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午前中の授業が終って昼休みとなり、私は学校の敷地の隅っこのベンチに座っている。ここでお昼をする時はいつも樋口君と一緒なのだけど、今日は私一人だけでお弁当を広げている。別に彩香たちとお昼をしてもよかったのだけど、色々と考えたい事があったから比較的静かで木陰になっているこの場所で昼食です。
ちなみにこのお弁当は午前中の休み時間に、お姉ちゃんが嫌な顔をしつつも一年生の教室まで届けてくれました。
さて、話を樋口君のことに戻すと、午前中の休み時間に二回ほど樋口君と顔を合わせたけれど、樋口君が何かを言う前に私は両方とも無視しちゃいました。それでも樋口君はしつこく迫ることはしないで、何か言いたげではあったけど黙って私を見送っていました。
「話だけは、ちゃんと聞いてあげた方がいいのかなぁ」
結局、頭の中を切り替えたつもりでも樋口君の事を考えてしまい、まったく午前中の授業は集中できなかった。おかげで午前中の全教科のノートは中途半端にしか取れていない。こんなに物事が手に付かない状況は、一年前に浩市くんに告白された時以来だ。自分が能力者だと知った時だって、今よりかはしっかりしていたと思う。
「はぁ、彩香にノート写させてもらわないとなぁ。だけど今回の状況と、一年前の事を一緒にはしたくないよ。でも、気掛かりなのは変わらないんだよね」
樋口君には樋口君の言い分もあれば考え方だってある。それに、レポート作成が一応は私のためだという事も頭の中では理解しているつもりだ――つもりなのだけど、それでも何となく許せないのだ。気持ちの上では。
「浮かない顔してますなぁ、美咲ちゃん」
夏のような日差しの中、その元気の良すぎる日差しとは違い、春のような優しい笑顔の樋口智子さんがいた。智子さんはうなじを隠すくらいの髪を揺らせて私の隣に座り、持っていたお弁当箱を膝の上に置いた。
「なんですか、智子さん」
「そんな困ったような顔をしないでよ。私は別に健祐を許せとか、健祐の話を聞いてほしいとか言いに来たんじゃないのだから」
「じゃあ、何しに来たんですか?」
智子さんは膝の上でお弁当箱を広げる。
「うーん、美味しそう。いただきます」
箸を持って両手を合わせると、ご飯を口に運ぶ。
「(ごくん)まあ、里香からは美咲ちゃんの相談に乗ってあげてほしい、と頼まれたんだけど、何か私に相談したい事ある?」
「お姉ちゃんがそんな事を頼みましたか。今回のこと以外にでも色々と心配掛けちゃっているんだろうなぁ、私。ホント私は、ダメな妹だなぁ」
「そんなことないよ。家族なんだから心配したり、心配されたりするのは当たり前のこと。そこに善し悪しは存在しないはずだよ」
智子さんは落ち着いた声でそう言うと、ベーコンのアスパラ巻きを口に運んだ。
「智子さんも心配することがありますか? 弟の健祐君を」
「そりゃ家族だからね、いつも心配はしているつもりだよ。訓練で怪我をしなければいいなぁ、とかね。でも、普段はその事はあんまり意識していないんだけど――ほら、土曜日の魔法師の襲撃事件のニュースなんか見ちゃうと、急に不安な気持ちになって余計に心配になっちゃったりするかなぁ」
私の質問にそう答えると、智子さんは照れくさそうに微笑んだ。
「そうだ」
私はお弁当を脇に置き、座ったまま上半身を智子さんの方に向ける。
「あのー、昨日はすいませんでした。散々お世話になっておいて、ろくにお礼もしないで帰っちゃっ――じゃなくて、帰ってしまい申し訳ありませんでした。それでその、昨日はありがとうございました。本当に助かりました」
そう智子さんにお礼を言って、膝に手を着いて頭を下げる。
「美咲ちゃんは礼儀正しいなぁ。健祐に見習わせたいくらいだよ、まったく。美咲ちゃんの気持ちは十分伝わったから、顔を上げていいよ」
智子さんはそう言うと、私の肩を軽くポンッと叩いた。
「だけどさ、いきなり改まるから少し驚いちゃったよ」
「すいません。でも、こういう事はちゃんと早めに伝えておかないと、言う機会を逃してしまいそうなので」
「それでいいんだよ。感謝の気持ちは素直に表した方が言われた人も、言った人も気持ちが良くなるのだから。そういうところは、私も美咲ちゃんを見習ないといけないのかもね」
そんな事を言われると、例えお世辞だとしても照れてしまう私なのです。
それから少しの間は会話をせずに、二人ともお弁当を口に運んだ。
「美咲ちゃんは、健祐が能力者だということを隠しているの、不公平だと感じない?」
「えっ?」
いきなりの智子さんの質問に、どう答えていいのか戸惑う。
「だってさ、美咲ちゃんだけ世間に顔や名前を知られちゃっているのに、今月になったばかりだけど、準魔法師である健祐や惠ちゃんの名前すらも公表されていないからね。そのことに対して不公平だと思わない?」
「えーと、ひぐ……健祐君と私とじゃ、状況が違うと思います。というか、私の場合が特殊なんだと思います。三ヶ月前にあんな事がなければ、自分が能力者だという事も、それが世間に知られる事はなかったはずですし、だから不公平だとは思いません。でも、健祐君に対しては、こそこそと秘密裏に私を観察していた事は許せませんけどね」
そう言ったあとで智子さんが樋口君のお姉さんである事を思い出し、私はどう繕っていいのか分からず気が動転しまいそうになる。
「別に許さなくたっていいよ、あんな分からず屋のことなんて。うん、許しちゃダメだ」
もしかしてと思い訊いてみたところ、やっぱり私達が帰ったに智子さんと樋口君は喧嘩をしたそうだ。しかも、取っ組み合いの大喧嘩だったらしい。
「まさかこの歳にもなって、高校生の弟を泣かすとは思ってもみなかったけどね」
智子さんは苦笑いを浮かべて、タコさんウインナーを口に入れた。
「私が原因ですよね。すいません」
「美咲ちゃんが謝ることないよ。こういう喧嘩は健祐と暮らすようになったこの十年に何百回と繰り返してきた事だからね、今さら気にしてはいられないよ」
「そうですか――えっ、十年?」
なんで十年? 私と樋口君は今年で十六歳になるのに。
「そう十年。うん? ああ、その顔は私と健祐が本当の兄弟じゃないことまで頭が回らなかったみたいだね」
余計なこと言っちゃったかな、と微笑む智子さんに対し、私はどう反応していいのか分からなかった。
だって今の今まで、そんなこと全然思い至らなかったのだから。
「でもまあ、健祐と惠ちゃんの関係に気づいた美咲ちゃんなら、私たち姉弟の事を気づくのも時間の問題だったのかもね」
たしかに樋口君と恵さんが双子の兄弟なら、樋口君か恵さんのどっちらかが樋口家か雪乃家の養子になったのだろう。
「という事は養子になったのは健祐君の方なんですか? でも昨日、健祐君は苗字を樋口以外は名乗ったことがないと言っていましたが、あれはやっぱり嘘だったんですか?」
「いいえ。昨日の健祐の話した事は、基本的に嘘は言ってはいないよ。ただ、どういう経緯で私の弟になったかは少しややっこしいから、気になるなら健祐に直接聞いてちょうだい。これは一応健祐の口から話すべき事柄だと思うから、私の口からは言えないの。ごめんね」
樋口君がどういう経緯で智子さんの弟になったのか、気にならないかといえば嘘になる。だけど、こういう大事なことを気軽な感じで他の人に喋ってしまうところは、樋口君と智子さんは結構似ているなぁ、と思った。
「お姉ちゃんはその事を知ってたりします?」
「里香なら知っているよ。それがどうしたの?」
「いや、友達なのに健祐君のこと何も知らないのに、智子さんやおねえちゃんはお互いの事を何でも知っているんですね」
「別に何でもは知らないけどね。でも、美咲ちゃんと健祐以上にはお互いの事は知っているとは思うけどね。だって、里香との付き合いは十年くらいにはなるから、当然といえば当然なんだけど」
「えっ! お姉ちゃんとの付き合いって、そんな前からなんですか?」
私はてっきり智子さんは、お姉ちゃんが高校に入ってからの友達なんだと思っていた。
「あれ? 私が小学三年生の頃までは結構遊びに行っていたんだけど、憶えてない?」
えーと、お姉ちゃんたちが小学三年生だとすると、私は小学一年生。当時、お姉ちゃんが誰と遊んでいたかなんて全然憶えていない。
「すいません。まったく憶えていないです」
「そうだよね、私も小学一年生の頃の記憶なんて曖昧だし、それもお姉ちゃんの交友関係だもん、憶えてなくて当然だよね、ごめん、変なこと言ったかも」
そう言って智子さんは、お弁当箱を持ち上げご飯を口の中にかき入れる。
なんとなく気まずい空気が流れる。
だけど、お姉ちゃんたちは十年という時間を掛けて今の関係を築いたのだから、私が樋口君の事を何にも知らないのは当然なのかな。恋人の浩市くんとは付き合いはじめて一年くらい経つけれど、まだまだ知らない事はあるくらいだしね。
「怖いと思うことありませんか? 能力者のこと」
何か喋らないと、という焦りが変なことを口走らせる。
「怖い? 特に思わないけど、どうして?」
「私、私が怖いんです。また誰かを傷つけてしまわないかと思うと」
何を言っているのだろう私は。こんな事、親にも美佳子にも言ったことないのに。それなのに、私はなんで智子さんに弱音というか、本音を素直に打ち明けているのだろう。
「あの、今の言葉は聴かなかったことに――」
私が慌てれ今の発言を取り得そうとすると、智子さんは優しい笑顔で私の頭を撫でる。
「大丈夫だよ、美咲ちゃん。そう思うのは普通のことだから。健祐や恵ちゃんだって、自分たちのチカラが簡単に人を傷つけられることを知っているから、今でも結構悩んでたりするから。それに、いつも美咲ちゃんは頑張って訓練しているのだし、もう二度と誰かを傷つけることはないよ。いくら神様だって、頑張っている美咲ちゃんにもうあんな大変な経験はさせないと思うからさ」
そんな優しい言葉を掛けないでください。それに、昨日の今日で気持ちの整理がまったくできていないのに、それなのにそんな言葉を掛けられたら私、また昨日みたく泣いちゃいそうになりますから。その優しさに甘えたくなっちゃいそうですから。
「……ありがとうございます。でも、この事はお姉ちゃんには言わないでください。心配掛けたくないので」
「能力者の弟をもつ姉として言わせてもらえば、心配させちゃってもいいと思うけどね」
智子さんは手を退けると、俯いた私の顔を下から覗きこんできた。私はその智子さんの視線から顔を背ける。
「妹としては、お姉ちゃんには心配されたくないんです。これがただの意地っ張りだということは分かっていますけど、やっぱりお姉ちゃんには弱いところは見せたくないというか、知られたくないんです」
「ねえ、美咲ちゃん。私たちって、そんなに頼りならないのかなぁ? 健祐にも、もう少し頼ってきてほしいと思うのは間違いなのかなぁ」
横目で智子さんを見ると、智子さんは少し寂しそうな表情でお弁当箱をつつみで包んでいる。
「たぶん、存在が近すぎるのだと思います。お姉ちゃんとは姉妹です。正直言うと、お姉ちゃんは頼れる存在だと思います。でも、それ以上にお姉ちゃんは絶対に負けたくない存在なんです。だから、ひぐ――じゃなくて、健祐君も同じなんじゃないかと思います」
「私に負けたくない、か。誰かに頼ることは負けではないと思うけどなぁ」
「お姉ちゃんだから――幼馴染に見せられる弱いところでも、お姉ちゃんには見せたくないんです」
「ふーん、そんなものなのかもね」
智子さんはどことなく納得したような表情をすると、お弁当箱を包んだつつみを持って立ち上がる。
「ごめんね、美咲ちゃん。本当はもう少しお話しをしてたいのだけど、昼休み中にやっておきたい事があるから、今日はこの辺で失礼するね」
「そうですか」
なんだかんだと智子さんに、私の気持ちの一端を話してしまった。なんだろう、智子さんには誰かを素直な気持ちにする能力でもあるのだろうか? 昨日も泣きついてしまったし、この先ずっと智子さんには頭が上がらないような気がする。
「美咲ちゃん、大丈夫だよ」
智子さんは私の前に立つと、私の頭に手をやる。
「少なくとも私と里香は、美咲ちゃんも健祐も怖いとは思っていないよ。それに美咲ちゃんの中にあるものは、誰かを傷つける事もできてしまうけど、それ以上に誰かを助ける事ができるんだもん。だから、そんなに自分のチカラを怖がる必要はないよ」
智子さんの顔を真っ直ぐ見つめると、智子さんは子供に向けるような優しい笑顔で返してきた。
「私ならいつでも話を聞くよ。だから、悩み事や相談事なんかがあれば、遠慮なく話しに来ていいからね」
そう言って智子さんは私の頭を撫でると、校舎へと歩いていった。
智子さんの用事が何だかは知らないけれど、お姉ちゃんに頼まれて友達の妹である私とお話しに来てくれたという事は、お姉ちゃんと智子さんの関係は結構深い交友関係なのだろう。
「両方とも十年か。樋口君が智子さんの弟になったのも、お姉ちゃんと智子さんが友達になったもの十年くらい前みたいだし、その二つの出来事には何か繋がりがあるのかな? それとも、まったくの偶然なんだろうか?」
一つは、二人の女の子が友達のなり。もう一つは、家の事情。この二つの出来事は同時期に智子さんの身の上に起こった事だけど、少なくとも智子さんの話からはその相関性は全然感じられなかった。
というか、勘ぐり過ぎだな。昨日、樋口君の告白を聞いたおかげで、人の話を素直に受け取れなくなっているみたい。
「はぁ」
上を見上げると木の枝と葉っぱの間からは、夏のような強い日差しが木漏れ日となって降り注いでいる。
「それにしてもこの二日、私が知ろうとしてないのに、樋口君も智子さんも自分達のことを話してくれちゃって――ううん、違う」
私は恵さんと樋口君の関係を知ろうとした。知ろうとしたからこそ、樋口君との関係が悪くなってしまったのだ。少なくとも樋口君との関係悪化については、私の知りたいという欲求から始まった事なのだ。あのまま何も聞いていなければ、この状況はなかったのかもしれない。
いや、それはありえない。私なら絶対に訊いちゃうよ。あそこで訊かなかったとしても、遅かれ早かれ訊いてしまって、今と同じ状況になっていた。たぶん、十中八九そうなっていたと思うよ。
「たぶんこの先、こんな知りたくもない事を知ってしまうことなんて、ざらに起こりえるんだろうなぁ」
そう呟くと、お弁当箱に残っているご飯やおかずを、一気にお腹の中に詰め込んだ。
「はあ、なんか馬鹿らしい。いつまでこうして悩んでいる気? 逃げていても問題は解決しないでしょ。今後、樋口君との関係がどうなるかなんて分からないけど、ちゃんと正面からぶつかって行かないで後悔するのは嫌だ。樋口君との関係が壊れてもいいから、樋口君の話をちゃんと聞いて、私の言いたい事をちゃんと話そう」
お弁当箱をつつみで包みながらそう自分に言い聞かせると、覚悟を決めて立ち上がる。そして、木漏れ日の下から夏のような日差しの下へと足を踏み出した。




