異世界での登校
「桐嶋さん!松井物産さんから納期短縮の依頼が入っています!」
「キリちゃーん、根田氏が見積もり早く欲しいってさー」
「桐嶋君。今度の会議資料なんだけど、君纏めといてくれ。今週中に」
「工場から、納期間に合わないから伸ばしてくれって言ってきてます」
全く、出来る営業マンは辛いね。やる事沢山で。
いや……無理だろ!俺のキャパシティ完全にオーバーしてるっての!!
もう嫌だ……仕事したくない。働きたくない。働いたら負けだ……
『だったら……良いじゃないか。この世界で生きて行けば』
誰だ?何を言ってる?
『少なくとも、前の世界よりは君向きだと思うよ。今のこの世界は』
良く分らない。頭が混乱している。
ああ……これもきっと夢なんだ。あれも全部夢なんだ。
起きたら普通に身支度して、電車と言う名の現代の奴隷船に揺られて会社に行くんだ。
そういや……根田氏の金曜日まで希望だった至急の見積もりやってあげなきゃなぁ……
『早く君も諦めてこの世界に適応しなよ。
空気を読むのはお手の物だろう?世界の空気を読みなよ。
おや?そろそろ時間のようだね。それじゃあ、また『ミエナイブログ』で会おうよ』
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ジリリリリリリリ
朝を告げる目覚ましの音がけたたましく鳴り響く。
今日は一発で止められた。寝る前に、止め易い位置に移動させたお蔭だ。
「一晩寝れば元に戻るか……」
脳は覚醒しきっていないが、一目で俺は理解した。
ここはまだ、俺の知らない理論が支配している10年前の異世界だ。
「淡い期待だったけど……簡単に打ち砕かれたなぁ」
余り目覚めも良くない。異世界に居ると言うのに見るのは会社の夢とは。
全く脳髄まで浸み込んでいる社畜魂には恐れ入る。
会社の事以外も何か夢に出ていたような気もするが、どうにも思い出せない。
夢なんて物には良く有る事だし、深く考えても仕方ないだろう。
さてと……残念ながら一晩経っても元の世界には戻れなかった事だし
今日はお腹痛い事にしないとな……
こう見えても俺は演技力には定評がある。飲み会で完全に泥酔したフリをする事で、
上司からの二次会の誘いを断り、更にタクシー使用の許可を得る事すらやってのけるポテンシャルを秘めている。
十年間で磨き上げられた渾身の演技の前には幾ら母や妹とは言え、真実を見抜く等と言う事は確実に不可能だろうと断言しよう。
まずは自己暗示からだ。
俺はお腹が痛い……お腹が痛い……朝ごはんも食べられない……体調が悪い……病は気から……病は気から……
「はよー!朝だよー」
「お、おお……おはよう……」
朝から元気なマイシスターが、昨日と同様に俺の部屋に突撃してくる。
しかし、一歩遅かったな。既に俺の自己暗示は完全に完成している。
このダルそうな演技。完全に死んでいる目。実際に痛いお腹。完璧過ぎるだろ。
こんなもん会社ですら早退させて……くれないな、多分。
「ほらほら、ご飯の時間だよー」
ちょっと待って気づいて、俺の迫真の演技。布団を無理矢理はがそうとしないで。
「いやさ……今日、ちょっと体調が悪いんだよね……」
見ろ。この目を。完全に死んだ目の魚でしょうが。
「う~ん……何時も通りじゃない?」
おいおい、高校時代も俺こんなに目が死んでいたっけ。
社会人になってから、社会の荒波に揉まれて徐々に死んだもんだと思ってたんだけど。
どうやら俺の目は生まれた時から死んでいたようだ。
完璧なはずのプランがいきなり崩れ始めている。落ち着け、ミスした時こそクールに対処するんだ。
「今日はエスケープダメだよー」
「は、はぁ?何言ってるの。ちょっと体調悪いだけだし」
凄い勢いでボロが出ているぞ俺。冷静になって俺。
「もー、ユキトは何か有るとすぐお腹痛いとか言うんだからー」
えぇー……もしかして既に仮病に信憑性無くなっているの。
何でサボっても何も言われない領域に到達しているのに仮病なんて使うんだ過去の俺。
そういうカードは未来の俺のために残しておいてくれよ。
「シュウちゃんに絶対に連れてきてくれって言われてるんだよねー」
あ、あの野郎……ユキコに手を回してやがったか……!
昨日の電話の内容で俺がエスケープするのを気が付いて先手を打ってくるとはやるなシュウ!
流石は、俺が認めた数少ないイケてるアニオタだ。
こうして、俺の腹痛工作はアッサリ失敗し、学校へと行く事になってしまった。
腹をくくるしかないのか……本当にくくりたく無いです。嫌な予感しか無いんだもの。
完全に自分のミスで商品の納期が1か月くらい遅れるから、上司と一緒に先方へ経緯の説明及び土下座しに行く時よりも精神的には辛い。
俺の思い等無視するかのように妹は勝手に俺のバッグへ、本日必要な教科書を詰めてくれている。
仮にそれらを持っていても何一つ理解出来ないのは、1百%明らかなのだが。
あれよあれよと言う間に、俺は普通に朝食をとり、身支度を終え、玄関の魔法陣の前に居た。
本当に……本当に行かなければならないのか。
そして、大丈夫なのかこの転送装置。俺、携帯電話やインターネットすら動かせなかったんだが、こんな大がかりな物が動いてくれるのか?
失敗して訳の分らない所に飛ばされたりしないよね?ホント怖い。
不登校の子が、久しぶりに学校に行くのの50倍くらい勇気がいる気がする。
「ほらほらー、早くー」
俺の心の叫びを理解する事も無く、妹は無慈悲に俺の背中を押した。
俺はよろけながら、転移魔法陣の上に移動する。一縷の望みは魔力が無いとこの魔法陣が動かない事だが……
そんな俺の思いは一瞬で砕かれた。俺が足を踏み入れるとすぐに魔法陣は昨日見たのと同じ淡い光を発し始めたのだ。
「よっと」
ユキコが軽いステップで魔法陣の中に入ってくるのが見えた。
そして、溢れだした光が俺たちを包むと、世界はぐにゃぐにゃに歪み始める。
せめて……せめて……壁の中に移動とかだけはやめてくれ。
俺はそう願う事しか、もう出来なかった。
どれくらいの時間が経過したのか良く分らない。
今まで味わった事の無い奇妙な感覚だ。
ぐにゃぐにゃだった周りの景色が徐々に固定されていく。
再構成された周りの景色は、まるで俺の記憶には無いものだった。
や、やはり全然違うところに来てしまったんじゃないか……?
「さー、今日も頑張りますかー」
後ろから聞きなれた明るい声が聞こえる。
「どうしたの?ボーっとして。まさか酔った?昔からユキト、転移苦手だもんねー」
「いや、大丈夫……確かにちょっと気持ち悪いけど……」
良かった。ユキコと一緒と言う事は全然知らない所に来た訳では無さそうだ。
今、俺の脚元には大型の魔法陣が広がっている、どういう理屈かは分らないが、
俺の家の魔法陣とこのバカでかい魔法陣が繋がっているのだろう。
これは魔力無でも発動出来るのだろうか?移動先の指定は?
帰りも普通にこの魔法陣に乗っかれば帰れるのか?
一つの行動をするだけで浮かぶクエッションの数が半端じゃない。
引継無で担当部署変えられて、全然知らない商品を売っている気分だ。
そんなもん客からしたら買えるかって話だよね。
改めて周りを良く見ると校舎の作り自体は、俺の知っている学校と似ているが
いかにも魔術的な装飾が、色んなところに見て取れる。
しかし、学外の景色が全くもって記憶には無いものへと変貌していた。
知らない建物が幾つも建っている。田舎町の公立高校であるはずの我が高校の周りが
こんなに栄えているのはおかしい。我が家から自転車で15分の位置にあったはずの高校は、全然違う場所に移動しているように思えた。
ここで、ユキコに質問すると、また面倒な事になりそうだ。色々な疑問はあるが、今は口を閉じる事にしよう。
もう自分の上履きがどこにあるのかすら覚えてない。
クラスは確か、2年6組だったと記憶しているが、席がどこかも分らない。
ただ、単に自分のクラスに行くだけの事すらままならない。
以外と、十年前に戻って自然に振る舞おうとするのって大変なんだなぁ。
こればかりは、魔術があろうが無かろうが、10年前にいきなり戻れば発生してしまう問題だろう。
十年前の事など、普通の人は事細かに記憶しているわけでは無いのだ。
俺の記憶力が特別悪いってわけじゃないはずだ。
そもそも仮に記憶していても俺のケースの場合は、記憶と同一とは限らない。
もう既に散々、俺の知らない理論で動いている世界を見せつけられている
幸いな事に下駄箱はクラスごとに分れており、しかも、それぞれにきちんと名前が書かれていた。
やはり、俺は2年6組所属のようだ。ユキコも、元の世界と同じように2年5組所属でクラスは違った。
俺はユキコに先に教室に行くように促すと、少し、下駄箱付近に待機し、周りの様子を伺う。目標は主に1年の下駄箱ゾーン……しかし、観月さんを発見する事は出来なかった。もう登校してしまったのだろうか。
未知の領域となったクラスに足を踏み入れる前に、同じ境遇の彼女ともう一度話しておきたかったのだが、中々上手い事行かないもんだ。世の中って世知辛い。
そんなに長い時間居たつもりは無いが、先ほどから、周りの学生が俺の方を見てヒソヒソ喋っている。
え?俺不審者?この学校の制服着てちょっと玄関口に立っていただけだよ。
それだけで不審者扱いされちゃう程のオーラ出しているの?
物凄く居心地が悪くなった俺は、意を決し、自分のクラスに向かう事にした。
なるべくHRギリギリに入ろう。
今の俺は、営業マンモード発動して固有スキル『コミュ障』を一時的に克服したとしても補いきれない程、この世界の常識を知ら無すぎる。
校舎内の構造は、多少の差異は有れど、10年前と殆ど変ってないように思えた。
十年前との最大の違いは教室までの道すがら、やたらと周りの視線を感じた事くらいか。
あの頃は、こんなに視線を感じた記憶は無い。
そんなに不審か、今の俺……流石に傷つくぞ。
予定通り、教室には八時二十分ちょっと前に到着した。
教室の中はガヤガヤと騒がしい。世界がおかしな事になっているのを差し引いても
久しぶりに高校生として、クラスに足を踏み入れるのは緊張した。余り覚えてない奴も多い。
大丈夫、高校時代は特に変な弄られ方はしていなかった……
それに、友人のシュウも友人としてちゃんと存在しているのは昨日の電話からも明らかだ。
呼吸を整え、俺は教室の扉を開く。
扉を開けた瞬間、自分の机の場所が分らない事を思い出したが、既に後の祭りだ。
俺が教室に足を踏み入れた瞬間に、ざわついていた教室は一気に静かになった。
……何ですかね、この空気。この世界の俺苛められてない?シカトされてる上に
良く分らない代表とやらまで押し付けて…… 心の弱い俺は、普通にお腹が痛くなるぞ。
どれ程の沈黙が有っただろうか。
状況を変えたのは、俺では無く、クラスの連中だった。
「うおおお!ユキト来たぞーー!!」
「キャー、桐嶋くーん」
「期待してるぞー!」
「我が校代表の力見せてやれー!」
「修行は終わったのー!?」
……は??何これ。思考がまるで追いつかない。
この歓迎は何なの?二年六組への入場一万人目のお客様とかなの俺。
「よっ!ちゃんと来たな!」
「あ、ああ……」
シュウが話しかけてくる。
電話越しでは無く、実際に会っても、その印象は俺の知っている高校時代のシュウに他ならなかった。
シュウは俺の胸辺りを軽く叩くと、とても良い笑顔で言い放った。
「今日の打ち合わせ頼むぜ!“混沌の支配者”!」
「………え」
……………………中学生の頃の俺に言いたい。
お前のしている妄想って実現すると絶対に死にたくなるぞ………と。
神様、これどういう虐めなのでしょうか。




