05
ドアを閉める。お弁当箱とかを抱えて部屋を出た。
トントントンと階段を降りて、汚れ物を置きに洗面所へと向かう。
洗面所の扉の曇りガラスからは明かりが漏れている。中に誰かいるのかと思い、そっと引き戸を横に開けた。結果、中には誰も居らず、浴室の灯りが点いていた。誰かがお風呂に入っているみたい。
洗面所に入って洗濯物カゴを覗くと、しわくちゃになった妹の洋服とかが表裏になって入れられていた。どうやら入浴中なのは妹の歩美らしい。
私は洗濯物カゴにビニール袋の口を下に向け、ほんのりと汗臭さが漂ってきそうな湿りっ気を含んだ汚れ物を出す。
漂ってきそうなだけで、決して臭ってはいませんから! ……たぶん。
いや、汗臭いのは否定できないかな、うん。
汚れ物を洗濯物カゴに入れてビニール袋を折り畳み、洗面所を出てリビングの扉を開く。
リビングでは父親がソファーに座った状態で眠っていた。テーブルには缶ビールの缶とコップに半分残ったビール、空のお皿が二枚置いてあった。それらを横目に見つつ台所に向かい、お弁当箱の包みを解いて弁当箱を流し台に放り込む。すると洗い物の水が飛び散った。
「こらっ」
その声に少し驚きつつ振り向くと、そこには母親がいた。
「そうやって放り投げるものではないでしょ、まったく」
「だってぇ」
「『だってぇ』じゃない。もし下のお皿が割れたらどうするの? そのお皿を誰かが片付ける時に怪我しちゃうかもしれないよ。それは美咲かもしれないのだし、ちょっとは丁寧にしなさい。分かった?」
「はぁい」
「はあ、まったく。それで、晩ご飯食べるよね? カレーだけど」
「もちろん」
笑顔でお弁当の包みを母親に渡して、ダイニングテーブルの椅子に座る。
母親がガスコンロでカレーが入った鍋を温めはじめる。
母親に温めてもらわなくてもカレーを温めるくらいなら自分でやれるけど、ここ三ヶ月で数回ほど鍋を焦がしているからそこら辺の信用がガタ落ちだったりする。まあ、どうして焦がしてしまったかといえば、鍋を火に掛けているときに目を離していまい――というか、いつの間にか眠ってしまい焦がしてしまった。しかも、その内一回は危うく家を火事にするところだった。
ありがとう、火災警報機。ありがとう、消火器。
で、魔力制御訓練を行った日は、私に限りガスコンロ使用禁止という事が家族会議により全会一致で決まりました、とさ。
はあ、疲れていたとはいえ自分でも思いがけないほどの大失態をやった。あの時のことを思い出すと、背筋が寒くなり、何とも言い表し難いほどの大きな自己嫌悪が襲ってくるよ。
私は危うく襲って来そうな自己嫌悪から逃れるために 点けっぱなしになっていたリビングのテレビに目を向ける。ってか、こういう事を考えている時点で自己嫌悪気味だったりするが、そこは気にしたら負けということで気にしないことにしよう。
それで目を向けたテレビではニュース番組がやっており、あんまりというか全然興味のない政治関連のニュースがやっていた。そのニュースはある法案をめぐってのもので、それをボーっと眺める。
「今日は何かあった?」
テレビを何も考えずに眺めていると、鍋のカレーをかき混ぜている母親が訊かれ、
「別になんにもないよ。まあ変わった事といえば、美佳子とケーキ屋に一緒に行ったことくらいかな」
頬杖をつき、そのままテレビを見つめつつ答える。
樋口君との事は特に言わない、というか言いたくない。
反省はしていても気持ちの整理がつかない、まだまだ未熟な十五歳なのだ――ってか。
「それでそのケーキ屋さんのケーキは美味しかった?」
「美味しかったよ。私の頼んだショートケーキも良かったけど、美佳子のお気に入りのチョコケーキを一口もらったんだけど、それがめちゃくっちゃ良かったよ。ムースとスポンジの合わさった感じが結構美味しかった」
「それはよかったね。そろそろカレー温まるから、お皿にご飯よそりなさい」
「あ、うん」
席を離れ、食器棚から皿を取り出し、炊飯器の蓋を開けてご飯を皿に盛り、その上にドバドバっとカレーをかける。席に戻り、箸立てからスプーンを取り出し、それでカレーとご飯をかき混ぜて口に運ぶ。
「福神漬け、よかったらどうぞ」
そう言いつつ母親は、福神漬けの入った小鉢をカレーの入った皿の近くに置いて、私の向かい側に座り、コーヒーに入ったコップを自分の前に置いた。
「どう、美味しい?」
「うん、美味しいよ」
そう答えると母親は嬉しそうな表情を浮かべる。
うちのカレーのお肉は鶏のひき肉で、野菜系の具材を細かく切り刻んである。作りたての時は辛うじて具材は形を保っているが、翌日にはカレーに溶けちゃって色合いで人参がなんとか判るくらいだ。それが野菜とかの旨みが出て、カレーの辛みがまろやかになって私的には一晩置いたほうが好きではあるが、いま食べているのも少し辛いけど悪くはない。
まあ一言で言えば、とろみの強いスープのようなカレーなのだ。
そのカレーライスを半分食べたところで、急にテレビが騒がしくなった。
画面にいくつもの赤いものが点滅し、画面の中央にはオレンジ色の炎が映しだされ、次の瞬間――そのオレンジ色の炎が急激に膨張した。が、それと同時、その膨張する炎を鮮やかな緑色の幕が包み込み、急激に膨張する炎を押さえ込んだ。という映像が流れたあと映像がスタジオに戻り、アナウンサーがさっきの映像について説明する。
説明によれば、どこかの高速道路で事故があり、それにより可燃性の高い物質が漏れ出し引火、爆発した。でも、それを現場いた魔法師が爆発の威力を弱め、その爆発による被害を最小限に抑えた、という事らしい。
「すごいわね、この魔法師の人。一人で爆発の威力を抑えるなんて」
母親はテレビを見ながら感心深げに言った。
「ねえ、お母さん。もしも、私があんな風に魔法を使えたらいいと思う?」
何気なく口をついた質問。特に意味はない。
「そうね、あんな風に魔法を人のために行使するのはいい事だよね。偉いと思う。ただ、母親としてはあんな事故の現場みたいな怪我とかを負いそうな所には、美咲自身の能力が上手く使えるようになったとしても、美咲にはそういう所には行ってほしくないかな」
「そう」
まあ、私があんな風にテレビで報道されるような魔法師になれるとは思えないけど。
「美咲はどう思っているの? 魔法をあんな風に上手く使えるようになりたい?」
やや間を置いて、穏やかな表情の母親に真っ直ぐ見つめられて訊かれた。
ニュース番組は話題が変わり、芸能関連のことを取り上げていた。
「そりゃ、上手くはなりたいよ。せっかく授かった能力だからね。それで、さっきの魔法師の人みたく、人の役に立てたらいいなって思うよ」
ハッキリそう言って、残っていたカレーライスを一気に口の中にかき込む。
母親は私の答えを聞くと、ニコッと笑顔になり、
「そう思うのは立派だよ。だけど、無理はしないでね。美咲が怪我とかしたら、お母さん悲しいから。だから疲れている時は、疲れた、と言ってもいいんだからね。それで休んだからといって誰も怒らないからね。限界まで頑張らなくてもいいんだよ、分かった?」
「分かってるよ、お母さん。前にも同じようなこと言ったし」
「それだけ美咲が大切に想っているという事だよ」
そう面と向かって言われると結構恥ずかしいものがある。
「あー、今の歩美とお姉ちゃん言っちゃうぞ」
照れ隠し――にはなっていない、っか。
「別に構わないわよ。里香も歩美も美咲と同じように大切だと伝えるからね」
やっぱり母親には敵わないなぁ、と思う。
「でもまあ、美咲がやる気があるなら無理をしない程度に頑張りな。お母さんとお父さんは何があっても美咲の味方だし、応援もするし、協力もしちゃうよ。これだけは忘れないでね」
「うん、分かった」
そう私が頷く。
「それじゃ、お父さんを起こして寝室に連れて行きますか」
母親はそう言うとソファーで眠っている父親を起こして、両親の寝室に向かった。
残された私は食器を流しに片付けて、二階の自分の部屋で下着とパジャマを取り、お風呂に入るために洗面所に向かう。