06
下に降りてきた時、お風呂に入っていた妹の歩美は、私がカレーを食べ始めた頃にお風呂から出て二階の自分の部屋に戻っていた。その事は気が付いていたが、さっき着替えを取りにいった時に歩美の部屋に寄って、とりあえず確認しといた。
だって、最近の歩美は下手に刺激すると、すぐに不機嫌になるんだもん。一ヶ月ぐらい前、洗面所で鉢合わせした時なんか、私が裸だったにも関わらず、「なんで裸なのよ!」と怒鳴られたことがあった。お父さんならまだしも、姉妹である姉に対してである。
「うーん、理不尽だ」
これが反抗期というヤツなのだろうか。
私も中学時代は親に対して散々反抗してきたが――というか今も親に反抗する気持ちはあるのだが、けれど今は中学時代と比べて少しは落ち着いてきたと思っている。しかし、どういう訳か歩美は親に反抗することはほとんどなく、どちらかと言えば私に対してだけ反発しているように思う。それはたぶん、中学時代の私を見てきた結果なのかもしれない。
「軽蔑されちゃっているのかもなぁ」
そんな事を考えながらジャージや下着を脱いでいく。
脱いだパンツを洗濯物カゴに放り投げて、浴室の扉を開いて浴室に入る。
浴室に入ると、浴槽のフタを開けて、そこからお湯を汲んで身体を洗い始める。
身体を洗うためのタオルに石鹸をこすりタオルを泡立て、最初は右手、次は右腕という風に上半身を泡で包むと、下半身も同じようの泡で包んでいく。そんな感じで身体を泡まみれになった自分の身体が映る鏡に目が移る。
鏡の中の私は、鏡に映りこむ限りの頭から膝の辺りまで、本当に薄い緑色のオーラに包まれていた。だからといって特に驚くことではない。これは私が能力者である証拠みたいもので、感情が高ぶったり、少しハードな魔力の訓練の後なんかに魔力が発散され、こんな風にオーラとして見えることある。ただ、この薄いオーラは私みたいに少しでも魔力の訓練を受けた能力者であれば認知できるらしい。それは、さっきテレビで見たような大きな魔力の発動ならまだしも、私みたいに魔力を制御された状態で発散しても一般の人には認知できない、という事みたい。
「まるでホタルイカみたい。あーあ、これもちゃんと魔力コントロールができるようになれば、ぼーっと光る事もなくなるのだろうか。……怖いよ」
怖い。
何が怖いかと言えば、私の魔力が制御できなくなるのが怖い。
私の両手首には銀色の腕輪がしてある。これは自分の魔力がほとんどコントロールできない私の魔力を制御するためのもの。魔力の発散は、この腕輪が魔力を若干制御しきれなくなることで起こるらしいのだ。魔力の発散はこれまで何度か経験してきから驚くことはないが、もしも、このまま腕輪の働きが失われてしまい、魔力が暴走するのではと考えてしまうと、どうしようもなく不安な気持ちになる。
また誰かを傷つけてしまのではないかと――
「弱気になるな、わ・た・し!」
そう鏡の中の自分に言い聞かせ、頭からお湯を被る。
考えるのをやめて一気に髪の毛を洗い、湯船の温くなった湯に浸かる。
「ふっきゅ~」
魔力を使用し火照った体には、その温くなったお湯が心地いい。
そして、私は足を折り畳んで体を滑らして、顔以外を湯の中に沈める。
「怖いものは仕方がないじゃん。本音を言えば、今はできれば魔力なんて使いたくないし、今後も魔法は使えるようにならなくてもいいと思うよ、ほんと。……でも」
さっき母との会話とは大分違う発言だが、この独り言が本音なんだと思う――どんなに綺麗事を並べても、私の中にあるこのチカラに対する恐怖心は拭えない。
「だから私は、魔力の訓練の手を抜かないし、手を抜きたくないんだ」
怖いから。
自分の中のチカラがとてつもなく怖いから、魔力の訓練は手を抜けない。それは魔力を封印したとしても、一度活性化した魔力は完全には元の活性化する前には戻らない。つまり、もし魔力を封印できたとしても時間が経てば封印は絶対に解けてしまうらしい。まあ、封印が解ければ再び封印すればいいという事だったが、私はそうしなかった。
「だって、もしも前触れもまなく封印が解けたら……三ヶ月前の二の舞だから」
であれば、自分で魔力を制御できるようになった方が、気持ちが安心できると思った。でも、魔力の事を知れば知るほど怖くなる。もしこのまま魔力制御が上達しなかったら魔力の暴走もありうるのではないか、と考えると居ても立っても居られなくなる。
「全然前向きじゃないよなぁ」
その居ても立ってもいらない気持ちが、この三ヶ月間の、私の魔力訓練に対するモチベーションの維持に繋がっていたのだと最近思う。自分の魔力のせいで誰かを――大切な人達を傷つけないかという恐怖心に駆り立てられて。
できれば母親に言ったように、人の役に立ちたいから、と言う風に前向きな気持ちで魔力訓練をしなきゃいけないのだろうけれど、今の私にはそんな事を嘘吐いて言えたとしても、気持ちは到底前向きなものではないのだ。
「それなのに、樋口君にあんな偉そうなことを言っておきながら、自分はテレビの魔法師の人のように魔力を使うことは恐いのくせに、お母さんにはあんな嘘を吐いちゃった。ああ、私に樋口君を非難する資格ないや」
そう呟くと、目を瞑り、水面に出ていた顔も水中に潜らせる。
でも、嘘を吐くのは間違っていると思うし、できるだけ嘘を吐きたくないという気持ちは本物。本物だと思う。だけど、理想はそうであっても現実はそうもいかない。
それでも私は、いつか自分のチカラが恐くなくなる時がくるのだろうか……。
私はそこで考えるのを止めて、頭を水中から出す。
「はあ、今更こんな事を考えてもしょうがない。出よう」
今はできる事をやるしかないのだ。今はそれしか。
浴室から出るとバスタオルで身体を拭き、私の裸体が映る洗面台の鏡を見ると、もうオーラはまとっておらず、表面上は普通の十五歳の身体に見える。湿りっ気の含んだ短い髪、若干丸みを帯びた輪郭に釣り眼が特徴的な顔、身長が低けりゃ胸もあんまりない体、これが鏡に映る、どこにでもいそうな十五歳の高校生の姿――なんだけどね。
表面上はそうであっても、実際は違うのだ。
「それにしても、髪が短い自分の姿にも見慣れたもんだ」
耳全体を隠すまでに伸びた髪の毛を触りつつ、鏡の中の自分と睨めっこ。
男子並みに髪が短くて、男の子みたいだと言われたくらい短かった四月に比べれば、頑張れば後ろ髪が結えるくらいになり、多少は女の子らしくなったと思う。まあ、あの件以前は中学時代を通して美佳子と同じような長い髪だったから、最近でも時々、不意に窓ガラスに映った自分に違和感を覚えることがある。
だから髪が短くなった頃はすごく違和感があったのだ。髪が短くなっただけで鏡に映る自分が、自分自身でないように思えた。一応、自慢の長くて真っ直ぐな髪の毛だったから、それを切らなくてはならない時はそれなりにショックだった。
「でも、あの衝撃的に思えたことも、今となっては心がチクリと少々痛むくらいだもん。慣れちゃったんだろうな、髪の短い自分」
そう言う鏡の中の私は、悲しげにも笑顔にでも見える微妙な表情に思えた。
「変な顔」
そう呟き、鏡から目線を外すと、パンツを手に取りそれを穿く。
パジャマに着替えると洗面所を出て、喉が渇いたから台所に向かう。
冷蔵庫から麦茶の入った容器を取り出し、それを持って先程まで父親がうとうとしていたリビングのソファーに座ると、麦茶と一緒に持ってきたコップに麦茶を目一杯注ぎ入れ、それを一気に飲みほす。
「くー、冷え冷えー」
冷たい物を一気に飲んだせいで頭が痛くなったけれど、なぜかそれが可笑しくて自然と笑ってしまう。
「楽しそうですな、上の妹殿」
ソファーにもたれて上を向くと、お姉ちゃんが覗きこんでいた。
「麦茶? 麦茶飲んで酔うなんて珍しい体質してるね、美咲は」
などと言いつつ私の隣に座ると、私の使っていたコップに麦茶を注ぐ。
「麦茶で酔うわけないでしょ」
「そりゃそうだ」
お姉ちゃんは麦茶を飲みながら、リモコンで消えていたテレビ画面を点ける。
点けたチャンネルではスタジオと魔法協会を繋ぎ、さっきの高速道路の事故に関連して、若い男性魔法師が解説をしている。ただ、若い魔法師と表現したけれど、二十代半ばくらいだから私よりも十歳くらい年上という事になる。
「へー、雪乃彰さんか」
「お姉ちゃん、この人知ってるんだ」
「うん、まあ一応ね。最近、魔法関連での解説はこの雪乃彰さんの出番が多いよね。解説は解りやすいし、それにイケメンだから記憶に残るよね」
「イケメン、っか」
確かにカッコいい。黒いスーツにネクタイ姿に短め髪に整った顔立ち、はっきり言って好印象である。
「でも、どうして解説なんてしているんだろう。別に毎回事がある度に解説する必要あるのかな? お姉ちゃん、どう思う?」
能力者や魔法関連の事故や事件が起こると、魔法協会の魔法師がその事柄の原因、その事柄に対して、どのように対応したのか説明している。
「人は解らないものとかに恐怖心や疑心感を懐きやすいから、ちゃんと説明をして理解をしてもらうことで、魔法に対して変な誤解を生じないようにしてるみたいだよ。健祐くんから聞いた話によればね」
なんでそこで樋口君の名前が出てくるのよ。魔法関連の事を詳しいのは知っているけど、当事者の私よりも事情に精通しているなんて悔しい。っていうか、すごくムカつく。一応、私だって魔法関連の勉強をしているのに、一般人の樋口君のほうが物知りだなんて。
――でも、関係ないよな。今日の事と、樋口君が魔法のことを詳しいのは。
ダメだな、私。別に樋口君が悪いわけじゃないんだ。でも今日の事があるから、どうしても樋口君に対して感情的になっちゃう。もっと冷静にならなきゃいけないのに。
「変だなぁ、怒っている美咲ならここで健祐くんの悪口が飛んでくるのに」
ここで私は笑顔でお姉ちゃんの方を向く。
「いやだなぁ、お姉ちゃん。私だっていつまでも子供じゃないんだから、本当に怒っているからといって、すぐに悪口を口にはしませんよ」
「そうだよねー、もう子供ではないよね。であれば、明日には健祐くんと仲直りできるはずだよねぇ、だってもう子供じゃないんでしょー」
お姉ちゃんの表情は私をからかう様な笑顔をしている。
そもそも仲直りをするのに子供とか大人とか関係ないと思うが。
「そうだね、仲直りしなきゃだよね。うん、分かってる」
私がそう言うと、お姉ちゃんは私の二の腕らへんを叩いた。
「素直すぎだよ、美咲ちゃん。本当に私の妹の籠宮美咲かい」
お姉ちゃんは私を押し倒し、お腹の上に跨ると、私の頬を両手で引っ張る。まるでアニメに出てくる変装する怪盗を調べる刑事のごとく、頬っぺたをグニグニと弄くりまわす。しかも、楽しそうに。
お姉ちゃんに抵抗しつつもオモチャにされていると、なんとなくテレビに目が向いた。
〈――我々魔法師は、市民皆さんのためにあるのだと自負しています。ですから、これからも皆さんの信頼にたる魔法協会であり続けたいと思います〉
テレビの中の青年魔法師は爽やかな笑顔で言いうと、キャスターは話をしめ始める。
目を戻すと、お姉ちゃんは私の頬を弄るのを止めていて、ジーっと私の顔を見つめていて、その見つめる瞳と目が合う。
「なに?」
「いや、髪の毛が伸びたなぁと思いまして」
お姉ちゃんはそっと私の前髪をかき上げる。
「少し前までボーイッシュな感じだったのに、今は結構女の子らしくなったよね」
「急に何を言うの?」
「別に思ったままを口に出したまでだよ、上の妹君」
お姉ちゃんは私の髪の毛をいじり終えると、再び口を開く。
「しかし美咲ちゃん、髪が伸びてきて不格好になりつつあるから美容院行った方がいいよ。ちゃんと身だしなみを気にしないと彼氏に嫌われちゃうぞ」
そう言うとお姉ちゃんはニコッと笑みを浮かべ、ゆっくりと体を起こす。
「仕方ないでしょ、忙しくて行く時間がないんだから。おかげでろくにデートもできないんだからね。それでも、浩市くんは少しくらい髪の毛が不格好でも私の事を嫌いにはならないもんね」
「あら、すごい自信だことで」
「違うよ、お姉ちゃん。私に自信なんてないよ。あるの浩市くんへの信頼だけ」
今の私には自信と呼べるものはない。
それは恋愛においては自分のチャームポイントの少なさもそうだけど(まあ、それは以前から変わらないのだけど)、大きな要因は私自身が置かれている現状にあると思う。三ヵ月前の事件で私の世界は大きく変わったし、私自身も変わった。事件から間もない四月の頃は、いつ自分の魔力が暴走するかもという恐怖心から臆病にもなった。その恐怖心は今でも私の中に存在する。だけど、浩市くんはこんな私でも『一番好き』だと言ってくれたんだ。大好きな人のそんな言葉があったら私は前を向ける。自分に自信がなくても、浩市くんのそんな言葉があれば第一歩だって踏み出せるし、だからこの二ヵ月は魔力の訓練にだって頑張ってこれたんだ。
「ふーん、信頼かぁ。そうだね、福山君は美咲ちゃんが一番辛い時期によく支えてくれたと思うよ、ホントに。うん、いい彼氏を持ったもんだ」
「でしょ。浩市くんは私にはもったいないくらいの彼氏だもん」
「もうニヤニヤ顔だし。本当に好きなんだね、彼の事」
お姉ちゃんのストレートな物言いに、私は顔を背けて頷くことしか出来なかった。
「はいはい、ごちそうさま。精々、その大好きな彼を大切にしなさいよ」
お姉ちゃんはそう言いながらソファーから立ち上がると、コップの中に残った麦茶を飲み干した。そして、コップをテーブルの上に置く。
「失ってからじゃ遅いんだから――あっ、それは友達も同じか。という訳だから、さっさと健祐くんと仲直りしちゃいなよ。まっ、仲直りする気があるならだけど」
「余計なお世話」
「だよねー。私もそう思った。どうするかは美咲が決めることだ、これ以上は言わないよ。さてと、お風呂にでも入ってきますか」
お姉ちゃんは頭の上で手を組んで全身で一度ノビをしてから、部屋を出ていった。
樋口君と仲直りかぁ。
正直言って私から仲直りをするのは何か釈然としないけど、私も言い過ぎてしまったところもあるし、私から謝ってもいいとも思っていたりする――正直、ムカつくけど。しかし考え方がまったく同じという人なんていない訳だし、友達でも意見の衝突は仕方ないんだろうとも思う。それに、幼馴染の美佳子とも中学時代は結構言い合いを繰り返したから、そう思うのかもしれない。でも仲直りに重要なのは衝突してしまった相手の意見を、自分の中でどう折り合いを着けるかなんだけれど、一人で考えて折り合いが着く場合もあるけど、多くの場合は相手とちゃんと話し合わないと折り合えない私だったりする。
「はあ、明日ちゃんと樋口君と話しをしないと。まあ、話しをしてくれればだけど」
体を起こすと、コップに麦茶を目いっぱい注いで、それを一気に飲み干す。
「さてと宿題やって、とっとと寝ますかな」
コップを流し台に片づけ、リビングの明かりを消してから自分の部屋に戻った。