「磯部、芋を掘る」
もはや使い物にならないのではないか――と俺は感覚のない右手と、カゴに山積みにされた芋を交互に眺めつつ、日頃そう使わない左手でタバコを摘み、天を仰いだ。
だだっ広い畑の真ん中、エコーを吹かす。広い空、夕焼けが眩しい。
澄んだ風が運んでくる土の匂いを打ち消すかのように、不健康なスモッグが弾ける。
「あー、マズい。マズイぞエコー」
声に出してみるとその不味さが和らぐかと思ったが、やはりマズイものはマズイ。
先日振り込まれた報酬で買い込んだ、スウィートなラッキーストライクが恋しい。
そもそも何で俺が畑で芋掘りをしているのか――
何故吸いたくもないエコーを吸っているのか――
この2点について、こうして作業が終わった今も疑問や憤怒の感情がまったく解消していないので、とかくその原因と考えられる人物にぶつける他はないのだが――と考えていると、
そのぶつけるべき人物が、人畜無害を絵に描いたような笑顔を貼り付けてこちらにやってくる。見えないように灰を投げ捨てた。
「磯部さん!もう街まで出るバス無いみたいなんで、泊まっていきましょう!」
いきなりの衝撃発言であった。
バスがない?泊まる?
メガネ型端末のディスプレイに表示されている時間は、午後4時を回ったところだ。このご時世にコンビニがない田舎とはいえ、まさかこの時間に公共交通機関が無いなんてことがあり得るのだろうか。率直にその疑問を舞にぶつける。
「磯部さんは田舎を舐めすぎです!そんなんじゃここの跡取りになれませんよ!」
「ならねえよ!俺は何としてでも帰るんだ!」
今日はどうしても見逃せないドラマがあるのだ。そしてこの場所にはNHK以外の電波が届いてないことも確認済みである。
「やれやれ」といった感じで舞は両手を広げ、近づいてきた。
そしてその細い腕を俺の右腕に絡め、女子としては常軌を逸した力でロックした。
「ひぎぃっ!」
芋掘りによる疲労で感覚がなかった右腕に激痛が走る。
「手荒な方法を取りたくないから、こうして至って自然な流れで磯部さんに泊まっていただこうとしてるんじゃないですか!ほら、終電がなくなっちゃった!のパターンですよ!」
「もう既に手荒だし痛い痛い痛い痛い痛い痛い!」
「クライアントの為なんです!つべこべ言わずに泊まりなさいって!」
一般的には“優しげ”と評されるであろう、舞の丸くつぶらな瞳。
そこに黒曜石のように堅い意思を感じ取り、悪魔の様な闇を見出したのは私だけだろうか。
悪魔に歯向って得をした記憶は一切無いので、俺は素直に諦めることにした。ここは下手に出て、譲歩させる展開を作るんだ。
「泊まります!泊まりますとも!ただ一つだけ、お願いがあるのですが……」
「もちろん禁煙ですよ!」
希望は脆くも崩れ去った。おそらく俺が持ち込んだカートンの山は既に処分されていることだろう。
ええい悪魔め、何としても俺は脱出してやる。その方法を考えねば……。
考えようとしたのもつかの間、悪魔の怪力によって私は母屋に引きづられていく。
この千切れそうな右腕を護る気力もなく、ただ溜息が漏れた。夜は長そうだ。