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とまあ、息巻えて教室に戻ったわけだけど、樋口君と話すことも何も出来ずに放課後になりました。結局、私は樋口君とやりあって傷つきたくないという想いから、正面からぶつかる事を逃げてしまったのでした。
それで今はといえば、魔力制御訓練を終えて校門から出るところだったりします。
魔力訓練は中井さんが急用とかで、その代役として斎藤準魔法師が指導してくれました。斎藤さんは三十歳くらいの女性で、指導態度は中井さんと比べると厳しめで、少しだけ泣きそうになってしまいました。
高校入学時、今の時刻なら暗くなっていた駅までの通学路も、今の時期には夕焼けのオレンジ色の空がまだ残っている。それだけでも時の経過を感じられるけれど、夕方になって吹く涼しい風に少しだけ揺れる髪の毛の方が、私にとっては三ヶ月という時間の経過を実感しやすかった。
「なんで付いて来るのよ、樋口君」
校門から数分歩いた田園風景の中、私は振り返る。そして、私の三メートルくらい後をぴったりと付いて来る樋口君に対して、苛立つ気持ちを隠さず言った。
「訓練が終って、体育館から出てから私の後をずっと付いて来て、なんなのっ?」
苛立つ気持ちもあるけれど、それ以上にこうして強気に出ないと樋口君と真正面から向かい合うことができなかったりする。
「別に好き好んで美咲さんを尾行している訳ではないよ。ただ、これは麻生魔法師の命令でしているだけ」
なんだか樋口君は、ものすごく面倒臭そうな表情をしている。
「また麻生さんに言われたから――あ、もしかして、報告書のことをうちで説明するため?」
「そうね、それもあるよ」
それも? それ以外に何があるというのだろうか?
「まあ、そういう事だから、さっさとご自宅へ向かってください」
「別に私を待つ必要はないよ。樋口君はどうぞお先に私ん家に行ってくださいませ」
それを聞くと樋口君は溜息を吐いて、そして私を見据え口を開く。
「あのね、これから説明しに行くのはあくまでも君の為なんだから、君がいなければ話にならないんだけど。そこら辺の事情を分かっていない訳ないよね」
なんか言い方がものすごくムカくつ。
「私のため? そんなこと言って、本当は報告書のことを私に喋っちゃってその責任を取らされているくせに、都合のいいこと言わないでよ」
樋口君は私の言う事を聞いているのか、聞いていないのか知らないけど、体ごと動かして周りを見回した。そんな樋口君の態度に私のイライラは増していく。
「人が話している時くらい、こっち見なさいよ!」
「あ、ごめん」
私の張り上げた声に、樋口君は一瞬だけ素に戻ってしまったような表情になり、すぐに面倒臭そうな表情に戻った。
「説明責任を取らされているのは否定しないけど、報告書の作成については美咲さんの為だったと考えている。それが僕の認識。例え、後ろめたい気持ちがあっても」
その瞬間、私は樋口君の体にぶつけるつもりで持っていた鞄を振り回した。しかし、振り回した鞄は樋口君に身軽に避けられて空を切った。
「バカァ!」
樋口君からしてみたら本当に理不尽な行為だと思うけれど、今の私にその理不尽さを止めるだけの忍耐力はなかった。
私は樋口君を無視するようにして駅に向けて歩き始める。
それでも樋口君は相変わらず、そんな私の三メートル後方を付かず離れずの距離を保ち、ぴったりと付いてくる。まるでストーカーのように。
まあでも、ストーカーに付きまとわれた経験はないのだけどね。
その後、樋口君にぴったりと付いてこられているからといって、私は走ったりする事はせずに淡々と駅に向けて歩いていく。だけど、歩いている途中でバスに乗ればよかったことに気づいた時には、自分が冷静さを欠いていたと思い知らさられました。
しかし、いつの間にか空模様が怪しくなってきたような気がします。まあ、ここは住宅街だし、十分も掛からず駅には着けるとは思うけど、遠くで雷の音が聞えるから近くまで雷雲が接近しているのだろうから少し急いだほうがいいのかもしれない。
バッグから傘を出すのも面倒なので駅まで走ろうかと悩んでいると、片側一車線の県道の歩道を歩いている私の近くに黒塗りの乗用車が止まり、中から黒いスーツを着た男女三人が出てきた。そして、私の前までやってきた。
「籠宮美咲さんですよね。我々は魔法協会県支部の警備部警護課の者です」
立ち止まった私に、スーツを着ていても体格の良さが判る男性を二人引き連れた女性はそう名乗った。
「中川魔法師の命令で籠宮美咲さん、あなたを保護しに来ました」
私を保護? っていう事は私を保護しなきゃいけないような事態が発生しているの?
いきなりの事で私は思わず樋口君を見つめてしまう。すると、樋口君は面倒臭そうな表情のまま私に近づいてきて、私の隣に立つと真面目ぶった表情になり口を開いた。
「一応、あなた方の身分証明証を見せていただけませんか?」
「えーと、あなたは?」
「樋口健祐、この籠宮美咲さんとは同級生です。それと魔法協会の依頼で彼女の観察役を任されています。それで、これが証明証です」
樋口君はズボンポケットから学生証を取り出すと、学生証の入ったケースからもう一つの証明証を抜き取り、それ等を提示する。
「そう、君が彼女の観察役なのね。私は警備部警護課の黒田です。証明証はこれでいいかしら?」
女性はスーツの内ポケットから証明証を取り出し、私や樋口君に見せた。
「ありがとうございました。失礼な行為をお詫びします」
樋口君は黒田さんに頭を下げると、私の方へと向きなおす。
「大丈夫だよ、美咲さん。この人達は本物だから安心していいよ。とは言っても、美咲さんには常時二十四時間態勢で警護が就いていたりするんだけどね」
さっきまでの面倒臭そうな表情はどこにいったのか、樋口君が微笑んで喋っている。
「ちょうど雨が降ってきたし、ラッキーだったね」
樋口君の言うとおり雨が降ってきて、雷の音もさっきよりも大きさを増している。
「分かりました、保護されます。それで、お願いがあります」
「何かしら? 私達としては一刻も早く車に乗っていただきたいのですが」
私は腕を樋口君の腕に絡める。
「できれば、この樋口君も一緒に連れて行ってください」
この行動に悪意がなかったといえば嘘になるけど、それ以上に不安だったのだ。協会の警護の人とはいえ、一人で知らない人達の車に乗る度胸は私にはない。だから、樋口君を巻き込もうとしたのでした。
黒田さんは数秒だけ間を置き、樋口君の同行を許してくれました。
「どうぞ、こちらです」
私は黒田さんの指示に従い、黒塗りの乗用車の方へ歩き出す。
「あなたもこちらへ」
黒田さんは樋口君にも私と同様に指示を出す。
「一分だけ時間をください。念のために担当の魔法師に確認を取りますから」
樋口君の言うところの担当の魔法師って、誰の担当ことを指すのだろう? もしも私の担当魔法師なら麻生魔法師だし、樋口君の事なら――そういえば、樋口君は準魔法師だから上司になるのかな。でも、樋口君の準魔法師だっていう事は魔法協会内部でも秘密なんだっけ? という事は、この人達は樋口君の正体を知らないのかな。
そんな事を考えていたら、空気を切り裂かれたような大きな音が突然鳴り、私は思わずしゃがみ込んでしまった。そして大きな音が響いた突端、雨粒が大きくなり雨脚も強くなってきた。
「みさきち、逃げろー!」
私が立ち上がろうとしたら、いきなり樋口君のそんな叫び声が聞えた。
私は樋口君の言った意味が分からなくて、ゆっくりと樋口君の方を振り向く。そうしたら、樋口君は黒いスーツの男性の片割れの後ろに回りこみ、自分の腕を男性の首に巻きつけて両膝を地面に着けさせていた。その横には、もう一方の片割れが蹲って倒れていた。
「いったい、なんなの……」
自分が目の当たりしている状況が理解できず、数秒は眺めることしかできなかった。
だって、私を警護してくれるはずの二人を樋口君が倒してしまっている。それに加えて樋口君は、私に逃げろと言う。混乱した。
私は訳が分からず混乱しながらも、そこから早く離れないと、という想いが私を後退りさせる。しかし、すぐに私は身動きが制限させられてしまった。
……く、苦しい。
「美咲さんを放せ!」
樋口君は拘束していた男性の顔を地面に叩きつけると、そう叫びながらこちらに駆け寄ってくる。
私は地面に着いていない足をジタバタさせ、首に巻きつくものをなんとか外そうと両手に力を入れる。けれど、どんなに手に力を込めようとも首に巻きついたものは外れてくれない。
「あーあ、せっかく乱暴なことをせずに、この子を連れ去れると思ったのになぁ」
その女性の声は、私の耳のすぐ近くから聞える。
「おっと、それ以上は近づかないほうがいいかもね。さもないと、この子の頭に穴が開いて風通しが良くなっちゃうかもしれないよ」
樋口君はその言葉に従い、駆け寄ってくるのを止めた。
「賢明な判断だね。さすがに雪乃の落ちこぼれでも、格闘術くらいは身に付けているんだね。一応、本職の警護官を一時的にでも行動不能にするくらいの腕はあるようだね」
樋口君はその発言に驚いた様子も見せず、髪から雫を滴り落ちるなか険しい表情を向けている。本当に今まで見たことのない険しい表情をしている。
「放せ! 美咲さんを放しなさい!」
樋口君は大粒の雨が降るなかでも、そこら中に響き渡るような大声で言った。
「今のあなたが、それを言える立場にない事くらい判りますよね? ここで一つの提案ですが、このまま私達を見逃してください。そうすれば、あなたは怪我とかをせずに警察に駆け込むことができますが、万が一にも刃向かうのであれば、あなたの命の保証をしません」
女性がそう言っている間に、樋口君に倒された男性たちがゆっくりと立ち上がる。
「……樋口君……にげて!」
私は出来るかぎり声を振り絞る。途端、首の締め付けがきつくなった。
「そいつを取り押さえなさい」
突然、女性がさっきと全然違うことを命令すると、男性二人があっと言う間に樋口君を地面に倒すと、男性の一人が樋口君の背中に膝を乗せ、樋口君の両腕を後ろ手にして手錠を掛けた。
樋口君は抵抗することなく拘束された。
「……話が……ちがう」
私が声にならない声でそう抗議したところで状況が変わるわけでもなく、それどこか、さらに状況は悪化していく。さっき、樋口君に顔を地面に叩きつけられた男性が鼻血を出しながら、濡れた地面に倒れている樋口君を何度も蹴り上げる。そして、そのはずみに樋口君の眼鏡が外れてアスファルトの地面に落ちると、その眼鏡も踏み壊し、再び樋口君を蹴り上げる。
「…………やめて」
雨が降り続ける中、私の頬を流れ落ちる水滴が涙なのか、それとも雨粒なのか判らないけれど、これだけは分かる。
このままだと私も樋口君もタダでは済まなくなる。
「……私が狙いなら……樋口君はかんけいない、でしょ」
これ以上、私のせいで誰かが傷つくところなんて見たくない。
「もう、それくらいにしときなよ。万が一の時、そいつには人質になってもらうのだから、それ以上傷めつけたらダメだよ。ねっ、雪乃の落ちこぼれ君」
意識が遠のき、首に巻きついているものを掴んでいる手に力が入らなくなってくる。
「おっと、まだ気絶しちゃダメ。これからが面白いのだから」
女性は私の耳元でそう囁くと、次に私の髪の毛を引っ張り、頭の角度を調節する。その調節された角度からの視界には、地面に倒れている樋口君がばっちり見える。
「もう意識は飛んでいるかもしれないけど、確実に飛ばしちゃなさい」
そう女性が指示をすると、鼻血の男性が上着のポケットから黒い物を取り出し、それを倒れている樋口君の首に当てる。
「やめてぇ……」
その瞬間、樋口君からは小さな呻き声が漏れ出し、同時に樋口君の身体は数秒間仰け反った。そして、次の瞬間には樋口君の体は水浸しの地面に落ちると、ピクリとも動かなかった。
「どう? 自分のせいで他人が傷つく様子は」
……ごめんなさい。
「ひぐちくん……」
私の心の中は、もうどうしようもない程に悔しいような悲しいような気持ちでいっぱいになる。
「私は楽しくて堪らないわ。だって、傷だらけのヒーローになり損ねた少年に、今にも泣き出しそうな悲痛な表情を浮かべる少女を同時に見れるなんて、こんなに愉快なことはないわね」
本当に楽しそうな甲高い声が耳許で響いて、余計に何もできない自分が惨めだった。
「さてと、君にもそろそろ眠っていただきますか」
女性が言い終わると同時、私の鼻と口を布みたいなものが覆う。そして、私は抵抗という抵抗はできずに意識が薄れていく。
……浩市くん。ごめん、もう会えないかもしれない……。
「さあ、そいつをトランクの中に運びなさい。この模造品も入れられるくらいに、出来るだけ奥に押し込みなさい」
薄れゆく意識のなか視界に捉えたのは、鼻血を出していない方の男性に担ぎ上げられる、ぐったりとして身動き一つない樋口君の姿だった。樋口君の全身は靴からネクタイまでびしょびしょで、背負っていたリュックも雨に打たれたおかげで色が変わってしまっていた。
……ごめんね。巻き込んじゃった。




