さんの声であり、比較的粗暴な食堂のおばちゃんの声ではなかった。そして温厚で優しげなその声から、究極に威圧的な無理難題が語られることも容易に予想できた。
「何でしょうか? ちゃんと仕事はしてます。パティの散歩も盆栽の水やりも牧場の巡回も終わりましたが」
「お疲れ様です。いや、お疲れ様でした。朝から大和君が向かいましたので、磯部君はお役御免です」
大和君、というのは“我が社の若手社員の俺ではない方”である。
「お役御免……大和はすぐに来ないでしょうよ。まぁ俺と同じルートでくるならの話ですが」
「もうそろそろ着くと思います。9時の便で羽田から向かいましたから」
前々から感づいていたが、圧倒的な待遇の差に思わず溜息が漏れた。俺が今回この監禁所という名の社長の別荘に行く際、社長からニコニコ笑顔で渡されたのは1枚の「青春18きっぷ」だったというのに。
「あの糞生意気な犬、犬の糞みたいなセンスの盆栽、犬より速く走れなさそうな駄馬達の世話から開放されるのは朗報と受け取っておきます。で?」
「次の行き先、業務内容は書面にして大和君に渡してありますので、到着次第受け取って確認して下さい。チケットも入ってます」
俺は牽制球を投げた。
「また18きっぷを入れたんでしょ?」
「ちゃんと行き先が明らかな列車のチケットが入ってます。特急ですよ。指定席もとってます」
意外な展開であったので、ここは素直に謝意を表明することにした。
「犬の糞みたいなお頭をお持ちの社長も有望な若手社員に対してそれぐらいの配慮ができるみたいですね、これからもぜひよろしくお願いいたします」
「全て丁重にお伝えしておきます。では、ご武運を」
俺が電話を受話器に戻すタイミングを図っていたかのように、部屋のドアがノックされた。
ドアを開けると、情けなさを5回ぶん殴ったような感じの惨めな顔をした、大和が立っていた。
「おいおいどうしたよ?泣きそう……というか泣いてるじゃないか」
「さっきいきなりパティに尻を噛まれた」
大和は綺麗に犬歯の通り穴の空いた自分のスーツを指差し、俯いた。
「ご愁傷様です」
俺は取りあえず大和にお悔やみの言葉をかけ、これから本当にご愁傷様になるのは俺なのではないかという未来を想像し、これまた俯いたのであった。