世界が変わる日
床に入った時には、既に午前五時を回っていた。
今から寝たら起きるのは恐らく昼過ぎだろう。
ゆっくり眠る事の出来る土曜日は本当に素晴らしい。
ベッドに入り目を閉じる。
俺は寝る前は色々妄想をするのがガキの頃からの癖だ。
誰にでもあると思うが、アニメの二次創作してみたり
宝くじ当たったらどうするかシミュレートしてみたりするアレだ。
今日の俺は先ほどまで見ていたブログの影響を大きく受けていた。
レベル5の魔術。時空を超える魔術がもしも本当に成功したとしたら……
今日……正確には昨日の飲みで、藤野さんと話した事を思い出す。
本当に魔術で十年前に戻れるなら、取り敢えず高校時代はもっとイケテル事したり、真面目に勉強したりしてみたいかなぁ。
上がる株は大体判るし、バイトしてそれを買えば……
それを資本にして、普通の高校生じゃ出来ない事も可能だろう。
これを薔薇色の人生と言わずに何と言うのか。
そんな夢物語を考えている内に、俺は何時の間に眠りに落ちていた。
ジリリリリリ!!
目覚まし時計の音がけたたましく響く。
まだ眠い……つーか、土曜日は目覚ましを切っているはずだが……
目覚ましを止めようと、何時も目覚ましを置いてある枕元を探す。
「うう……どこだよ……」
無い。おかしい。勘弁してくれ……昨日は場所動かしたりしてないはずだぞ。
俺は、目を閉じたまま手を動かし続けた。その間も目覚ましは不愉快な音を発し続けている。
休みの日くらいは、目覚ましさんも休憩してくれて良いのに……
しかし、このまま目を閉じたまま、探っても埒が明きそうにない。
体感だと睡眠時間はまだ3時間程であり、起きたくない気持ちで一杯だが、意を決して目をあける。
目覚ましを止めた後にゆっくりと二度寝すれば良い、と自分に言い聞かせながら。
「……あ、あれ?」
おかしい。
俺はベッドで寝ていたはずだ。
何で畳の上に布団をひいて寝ている?
そもそも俺の部屋は独身者用の1DKの借り上げアパートだ。
しかし、今俺が寝ているのは畳敷きの部屋に様変わりしてしまっている。
広さも明らかに元の部屋よりも広くなっている。
幾ら酔ってたとは言え、寝る寸前までネットしてたんだぞ。
寝てる間に移動したんだとしたら、入院しなきゃいけないレベルで夢遊病だ。
もしも、仕事のストレスで夢遊病になったんだとしたら……会社訴えたら勝てるかなぁ。
全く……フランクフルトに連れてこられたアルムの少女じゃねーんだぞ。
と言うかまだ夢か?
古典的にも俺は頬を抓ってみる。
「いてぇ……」
どうやら夢と言う線は無さそうだ。
こうなってくると、俺は寝ている間に移動した事になる。
知らない間に知らない場所に移動してしまう原因なんか幾つも無いだろう。
一番可能性が高い原因は……
「鍵はかけない主義なんだよなぁ……」
完全に誘拐されてるよね、コレ。
まさか二十代後半に入ってから誘拐されるとは思わなかった。
お母さんの教えを守り知らないおじさんとかには絶対について行かなかったのに。
ヤバイ。マジでどうしよう。俺は必死に頭を回そうとするが
寝不足と状況変化についていけていない脳は空回りするばかりで、冷静に考えすら纏まらない。
とにかく立とう。寝たままじゃ、何かあった時に即座に対応出来ない。
幸いにも拘束はされていないようだ。
俺は布団の上に立ち上がり、周りを見渡す。
普通の和室。監禁には向かないように思える。
漫画ばかり入った本棚ややたら年季の入った学習机がある。
まるで学生の部屋……と言うか凄い見た事があるような……この部屋……
トントントンと襖の向こうから階段を誰かが上がってくる音が聞こえる。
足音はこちらにどんどん近づいて着ている……誘拐の首謀者でも現れるのか。
果たしてどんな思惑が有って俺を攫ったのか……どうしよう、ストーカーホモとか出てきたら。
俺は女にはもてないが、意外と男には好かれてしまうタイプなのだ。怖すぎる……
そして、俺の心の準備が終わる前に襖が開いた。
「あー、起きてたんだ。今日は早いねー」
現れたのは、少なくともホモのオッサンとかでは無い。
ショートカットの人懐っこそうな少女であった。俺は……彼女を知っている。
むしろ同世代の女性の中で、一番知っている存在だと言っても過言じゃない。
「もうご飯出来てるよー!」
それなのに俺は、彼女の言葉に反応する事が出来ない。
何故ならば、有り得ないからだ。彼女が、俺を起こしに来る等と言う事は。
やはり、俺はまだ夢の中にいるのだろう。確信を持って再び頬を抓る。
「いてぇ……」
「うーん?何してんの?まだ寝ぼけてるの?」
寝ぼけているのだろうか?判らない。
ここにコイツが居るという事自体が判らない。
だって……今、日本に彼女が居るはずが無いんだ。
「もう、しゃきっとしてよねユキト」
俺の目の前で呆れたような表情を浮かべている少女。
紹介しよう。彼女は大学卒業後海外で仕事をしているはずの双子の妹、桐嶋ユキコだ。
俺よりも出来の良い自慢の妹。彼女がここに居る理由が判らない。
「お、お前……何でここにいんの……?」
「え?起こしに来たからに決まってるでしょー?」
「あー……そ、そうか……うん、そうだよね。それしか無いよね」
「もー!良いから早く降りてきてよ。学校遅刻しちゃうよー」
「は?学校って……お前幾つだよ」
「はぁー。重症だねぇ。んん?怖い夢でも見たのかなユキト君
双子なんだから年齢は一緒でしょうが」
……だから言っているんだ。お前も俺と同時に就職したはずだろうが。
覚えてるぞ。年収比べをして、俺が凹んだ事も!
「まー、とにかく顔でも洗ってすっきりしたら早く降りてきてよー オムレツ冷めちゃうよー」
それだけ言い残すと、妹はまた軽妙な足取りで、階段を降りて行った。
判っている。別に俺もそこまで鈍感なわけじゃないんだ……何時までも夢だなんだと言うつもりは無い。
ただ状況整理に脳がついて行ってくれない。熱いコーヒーが欲しい。
俺は妹との思い出を少し思い返してみる。
最近、会った妹はもっとやさぐれていた。
お互いの仕事の愚痴を酒を飲みながら言い合った。
子供の頃は、楽しかったと言う話をずっとしていた。
さっきまで俺の目の前に居た妹は明らかに若さを感じた。
それは見た目だけではない。雰囲気も俺の知っている今のあいつでは無かった。
仕事に疲れた二十六歳の空気など全く纏っていない。
『一つでも試したらあなたはもう引き返せない可能性があります』
頭の中に、つい数時間前に見た一文が過ぎる。
あのブログに書かれていた事が、本当に実現可能だったとすれば。
時間を操る事が出来たとするならば……
「俺……まだ三十歳にはなってないんだけどなぁ」
独り言を呟く。まだ俺はピチピチの二十代だった。
彼女が出来ないからって、魔法が使えるようになるには、まだ数年早いでしょ……
もう一度俺は、部屋を見渡した。そこには懐かしい物が沢山有る。
間違いない。ここは俺の部屋だ。
但し、十年前の。