33
木曜日から金曜日へと替わる頃。
私はベッドに寝ながら、点いていない天井の電灯を眺める。
あの後、私の意識が戻った事を知らされた母親と女性医師が病室に入ってきた。私と顔を合わせると母親はホッとしたような顔をして、私が診察を受けているのを見守った。その後、魔法協会の中井さんがお見えになり、体調の話やら、近いうちに今回の件について話を聞かせてもらうとか、そういう話をしていきました。そして、病院の消灯時間になる前に母親とお姉ちゃんは家に帰っていきました。
という訳で、私は薄暗い病室に独りぼっちだったりします。
だけど、独りで寝ていると考えなくていい事まで考えてしまう。
たぶん今回の件も標的は私だったのだと思う。それで樋口君を巻き込んでしまったのだけど、もしもこれが浩市くんだったらと考えてしまうと心の底から恐怖心が溢れだしてくる。大好きな人を目の前で失っていたかもしれない恐怖や、大切な人を危険な目に遭わせてしまったかもしれない恐怖が堂々巡りして、いずれにしてもとある結論に行きついてしまう。
「このまま私と付き合っていたら、浩市くんを危険な目に遭わせてしまうんじゃないの? だったら、このまま会わない方がいいんじゃ……」
声に出してしまうと急に寂しさが押し寄せてくる。
「今すぐ会いたいよぉ……コウちゃん」
「会えばいいじゃん、会いたいならさ」
ベッドを囲うカーテンの外から、突然聞き覚えのある声がした。。
「なんだ……樋口君か」
「すいませんねー、彼氏さんじゃなくて」
言いながらカーテンを開く樋口君の姿は、ジャケットを羽織った本来の制服姿にリュックを背負って、いつもとは違うメガネをしている。そして、額を覆う包帯に目がいく。
「あのー、面会時間はとっくに過ぎているんですけどね」
いつもの樋口君と変わらない顔が見れて、すごく安心した。
「知ってる。だから一応、当直の看護師さんには一声掛けてきた。あと、ここに来ることは美咲さんのご両親も承知済みだから」
「根回しが良いことで」
樋口君は背負っていたリュックを抱えるようにしてベッドわきの椅子に座る。
「それでなんなの、こんな夜中に女の子が一人の病室に来た理由は」
「もちろん用事があったかた来たんだけど。まあ小説ならこの状況、供に危険を潜りぬけた男女が病室で二人っきりというのはキスシーンとかありそうだよね。もしかしたら、それ以上のことも――」
樋口君はそう言うと悪い事を考えていそうな笑顔を浮かべる。
「なにそれ、私にキスしてほしいの?」
私が布団で顔半分を隠しながら言うと、樋口君は力が抜けたように笑う。
「そんなの冗談に決まってるじゃん。ただねえ、もしも三日前の事件がフィクションなんかだったらキスシーンで物語は終わりになるんだろうなぁ、とか思っちゃうんだよね。それが現実逃避だと分かっていても」
樋口君は溜息を吐く。
「現実はさ、あんな事があったあとでも日常は普通に過ぎていくんだから、堪らないよ。それに、あれから三日経ったのに全然気持ちの整理ができないしさ……って、美咲さんになに愚痴っているんだ」
がくんと俯く樋口君は、私と変わらない十五歳の男の子に見える。
「樋口君も気持ちの整理ができないんだね。そういう精神的に落ち着かないの、私だけじゃなくてなんか安心した」
「今なら初めて出会った頃の美咲さんの気持ちが分かるような気がする。怖いよね。外に出るときなんか、周りの人を疑っちゃって慎重にならざるを得ないしさ。本や講習で被害者心理は解っていたつもりだったけど、全然解っていなかったんだ」
俯いたまま樋口君は、「こんなに辛いなんて」と呟いた。
「ねえ、樋口君。私はさ、あそこで樋口君が涙を零すまで、能力者に大きすぎる理想を描いていたんだよ。正義の味方で完璧超人みたいな感じでさ。でも今回のことで思い知ったよ、能力者も人間に過ぎないんだな、って――」
だから不安な気持ちになってしまう。能力者に対して過信していた部分があったからこそ、三月の事件以前の意識のままでいられたんだ。けれど今回の件で思い知った。私自身の命が狙われている事、私のせいで周りの人に危険な目に遭わせてしまう事を。さらに今回は、同じ能力者や魔法協会の人まで自分の命が狙ってきた。それは今まで絶対的に信用していた中井さんや麻生さんへの信用までも打ち砕かき、もう誰を信じていいのか分からなくなってしまった。
「その立場になってみないと解らない事はある。そういうこと?」
言葉が詰まった私の代わりに、樋口君が言葉を紡いだ。
「う、うん、そういう事だよ。私でよければ話ぐらい聞いてあげるよ」
そう答えながらも私は、目の前の樋口君さえも信じられないでいる。
「さっきまで弱音を吐いていた人に言われてもなぁ、頼りないよねー」
樋口君は面を上げると、弱々しく微笑んだ。
「でも、ありがと。少し元気が出てきた――ん! そうじゃなくて、なんで僕が美咲さんに励まされているんだ。僕の方が励ましに来たのに」
「へー、樋口君は私を励ましに来たんだぁ。それじゃあ、さっきの言葉を丸々樋口君にお返ししましょう。さっきまで弱音吐いてた人に言われても頼りないぞー」
「ごもっとも。返す言葉もございません」
樋口君は座ったまま頭を下げた。そして、いきなり笑いだすとお腹を抱えながら背もたれに体を預けた。それに私もなぜかつられてしまい、声出して笑ってしまった。
そして、私たちの笑い声を聞きつけた看護師さんに怒られた。
看護師さんが戻っていくと、病室に静寂が訪れた。
私はベッドを操作し、ベッドに寄り掛かったまま上半身を起こす。そして、樋口君を見つめると、ちゃんと樋口君と仲直りするために口を開く。
「ねえ、樋口君。樋口君はどうして私の報告書を書くことを引き受けたの?」
自分で言っといてなんだけど、静かな病室に私の声が響いた感じがした。
「お姉ちゃんから聞いたんだ。樋口君が報告書を書くかどうか迷っていたって。だから、どうして? どうして樋口君は私の報告書を書こうと思ったの。それが分からないと、私……信用できない、樋口君を」
樋口君は茶目っ気がある笑みを浮かべる。
「信用できない、っか。ふーん、少し残念かな、あの危険な状況から一緒に助かった友人に信用してもらえないというのは」
「ごめん……でも私、このまま有耶無耶にして付き合っていけるほど器用じゃないから、できれば樋口君の考えを聞かせてほしい、です」
樋口君は一度目線を落とし大きく息を吐いて、再び目線をこちらに向ける。
「美咲さん。僕は美咲さんのことは大切な友人だと思っている。それだけは解ってほしい。その上で僕の考えを言えば、あの報告書は美咲さんの為だったとしか言えない。そりゃ友人の親しい人の報告書を書くのは気持ちのいいものではないけれど、それでも能力者である君を普通の学生生活を送ってもらうには誰かがやらなきゃいけない役目なんだ。どうしてそんな役目が必要かは馬鹿でもない限り分かるだろうけど、僕たちの力は簡単に人を傷つける事ができてしまうからだ。美咲さんにそのつもりがないだろうけど、それを心配する人間は少なからずいるんだよ。だから、その心配が無い事を示すための一環だと思ってくれませんか? お願いします」
樋口君は淡々と話すと、突然頭を下げた。
「ねえ樋口君、たしかに考えを聞きたいって言ったけどさ、なんでそんなに仰々しいの。私の知りたいのは樋口君の気持ちというか、どうして樋口君は引き受けたの?」
「僕の気持ち? 引き受けた理由?」
顔を上げると樋口君は一度目をそむけ、再び私を真っ直ぐ見つめた。
「そんなの、美咲さんが僕にとって大切な友人だからに決まってるじゃん。それ以外にあんな面倒な事を引き受ける理由はないよ。いくら麻生さんに頼まれ事でもね」
「でも、その大切な友人を樋口君は見捨てようとしたんだよね?」
私の一言で、静まり返る病室。
内心では、そんな事を言うつもりではなかったと言う自分と、それを訊かないでどうするのと言う自分もいた。つまりは怖かったのだ、それを訊いてしまう事で樋口君との関係が壊れることも、また同じ場面があった時には今度こそ置いて行かれるのではという恐怖心もあった。そして言った瞬間、『ズルいな私』と思った。
巻き込まれただけの樋口君を責めたって仕方ないのに。
それでも誰かを責めたくて、目に見えて分かりやすいところに矛先が向けた私。
私と樋口君が向き合ったまま黙っている病室に、樋口君がしている腕時計の電子音が鳴り、昨日が終わり、今日が始まったことを告げた。
「……ごめん。僕は弱い人間だから」
電子音が止むと、樋口君は俯き加減になり、そう口を開いた。
「あんな緊迫した状況で自分一人だけ助かりたいと思ったんだ。美咲さんは足手まといだと思った。でもね、黙って見捨てる度胸もなかったんだ。だから、あんな事を言った。でも今はそれで良かったと思っているんだ。君に『生きたい』って言ってもらえたから、君を見捨てずに済んだから。この二日、もしも君をあのまま見捨てていたか思うだけで、僕が怖くてしょうがないんだ」
樋口君は膝の上で手を組む。
「自分が犯そうとした過ちを思い出す度に心が痛み、また同じような事が起こったら今度は見捨ててしまうんじゃないかって、どうしようもなく怖いんだ。自分のせいで大切なものを失っていたかもしれない、そして失った時のことを考えちゃうと怖いんだよ、どうしようもなく」
そこで樋口君は顔を上げた。その表情は今にも泣きだしてしまいそうだと思えるほどに弱々しい。
「それに本当は怖かったんだ、いつ美咲さんからその話が出るんじゃないかって。この二日間、君が忘れていてくれていたらとか、もしも憶えていたら君にどう言い訳するかとか、考えてさ――」
「ねえ。樋口君は何にも悪くないのに、なんでそんなに卑屈になるのっ?」
あまりにも樋口君が目に見えて落ち込んでいくものだから、つい言葉が強くなる。
「まあ、いつもなら自分の正当性を押し通すところなんだろうけど、マジで気持ちの整理ができてないからねー。たぶん、気持ちの一端を誰かに聞いてほしかったのかもね」
樋口君は弱々しい笑みを浮かべる。そして椅子から立ち上がる。
「今日は帰るよ。美咲さんの顔が見れてよかった。それと、僕はこういう人間だから信用は出来ないかもしれないけど、僕は美咲さんと友達関係をこれからも続けたいと思っているからね。とりあえず、それだけは伝えておくよ」
「待って」
呼び止めたからには何かを言わないといけないのに言葉が出てこない。
私の言葉を待つ樋口君は、帰ろうとしていた姿勢から、再び私に向き直る。
「なに?」
「樋口君は悪くないよ。樋口君は私を精一杯守ってくれたし、守ろうとしてくれた。それは解っているの。感謝もしているの。それに、そういう事を友達だからといって、そう簡単にできるものではないという事も頭では分かっているつもり。だけど……だけど、私も気持ちの整理ができていなくて、うん、報告書のことも頭では理解できているの、でも気持ち的には折り合いがつけられなくて、だから、でも、樋口君を信用はしているの。友達以上に信頼もしているの。だけど……」
口から流れ打って出る言葉、それら一言一言が私の本音。
「時間をください。少しの間でいいから私と距離を置いてください。私の気持ちの整理が出来るまで。お願いします」
私は頭を下げる。
「樋口君はいい友達だし、良き相談相手だよ。でも、今回の事を一緒に経験しちゃった。樋口君の顔を見ていると思い出しちゃうんだ、怖かった事を。これが逃げている事だって解っているの。でも、今はダメみたいなんだ。普段と変わらないように喋ってみたけど、辛くってさ。自分が樋口君を巻き込んだのに、樋口君を責めちゃうし、私は最低だ」
いったい私は何を言っているのだろう。これじゃあ、何にも問題の解決にはならないじゃないか。早く訂正しないと。でも、何を訂正すればいい?
「分かったよ。学校では極力美咲さんとは話さないようにする。それでいいかい?」
私は頷き、「ごめん」と呟くことしかできなかった。
「謝らないでいいよ。顔を合わせたくない気持ちは何となく分かるから」
樋口君の足音が近づいてきて、そして止まる。
「美咲さん。気持ちの整理ができたら、またケンカでもしよう」
私は思わず顔を上げる。そこには樋口君の優しい笑顔があった。
「いやー樋口君、それはどうだろ。決め台詞としてはイマイチのような気がするよ」
私は無理やり笑顔を作り、そう言うのが限界だった。
「イマイチかぁ――でもまあ、美咲さんに嫌われてないって分かっただけでも良かったよ」
「へー、樋口君は私に嫌われていると思っていたんだ」
「うん。事件の前に言い合いをしちゃったからね、口は利いてもらえなくても仕方ないと思っていたよ」
そう思うのは当然なのかもしれない。月曜日の私は樋口君を完全に無視していたのだから。今、月曜日の私を思い出すと、なんて子供っぽい態度を取っていたんだろう。
「うーん」
うーわ、子供っぽい態度だと自覚した瞬間、胸を掻き毟りたくなるよ。同時に子供っぽい自分が許せなくなった。
「どうしたの?」
「なんでもないっ! 本当になんでもないから」
樋口君は不思議そうな表情を一瞬浮かべ、すぐに微笑む。
「そう。んじゃ、僕はそろそろ本当に帰ります。またこうやって面を向かって話しができる事を楽しみにしてるよ。それじゃ僕からは当分の間、美咲さんには話し掛けないから、僕とまた話したくなったら一声掛けてくださいな」
樋口君は片方の手を振りながら出口に向かう。
「樋口君はそれでいいの? 私の気持ちを優先させてくれて」
そう問い掛けると、樋口君は立ち止まり顔だけこっちに向ける。
「事件の事を思い出すのは美咲さんだけじゃないからね。それに友人が嫌がる事は出来るだけやりたくないからね、僕は。これは本当のこと」
「そう。おやすみっ。今日は来てくれて、ありがとっ」
私の強がりを聞くと、樋口君は優しい表情で私を見つめた。
「おやすみ、美咲さん。ああ、悩むぐらいなら彼と会っちゃえばいいんじゃない?」
「大きなお世話」
「それは分かっているけど、自分が好きになった人を――自分を好きになってくれた人を信頼しても大丈夫じゃない? まあ、最終的にどうするかを決めるのは君たちだけどね」
「うるさい、そんなこと分かってるもん。だいいち、私たちの事なんだかた樋口君には関係ないでしょ。帰るなら帰ればいいでしょ」
「それもそうだね。それじゃ、またね」
私が怪訝な態度を取ったのにも係わらず、樋口君は表情を変えることなく病室を出て行った。閉まっていく扉を見ながら私は、相変わらず何を考えているのか解らないなぁ、と思う。
廊下から響く樋口君の足音がだんだん小さくなっていき、やがて聞こえなくなった。
ベッドに力を抜いた身体を預ける。
「あんな事を言うつもりはなかったのになぁ」
あんな事――それは当分の間樋口君の顔を見たくないと言ってしまった事。
だけど本当に知りたかった事は、樋口君が私の友達という役割を演じているだけじゃないか、という不安。また、私がこういう立場になければ樋口君は私と――籠宮美咲とは友達にはなってはくれなかったのではという疑念。
「はあ、信じたり疑ってみたり……正直に訊いちゃえばよかったのかなぁ? うーん、なに怖がっているんだろう、私は」
ベッドを戻し、体を丸めて頭まで布団をかぶる。
私にとって樋口君は大切な友達である。それは一緒に危ない目に遭ったり、ケンカしたからといって、その関係は今も変わらない。たぶん、これからも変わらない。だけど、いつもの私なら茶目っ気たっぷりに訊けるはずなのに、今は友達関係が壊れてしまうのではないかと怖がっている。
「信じたいのに、信じられない。信じているのに、信じていない」
私は本当に樋口君の友達なんだろうか?




