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07

 で、翌朝。


 私は目覚し時計が鳴る前に起きていた。というか眠れなかった。


 昨夜、部屋に戻ると宿題があるのを思い出し、早速取り掛かった。それで宿題は日付が替わって一時間ほど経った頃に終えることができ、適当な疲労感と眠気と共に布団の中に潜った。しかし、体の芯が妙に火照っている感じがして、その不快感から何度も寝返りをうってみたけれど、逆に目が冴えてしまった。それで、電気スタンドをベッドまで引っ張り込み、本棚から漫画の単行本を数冊持ってきて、うつ伏せに寝転んで読み始める。読んでいるうちに眠くなるだろうと思ったのだが、気が付けば窓のカーテンの隙間から朝の光が差し込んでいた。


「全然眠くならなかった……」


 眠れなかったのは仕方ないと思い、布団を退けてベッドから起き上がる。そして、枕元の電気スタンドと漫画を元の場所に戻すと、洗顔等を済ましに階下に下りる。


 トイレで用を済まし、洗面台で顔を洗っていると、若干疲労感が顔に出ている私が鏡に映っている。さすがに目元にはクマは出来てはいないが、眠れなかったせいで目尻が下がり気味。


 こりゃ、午前中の授業は机に突っ伏しそうな予感。


 などと考えつつ顔を洗い終えると、自分の部屋に戻りパジャマを脱ぎ捨てる。


 制服に着替えると鞄の教科書を入れ替え、バッグに下着やタオルなんかを入れていると、ベッドから目覚まし時計が鳴り、それがすぐに止むとベッドから軋み音が発せられる。間もなくしてドアの開く音がした。


 バッグのチャックを閉じ準備を終えて、荷物を玄関に置くと、ちょうど洗面所からお姉ちゃんが大きな欠伸あくびをしながら出てくる。


「あれ、美咲ちゃんがもう起きて制服に着替えてる――今日は雨か。傘を忘れないようにしないとな」


 いつもの半分くらいしか開いていないトロンとした目をして、お姉ちゃんはニヤついて妹をからかいながら階段を上がっていく。


 たしかに普段の私はお姉ちゃんよりも起きるのは遅いし、登校時間もギリギリだから、ああ言われても仕方ない。だから、今日のようにお姉ちゃんがパジャマ姿で私が制服姿であるのは珍しい光景といえるだろう。しかし、私だって最初から朝がギリギリの生活を送っていたわけではなく、高校入学時には目覚し時計が鳴ると共に起きて、余裕を持って登校をしていたのだ。だけど、徐々に目覚し時計の鳴る回数は増えていき、四月末には現在のような遅刻寸前の登校事情になっていた。


 行く準備を終えてリビングに入ると、すると両親にそろって目を丸くされ、中学のジャージ姿の歩美には不機嫌そうな表情でお姉ちゃんと同じようなことを言われる。


 私のいつもと違う行動は家族に若干の驚きをもたらしてしまったようだけど、それは些細なことで、それ以外は日常と変わることのない朝の風景なんだと思う。


 朝ご飯を食べ終えると、母親からお弁当を渡されバッグに入れる。


「忘れ物はない? お財布とハンカチはちゃんと持った?」


 母親に聞かれ、私は靴を履きながらスカートのポケットに手を入れ確認する。


「大丈夫、ちゃんと持ってるよ」


 バッグを肩に掛け、鞄を持つ。


「それじゃ、いってきます」


「はい、いってらっしゃい。気をつけてね」


 玄関で母親に見送られ、玄関ドアを開け外に出る。


 駅に向かう道すがら空を見上げると、灰色の雲が低く垂れ込み、今にも泣き出しそうな空模様をしていた。空気は湿りっ気を含み、どことなく爽やかさを感じがし、その雨が降る前の独特な匂いが数時間以内の降雨を予感させる。


 まあ、朝の天気予報で雨が降ることは言っていたけどね。


 自宅の最寄り駅から学校の最寄り駅までは三十分程度掛かり、最寄り駅から学校までは徒歩で二十分、バスで五分くらいの距離がある。普段の私は遅刻寸前ということもあり、駅から学校まではバスを利用している。しかし今日は時間も余裕があることもあり、たまには朝の通学路の様子をゆっくり見てみたい気分になり、約二十分のウォーキングコースを楽しむことにした。


 夕方は賑やかなのに朝にはシャッターが閉まり静かな商店街に、ランドセルを背負った小学生たちが集団登校をしている住宅街、それらバスに乗って普段は気に留めていなかった風景を通り抜け、我が学び舎のある田園地帯に入ってすぐの交差点で歩行者信号が赤に変わる。


 歩行者信号が赤から青に変わり横断歩道に一歩を踏み出そうとすると、後方から私の名前を呼ばれた。振り返ると、そこには美佳子がいた。美佳子は私が振り向いたことを確認すると頭に上で手を大きく振り、私も手を小さく振り返す。


「おはよ」


「おはよ」


 朝の挨拶を済ませると、二人そろって学校に向け足を進めはじめる。


「美咲がこんな時間にこんな所を歩いているとはね、雨でも――」


「降るよ。天気予報で言ってたからね。あと、それ、お姉ちゃんと歩美にも言われたから」


 声のトーンを落とし気味に答えると、美佳子は私とは対照的な明るい声で「っちぇ、つまんないの」と言った。


「でも、どういう心境の変化? 寝ぼすけの美咲が早起きなんて」


「いや、ただ単に眠れなかっただけだから。少し体が火照っちゃって」


「なんだぁ。あ、だからテンション低めなのね」


「まあ、ここにきて眠くなってるのは確かだけど。それにしても私って寝ぼすけというイメージがあるのかな?」


「あるかもね。わたし的には遅刻ギリギリというイメージもあるよね。朝、教室で廊下を走っていく美咲を見るのは、もう習慣と言っていいくらいだしね。見掛ける度に、また走ってるよ、って思うもん」


「別に遅刻はしていないんだしいいでしょ」


 まっ、そういう問題ではないのだけどね。


「だけど眠くなるのは、しょうがないんでしょ。魔力使うとその分、体力も消耗しちゃうんだから。昨日の事故の魔法師だって、あんだけ大きな魔法行動を単独でやれば、今頃は布団の中だろうし」


「そうなの? そんなに疲れるものなの魔法行動って」


「ごめん、今の大袈裟に言った。でも、だいぶ疲れるのは確かだよ。通常だと、あの規模の魔法は最低でも二、三人で行うものだから、昨日の魔法師の負担は結構大きかったと思うけどね」


「魔力を上手く使えるほど、体力の消耗は抑えられるみたいだけど」


「そうね。魔力制御の技量が高いほど疲労は抑えられるみたいだしね。もしかしたら案外平気だったりするのかもね、昨日の魔法師さん」


 美佳子は魔法関係の知識は私以上だけど、実際には能力者ではない。だから実感がなく、あくまで今まで知り得た情報や知識で事柄を推理するしかなく、それがもどかしくもあり、また楽しくもあるそうだ。うーん、変わってるよね?


「でも美咲はダメみたいだね。目蓋が半分閉じかかちゃってるし」


 そんな事はないと言いたいところではあるが、実際問題として急激に睡眠欲が膨れあがってきている。頭の働きは鈍くなりはじめ、視界がほんわかと彩色がまるで色鉛筆で風景を塗ったように見えてきた。


「う~ん、眠い。もう、今頃になって眠くなるなんて」


 眠気覚ましにと頬をパンッパンッと両手で叩いてみたけれど効果は薄く、だんだん眠気が強くなるにつれて気持ち良くなってくる。そのせいか足は雲の上でも歩いているかのごとく、足の情報が脳に半分も伝わっていないんじゃないかと思うくらい感触がふわふわとしている。もちろん足下はアスファルトなのだが。


「そうだ、鞄の中にガムが入ってるんだよね」


 美佳子は思い出したように鞄の中から長方形のガムのパッケージを取り出し、私に「これでも噛んでな。少しは眠気が飛ぶと思うよ」と笑顔で言いながら、その中の一枚をくれた。


「ありがと」


 もらったガムを噛みはじめると、口の中は息をする度にスースーし――というより、刺激が強すぎて舌や頬の裏が痛いくらいだ。だけど、そのおかげで目蓋は開き、身体の重さが戻ってくる。


「どう? 効くでしょ、それ。爽快感が五倍だから」


「ま、まあね。口ん中が痛いよ。だけど、これで学校に行く途中で眠る心配はなくなった」


「いくら何でも、それはあり得ないでしょ」


 冗談だと思ったのだろう、美佳子は微笑を浮かべながら言った。

「分かんないじゃん。ボヤ騒ぎを起こした私だよ、あり得ないとは言えないよ」


「心配症だなぁ、美咲は。あれは訓練を始めたばかりの頃であって、今は自分の魔力も身体に馴染んでここ一ヵ月は突然気を失う事もないんだし、大丈夫だって」


「そりゃ五月の初め頃と比べれば魔力は馴染んでると思うし、体力もついたよ。けどさ」


「大丈夫! もしもの時は私がおんぶして運んであげるからさ、安心したまえ」


 そりゃ不安がないといえば嘘になるけれど、まあ今はとりあえず、胸を張ってそう笑顔満開で言ってくれる幼馴染が隣にいることを感謝したい。だけど、それと眠気とは関係なくて、その後も眠気は強くなったり弱くなったりを繰り返し、昇降口で下駄箱に靴を入れ上履きに履き替えた頃には、重力が三倍にでもなったかのような身体が重く、強制終了寸前のパソコンのごとく思考能力はフリーズしそうなくらい処理速度が落ちている。


「頭がボーっとするし……めちゃくっちゃだるいよー」


 教室に向けて階段を上がっていく途中、額に手を当て呟いてしまう。


「ほら。あと少しだよ、頑張れ」


 もう眠すぎて頭の中は教室に着き次第、机に突っ伏すことだけを考えている。だから、美佳子の朝から元気な声は少々ウザかったりする。私の鞄を持ってもらっておいて言えた立場ではないことは重々承知しているつもり。普段であれば何とも思わないのだけどね。


「あー、教室が遠いよー」


 愚痴っぽく言いつつも、二階と三階の間の踊り場を通り、我がクラスのあるフロアの天井が見えた――と思ったら、階段を踏み外してしまう。


「あっ」


 思わす声が洩れる。


 右足が思ったよりも上がらず階段につまずき前のめりに倒れていく。どんどん顔が階段との距離を狭めていき、とっさに左足を前に出し踏ん張り、手すりに手を伸ばして、何とか階段と顔面との正面衝突を免れた。 


 ア、危なかったぁー。


 もしも、このまま倒れていたら階段より私へのダメージの方が大きかったのは確実なわけで、よく体が反応してくれたと思うが――というか、両手を前に出せばよかっただけなのではないか?


 そんな事を思いつつも異変は感じる。なんだか今の緊急事態のおかげで、脳への血流が多くなったのだろう頭の中がジンジンと熱く、一時的だろうけど眠気は軽減されている。


「大丈夫? 美咲」


 一段前を上がっていた美佳子は、上段から両手を膝について覗き込む姿勢している。


「その格好、見方によっては私のスカートの中を覗こうとしてる様に見えなくもないよね」


 美佳子は可笑しそうに言うと、二つの鞄を階段に置いて、よろめきながら立ち上がる私を支えてくれる。


「支えてくれて、ありがと」


「いえいえ、どういたしまして。まったく美咲は――」


 美佳子が喋り終えないうちに、いきなり私は強い目眩めまいに襲われ、同時に身体は急速に力を失っていく。すーっと意識が遠のき、平衡感覚も変調をきたし、まるで安全装置のないジェットコースターにでも乗っているかのように目の前の世界がグルグルと回りはじめる。この感覚は前にも感じたことがあるが、思い出そうにもいつの事だか思い出せない。


 声が響く。


 なんとか眼の焦点を合わせると、そこにはビックリしたような美佳子の顔があった。


「――」


 美佳子が口を動かし何かを言っている。音は届いているが、美佳子が何を言っているのか理解できないほどに雑音が耳の中いっぱいに響く。これが現実のものなのか、それとも幻影幻聴に分類されるものなのかは分からない。ただ、だんだん気持ち良くなってくる。いつからか背中らへんに温もりを感じる。その温もりは次第に全身を包み込み、さらに意識があやふやにさせ、耳の中の雑音も次第に遠くなっていく。


 はぁ、なんだろうこの感覚は。ぬるま湯の中に全身が包まれている感じがする。ただでさえ眠いのに、体中がほんわかしちゃうよ。これは、このまま気持ち良く眠れるなぁ。でもこの感覚も、前にどこかで――


 雑音が消え去り、五感のすべての感覚が現実の情報を感じ取れなくなった。どっちが上なのか、どっち下なのかも判らない。ただただ無音で何もない世界で漂っている感覚。その何もない世界に、私の意識は取り込まれるように消えていった。

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