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じっちゃんが3年、あたしが2年の夏休みのことだった。
この頃じっちゃんは自転車旅行に嵌っていた。旅行と言ってもたいしてお金のない高校生。自転車で日帰りできる場所まで行く。ただそれだけの旅行なのだが、結構無茶な行程も組んでいたようだ。
夏休みの数日をあたしは毎年祖母の家で過ごしていた。少しだけ都心から離れたあたしの家から、特急だと35分、在来線でも2時間ほどでたどり着ける祖母の家へ今年も行くのだとじっちゃんに話したのは偶然だった。そのときあたしは祖母の家から見える地元でも有数な花火大会の話に夢中で、その話を聞いたじっちゃんの目が光ったことに全く気付いていなかった。
「それ、いつ行くの?」
唐突にあたしの話しに割り込んでくる。唐突なのに全然唐突さを感じさせないじっちゃんの話し方に違和感なく答える。
「花火大会がお盆の真ん中くらいにあるので、それに合わせてですよ」
「へー、面白そうだね」
じっちゃんは心底面白そうだという風に言った。
「はい!すごく綺麗だし、毎年浴衣を着せてもらって皆で行くんですよ」
自分の話しに同意してもらえたことを嬉しく思いにこにこしながらじっちゃんを見ると、目が合った。
「じっちゃんも、来ますか?」
「そうだね、行けたら行かせてもらおうかな」
そう言って丸い目を少しだけ細めて、ダークブラウンの瞳の奥に何かをたくらんだ光を備えながら、じっちゃんは悪戯するときの顔で笑った。
お盆の真ん中の日、花火大会の当日昼過ぎ、じっちゃんは本当に祖母の家に現れた。
「どうやって場所分かったんですか?」
「いや、この辺に来てから人に聞いた」
あらかじめ祖母の家の場所を聞かれて答えていたため、そこまで迷いはしなかったようだ。祖母の家の近所に住む従妹たちと遊んでいたところに突然現れたじっちゃんは、一瞬で皆の注目の的になっていた。
「え?誰だれ?」と従妹からあからさまに質問を受けている間に
「あらまぁ、おあがりなさい」
と祖母に言われたらしいじっちゃんはちゃっかり縁側にあがり込んで、祖母が今しがた切ったばかりの西瓜を持って現れ、「お食べなさい、暑かったでしょ」とあたかも予定していた客のように扱われるのを当然といった風に受け取り、西瓜にかじりついていた。
縁側に二人並んで座って庭を見ながら、あたしは、じっちゃんは今晩どこに泊まるんだろう?という単純な疑問に陥っていた。縁側から庭に向かって下ろした足をぶらぶらさせながら、純粋に疑問をぶつける。
「じっちゃん」
「ん?」
「花火、見て帰りますか?」
「いや、もう帰るよ」
「へ?今から家まで帰るつもり?」
「もちろん」
今晩どこに泊まるつもりですか?と聞く前に出てきた答え。じゃぁ一体何しに来たんだろう?
「ミオ、顔に出てる」
苦笑したようにじっちゃんがあたしの方を見る。
「ただの自転車旅行だよ。遠出したかっただけ」
あたしの頭をなでながらじっちゃんは一言そういって庭のほうをみた。
しばらくして大きく伸びをしたじっちゃんは
「さて、帰るか」と言って立ち上がった
「ありがとな、西瓜うまかった」
そう言って祖母に挨拶してそそくさと帰って行った。
変な人だと思った。
ただの後輩の、ずいぶん離れた祖母の家にわざわざ自転車でやってくる先輩。滞在時間もほとんどなく何のためにやってきたのか当時のあたしには全く理解できなかった。
あたしたちに恋愛感情は一切なかった。この頃あたしは他に好きな人がいて、じっちゃんにも彼女がいた。
不器用で奥手で頭でっかちなあたしには、浮気とか二股とか、ほかに好きな人ができて乗り換えとかそんな器用なことができる訳もなく、年齢の割に大人びていたじっちゃんは彼女とはおしどり夫婦だと有名だった。有名なだけじゃなく、時折美人な女の人があたしたちの部室に顔を出して「治朗」とじっちゃんを呼び出すことがあったから、あたしは彼女と一言も口をきいたことはなかったけど、ちゃんとその彼女の存在も二人の関係も理解していたと思う。
だから必然的にそんな関係になることはなかった。あり得なかった。
このことがあってから、家族(特に祖母)の中でじっちゃんは“ミオちゃんの彼氏”という地位に位置づけられた。だけどあたしは敢えて否定しなかった。
その翌年の4月、じっちゃんはあたしより一年早く高校を卒業して社会人になった。
じっちゃんが社会人になってからあたしたちが連絡を取り合うことはなかった。ときどき元気にしているという話を耳にすることはあったけど、具体的にじっちゃんがどこで何をしているのかを知ることはなかった。
じっちゃんが卒業した翌年、勉強嫌いで絵を描くことだけが好きだったあたしは、イラストレーターを養成するための専門学校へ進学した。