25
月曜日
いつの間にか眠ってしまい、目が覚めた時にはもう外は明るくなっていた。しかし、私がいつも起床する時間より二時間早く起きられたので、制服に着替える前にシャワーを浴びることにした。少し熱めのお湯を浴びながら考えていたのは、もちろん樋口君の事だった。一晩寝て気持ちは落ち着いたけれど、昨日の今日で樋口君を許す気にはなれないし、仲直りする気にもなれなかった。だけど、その一方で樋口君とこのままずっとケンカをしていても仕方ないとも思ったりして、朝から私の心は曇ってしまった。
はっきりとしない気分のまま制服を身に着けると、身だしなみをチェックするためにお姉ちゃんの部屋の方にある全身鏡の前に立つ。すると鏡に映し出された私の表情は気分同様に心なしか普段より暗く見えたから、満面の作り笑顔を浮かべてみる。そうしたのは、昨日の事を引きずって暗い顔をしているのは馬鹿らしく思えたからだ。
と、そこで扉が開き、入ってきたボサボサ頭のお姉ちゃんと目が合う。
「朝からいい笑顔してますねぇ、美咲さん。その調子で健祐くんと仲直りしちゃわない?」
「私たちの問題だから、お姉ちゃんは口を出さないんじゃないの?」
「そんなこと言いましたっけ?」
お姉ちゃんはパジャマを脱ぎながら、私をからかっているかのような笑みを浮かべた。
「お姉ちゃんが何と言おうと、私は樋口君とは仲直りする気はないからねっ」
私はそう言うと、自分の部屋に戻って鞄とバッグを持ち、ドアノブの手を掛ける。
「そうだ、美咲」
「なぁに」
「ごめんね。昨日、映画を観にいかなければ――映画のチケットあげばければ変な人に追いかけられることもなかったのに」
ベッド越しだから、お姉ちゃんの表情は分からない。
「別に昨日の事はお姉ちゃんのせいではないでしょ。映画のチケットはお姉ちゃんから貰ったものだけど、それと昨日の事とはまったく別の話だよ。だから、お姉ちゃんが気にすることはないよ」
ベッド越しにそう伝えて、私は部屋を出ていく。
昨日の出来事はあくまでも出会いがしらの交通事故みたいなものなのだから、お姉ちゃんが私にチケットをくれたことに対して責任を感じることはない。だけど、映画を観にいかなければ、樋口君との関係が気まずくならずに済んだのかもしれないけどね。
そんな事を考えながら一階に降りると、玄関に荷物を置いてから食卓に着いた。
朝ご飯は焼き鮭とひじきの煮物に、ご飯とインスタントのワカメスープ。普段だったらメニューなんて気にしないのに、今日はよく寝て時間に余裕があるおかげで、普段とは違いゆっくりと朝ごはんを食べ進めることができる。
「あっ。美咲ちゃんが金曜日に続いて、また早く起きている。もしかして今日も雨?」
残念、今日の天気は一日を通して晴れだったりするんだなぁ、これが。
朝から本当に驚いている歩美を見ていると、これまでの私の朝生活がどれだけギリギリだったのか物語っているような気がする。
「歩美、起きたらなら顔洗って、さっさと着替えきなさい」
「うるさいなぁ、言われなくたって分かってるもん」
母親にそう言って、歩美は洗面所へと向かう。
「美咲、ちょっといいかい」
テーブルを挟んで向かいにいる父親が話しかけてきた。
「なに、お父さん」
「昨日の件で今晩、中井さんが事情を説明しにお出でになります。だから、訓練が終ったら寄り道をせずに帰ってきなさい。あと、帰りに樋口健祐君を家まで案内して連れて来なさい」
「……どうして?」
私は茶碗の上に箸を置き、俯き加減に尋ねた。
「昨日の夜に中井さんと電話で話したところだと、樋口健祐君が自分の事とレポートの件を喋った事に対しては自分で説明責任を果たしてもらうそうだ。だから美咲、美咲の怒る気持ちは理解するけど、健祐君の話をちゃんと聞いてあげられないかい?」
「お父さんは、私の事を勝手に調べておいて、それを黙って報告書を作成されていたことに対して何とも思わないの?」
「美咲、すまないけれど報告書のことは、お父さんとお母さんは承知済みのことなんだ。その事を美咲に言わなかったのは、できるだけ普通の学生生活を送ってほしいからだ」
また何にも知らなかったのは、私だけなんだ。
「もういい。もう何も聞きたくない」
私は力なく立ち上がり、玄関へと歩き出す。
「美咲、まだ話は終ってない――」
父親の話す途中、私は振り返ると父親を睨みつける。
「うるさいなっ! どうせ私はお父さんたちから見れば全然子供だし、自分自身のことを何も知らないよっ! だけど、もう少し私のことを認めてよ。自分自身の事なのに私が何にも知らないなんて、もう嫌なの」
そう言うと、さっさと玄関へと向かう。
少しでも認めてほしいのであれば、こういう態度は取るべきではないのだろうけど、もうどうしようもないほどに我慢ができずに口と体が動いていた。
「お母さんとしては、ちゃんと朝ご飯は食べてもらいたいところですがね」
「ごめんなさい、もう食べる気がしないんだ。だけど、お母さんやお父さんの気持ちは分かってるつもりだよ。でも今はダメなの。色んな事がありすぎちゃって、全然気持ちの整理が出来ていないの」
父親と母親がいつも私のためを思って考えていることは理解しているつもりだ。しかし、昨日の今日で気持ちが一杯いっぱいのおかげで、心理的にまったく余裕がなに状態だったりする。
「そう。学校には行くんでしょ、お弁当はお姉ちゃんに持っていってもらうから、さっさと行きなさい。それと、納得いくまで悩みなさいよ。中地半端に悩んだって仕方ないし、悩むなら真剣に悩みなさい。いいわね」
「はい、了解です」
私が行く支度を終えると、母親は私の頭に優しく手を置き、真剣な口調で話し始める、
「美咲。親は勝手なものだから、我が子のことを一番に考えちゃうんだよね。でも、ひとりの大人としては樋口健祐君のやっている事に責任を持ってあげなきゃいけないと思うんだよね。だってそれは、お母さんたち大人が美咲のためだと思って健祐君にやらせていた事なのだから。だから美咲、今は無理かもしれないけど、気持ちの整理ができてからでいいから健祐君と仲直りしてくれないかな。お母さんたちのせいで美咲の友達がこのまま一人減っちゃうのは悲しいからさ、仲直りの努力をしてみてくれないかな。お願い」
母親の言う事は正しいのかもしれない。だけど、だけど――。
「……なんで、みんなして樋口君の肩を持つの? 少しは私の気持ちを分かってくれたっていいのに!」
そう母親に向かって叫んで家を飛び出した。
みんなして樋口君の肩を持つことないじゃん。どうして私から仲直りをしなくちゃいけないのよ。そもそも仲直りするなら、樋口君から謝ってくるのが筋なんじゃないの? それなのに、みんなして樋口君を庇うことないでしょ!
とまあ、感情的に家を飛び出したのはいいけど、だからといって学校をサボったりはできない私なのでした。
っていうか、誰に対しての真面目さアピールなんだろう。
こんなに気持ちがグチャグチャでも普段と同じように電車に乗り、通学路を歩いて学校に登校する。そうして、いつもよりも早く登校すると昇降口には、下駄箱に並ぶ靴が疎らだった。でもこれは、いつもの遅刻ギリギリの状況とは違い、普段よりかなり早く学校に来てしまったからこその光景なのだろう。
「まあ、金曜日に続いて珍しい事が起こるもんだね」
靴から上履きに履き替えていると、後ろからそんな声がした。下駄箱に靴を入れてからゆっくりと振り返ると、そこには朝から楽しそうに笑みを浮かべる体育着姿に部活用のシューズを履いた美佳子がいた。
「おはよ、美咲。本気で早起きする気にでもなった?」
「……別に、そんなことないよ」
私はそれだけ言って、教室がある三階に続く階段へ足を向ける。
「ちょっと待ってよ、美咲。部活をやってなくて朝レンの必要のない美咲が、どうしてこんな早い時間に学校にいるの? それに、なんだか変な感じがする」
私はニコッと微笑みを作り、美佳子の方に振り向く。
「そんなことないよ」
「本当に?」
美佳子は心配そうな表情をして問いかけてくる。
「うん、ホント。今日はなんか早く目が覚めちゃっただけだよ。それで、たまには早く学校に来てみようと思ったんだよね。まあ言うなれば、ただの気まぐれかな」
「そう。でもまあ、今日は金曜日とは違って顔色はいいから、ちゃんと眠れたみたいだね」
美佳子はどことなく安心した表情になる。
「それじゃ、私行くね。美咲、今日は階段から落ちないように気をつけなさいよ」
美佳子は微笑んでそう言うと、私の肩を軽くポンポン叩いて外に向けて走り出す。
「美佳子、朝レン頑張ってね」
「おう」
美佳子は右手を挙げると、元気よくグラウンドに走って行った。
私は美佳子の背中を見送ってから、一つ息をついて三階の教室に向かう。
本当は美佳子に昨日のあったこと全部喋っちゃいたかった。でも、余計な心配を掛けたくないし、それに樋口君の事はいくら現在関係が険悪だからといって気晴らしに喋ってしまえば、本当に樋口君との関係を壊しかねない。あくまでも樋口君との今の状況は一時的なものにしたいと思うし、それに、能力者として私の気持ちを理解してくれる人がこんな身近にいた事は少なからず心強くもある。でも、そう思う反面、樋口君がやっていた事に対して友達としてどうしても許せないのだ。そりゃ樋口君も魔法協会の上司に頼まれたのだろうから、仕方ないといえば仕方ないのだろうけど、樋口君も悩むくらいなら私の報告書作成なんて引き受けなきゃよかったのだ。そうすればこんな嫌な気分になることもなかったはずなのに。
頭も心もグチャグチャとしたまま三階に到着し、静かな廊下を通って教室に向かう。
人気のない教室や廊下は放課後とかに見慣れているのに、夕方の静けさと朝の静けさとでは違う雰囲気に感じるから不思議だよね。まあ、いつも遅刻ギリギリだから朝の校舎の静けさが珍しいだけかもしれないけど。
教室に誰かいるかと思ったけれど、入ってみると教室には誰にいなかった。
「まあ当然か。こんな時簡に学校に来ているのは教師か部活で朝レンがある生徒くらいだよね、普通」
ロッカーに荷物を仕舞い、自分の席に着く。
しかし、早く来たのはいいけど、別に目的があったわけではないから特にする事もなく暇だ。それに、朝ご飯を少ししか食べてこなかったから空腹気味だし、お昼まで保つのかなぁ? あ、でも、お母さんにあんな事言って出てきちゃったし、お弁当はないかもしれない。
「はぁ」
なんで自分の感情を抑えられなかったんだろう……本当に子供だな、私は。
私は頬杖をして、外を眺める。
外は昨日の一日中降り続いた雨から打って変わり、雲ひとつない快晴で朝から強い日差しが降り注いでいる。
「おはよ、美咲。今日は何か早く来る用事でもあったの?」
しばらくして、ちらほらと教室の席が埋ってきた頃、不思議そうな表情で挨拶する彩香。
「おはよ。別に用事はないよ。ただ早く起きれたから、いつもより早く来ようと思っただけ。ほら私って、いつも遅刻寸前だからね、たまには早く来るのも悪くないでしょ」
「なんか、その言い方だと何かを誤魔化しているように聞えちゃうな」
そんな彩香の指摘に、私は軽い笑い声しか上がられなかった。
「でもまあ、訊かないでおいてあげる。ぺーぺー能力者の美咲にも、私達に言えない事が一つや二つあるんだろうしね」
そう言って彩香はニッコリと微笑んでから、斜め後ろの自分の席に着いた。
その後も、麻衣から私がいつもより早く来ている理由を聞かれてしまったという事は、よっぽど周囲の私のイメージは遅刻ギリギリなヤツというのが定着しちゃっているみたいだった。日頃、教室に駆け込んでくる私を見ていれば当然といえば当然な反応なのかもしれないけどね。
それから私たち三人は担任がやってくるまで他愛のない話で盛り上がったけれど、それはそれとして私は現在もっとも顔を合わせたくない人物――樋口健祐君の方を向かないようにしていた。それでも樋口君のことを見ないように意識していても、知らず知らずのうちに視界の端に樋口君の姿を捉えてしまっていた。
その樋口君は普段と変わらない様子でいつの間にか席に着いていて、何食わぬ顔で男友達とにこやかにお喋りをしていた。そんな樋口君を見ていたら、樋口君が能力者である事を学校中に聞えるような大きな声で叫んでやりたくなった。しかし、能力者であること自体は別に卑しめる対象ではなく、どっちかといえば羨ましがられる感じで、全校生徒に能力者だと知られたとしても、それ自体は好意的に受け取られるだろう。私と同じ様に。だから、樋口君の株が上がりそうな事を私はやらなかった。
でも、そこで疑問に思う。なんで樋口君は自身が能力者であることを今まで隠さなきゃいけなかったのだろうかと。別に能力者であることはマイナスポイントではないし、どちらかといえばプラスポイントである。なのに、何で秘密なのだろう?
まあ、未成年という理由なんだろうけど。
そこまで考えたところで教室に担任が入ってきてホームルームが始まり、頭の中を授業モードに切り替え席に着いた。




