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 長く感じられた夢から覚めると、やっぱり最初に聞えたのは雨音だった。


 たしか上半身だけベッドに横になったと思ったのに、いつの間にか全身が布団の上にあり、しかも首元から爪先つまさきまでしっかりと毛布に包まれていた。


 寝ぼけまなこのまま辺りを確認すると部屋の中は薄暗く、はたして私はどれくらい眠ってしまったのだろうと思う。ただ、薄暗い部屋の中でも机の周りだけは、電気スタンドにノートパソコンが点いていて、その明かりが机に向かう樋口君の姿をぼんやりと照らしていた。


 樋口君はレポート用紙らしき物にボールペンを走らせては、時折パソコンの画面を見つめて、またボールペンを走らせている。その表情は真剣そのもので、図書室で一緒に宿題をやっている時よりも真面目に見える。


 そうやって樋口君を眺めている時も私の心の中では、すぐに起きるべきか、もう少しだけ毛布の中の温もりを堪能たんのうしてから起きるべきかで葛藤していた。


 その時、机の上に置いてあった樋口君の携帯電話がバイブレーション機能による振動で着信が来ている事を知らせる。樋口君は携帯電話を取ると画面を確認して、一度深呼吸をしてから携帯電話を耳に当てる。


「はい、樋口健祐の携帯電話です。ただいま電話を掛けている状況はありません。また時間を置いてからお掛けなおしください」


 そう言って樋口君は電話を切っちゃった。


 それでもすぐに携帯電話は振動し、樋口君は面倒くさそうに携帯電話を耳に当てる。


「はーい?――ちょっとしたお茶目じゃん、許してよ――」


 面倒くさそうに電話に出たわりに、私の前では見せたことのない表情で話す。その表情はまるで心の底から相手を信頼しているように、私から見てそう映る。


「それで用件は?――うん――そうなんだ――うん」


 それからしばらくの間、樋口君は相づちを打ちつつ相手の話に耳を貸していました。


「そうか。うん、分かったよ。知らせてくれて、ありがと――まあ、適当に気を配っておくよ――いつも全力じゃ、疲れちゃうよ。こういうのは常に半分くらいの力でいいと思うけど――大事になるようなら僕達の出番はないよ。それこそ大人たちの出番だ」


 ここで樋口君はノートパソコンを閉じて、回転する座席ごと身体をこちらに向ける。すると私と目が合い、体をピクンとさせて驚いたようだった。


「えっ、ううん、なんでもない――うん。それじゃ、また」


 電話を切ると樋口君は深く呼吸をする。そして立ち上がって電灯から下がっている紐を引っ張り、部屋の明かりを点けた。


「お目覚めですか? お姫様」


 こういう事を平然とにこやかな表情で言えてしまうところは樋口君と浩市くんとの大きな違いなんだろうなぁ。まあ、浩市くんなら顔を赤くして途中で噛んじゃいそうだけど――そういうところが浩市くんらしくって、良いのだけどね。


 部屋が明るくなったおかげで起きる決心が着き、上半身をゆっくりと起こす。


「この毛布と、ちゃんとベッドの上に寝かせてくれたのって、樋口君?」


「うん、そうだよ」


「ありがとうね。それと、ごめんね。勝手にベッドで寝ちゃって」


「別にいいよ。訓練と今日の事でいつも以上に疲れていたんだろうから」


 樋口君はレポート用紙を引き出しに仕舞うと、部屋から出て行こうとする。


「ちょっと隣に、みさきちが起きた事を知らせてくる。姉ちゃんの部屋で里香さんが待っているからね」


 そう言って樋口君は、部屋の扉を開けっぱなしにしたまま隣の智子さんの部屋に行った。


 残された私はベッドから降りると、敷いたままの座布団に腰を下ろす。ちょうどその時、智子さんの部屋から樋口君が戻ってきた。


「えーと、着替えを預かってきたから着替えてくださいな。着替えるところは――」


「ここでもいいかな。樋口君には悪いけど部屋から出っていてもらうけど」


「まあ、構わないけど。それじゃ、これ」


 樋口君は預かってきた紙袋を私に渡して部屋から出っていった。


 私は急いで智子さんのワンピースから、お姉ちゃんが持ってきてくれた半袖シャツと膝丈スカートに着替えて、樋口君を呼んだ。


「姉ちゃんの服? ああ、僕が洗濯物カゴに入れておくよ」


 私は樋口君にワンピースを渡すと、正座して座布団に座る。


「あとニ十分くらいで、お父さんが迎えにくるみたいだけど、どうする?」


「じゃあ、私が今気になっている事の話を聞いてくれる?」


「うん、いいけど。その前に――」


 樋口君は部屋の隅に置いてあったポットや急須をテーブルに持ってくると、お茶を淹れてくれた湯飲み茶碗を二つと茶菓子の入った器をテーブルの上に置いた。


「それで、気になっている事って?」


 私の前に湯飲み茶碗を置くと、樋口君は私とテーブルを挟んで向き合うように座る。


「ありがと。――それで、樋口君はドッペルゲンガーって信じる?」


「ドッペルゲンガーって、自分にそっくりな姿をしていて、それに自分が会ったら死んじゃうみたいな話のアレ? どうだろ、僕は見たことはないけどなぁ」


「そうだよね、私も私にそっくりな人は見たことない。だけど、樋口君にそっくりな女の子なら見たことがある。正確には女装した樋口君に似た女の子だけど」


「女装姿の僕? ああ、僕の黒歴史を憶えていたんだ……忘れていいのに。それで僕に似ている女の子はどこにいたの?」


「土日に通っている魔法協会の支部。しかも、史上最年少で準魔法師になった女の子なんだ。その子が樋口君に瓜二つだったんだよね」


 恵さんの事を喋っていいかは、今日協会の医務室に行った時、中井さんに訊いて確認済みです。


「僕にそっくりな女の子で天才準魔法師か、すごいね。でも、そんなに似ているなら顔写真とかが世間に出回るようになったら、その女の子と間違われちゃったりするかもね」


「そうかもね。それくらい似ているよ、雪乃恵さんと樋口君は」


「ふーん、そういう名前なんだ。その子の名前は」


 恵さんの名前を出してみたけれど、反応はいつも話を聞いてもらう時と何ら変わらない。


 まあ、勘違いなら勘違いでいいのだけど。


「それでね、その雪乃恵さんには双子の弟がいてね、なんと樋口君と同じ名前のケンスケっていうみたい。話を聞いただけだから字は分からないけど、恵さんの双子の弟という事は、樋口君に顔が似ているかもしれなくて名前が同じなんだよ。何か運命を感じない?」


「運命ねぇ。そういう偶然もあるもんだな」


 興味なさそうに言うと樋口君はお茶をすする。


「偶然だと思うよね、普通。だけど私ね、この話を聞いた時にその双子の弟が樋口君だと思っちゃったんだよね。可笑しいでしょ、ははは」


 苦笑い気味の作り笑顔しか浮かべる事ができず、今の私の表情はかなりぎこちない笑顔になっているはずだ。


 湯飲み茶碗をテーブルに置くと樋口君は、若干口元に笑みを浮かべつつ真っ直ぐ私を見据え、こう質問してきた。


「どうして美咲さんは僕が雪乃恵の双子の弟だと思ったの?」


 樋口君の真っ直ぐな眼差しになんとなく気が引けてしまい言葉に詰まってしまう。


「その雪乃恵に顔が似ているから? それとも、その双子の弟と同じ名前だからかな? うん、正解。みさきちが考えたとおり、僕は雪乃恵の双子の弟だよ」


「……嘘。えっ、だって苗字が違うです」


 あまりに樋口君が素直に認めたから、私は動揺してしまう。


「うん、違うね。どう思う? 今、僕が本当の事を言ったと思う? それとも嘘を吐いて君をからかったと思う?」


 そう問いかける樋口君は、はっきりとした地悪な笑顔を浮かべる。


「……そんなの判らないよ」


 気持ちを落ち着かせようと目の前の熱いお茶を一口飲み、樋口君を真っ直ぐ見つめる。


「だから遠まわしな物言いはやめる。――樋口君は能力者で準魔法師なの?」


「うん、その素直な聞き方のほうが美咲さんらしいね」


 そう言うと樋口君はお茶をすすり、普段と変わらない表情を浮かべる。


「そうだね、僕は能力者だし準魔法師だよ」


「でも、樋口君が恵さんの双子の弟だというのだというのなら、どうして恵さんと樋口君の苗字が違うの?」


「家族の在り方なんて色々あると思うけど」


 たしかにそうなのだけど、樋口君の受け答えがあまりに軽くて信憑性が薄く感じてしまう。しかし、恵さんの両親が亡くなっているという事を考慮に入れると、家の事情という事もありうるのだろう。だけど、この樋口君の態度を見るかぎりにおいて、私をからかっているとも思える。


「あと、僕は苗字を樋口以外は名乗ったことないよ。これは本当ね」


「それ以外の事は嘘が含まれているの?」


「さあ。時と場合、必要性があれば嘘を吐くのはいとわないからね、僕は。苗字の事も嘘かもしれないし、すべて本当の事なのかもしれない。ただ単に美咲さんの話に合わせて、美咲さんの反応を楽しんでいるだけなのかもしれない。みさきちはどれが真実なのか見抜けるかい?」


「なんだかそれ、話が振り出しに戻った感じがする」


 もしも、これまでの事が全て嘘だとするなら、樋口君は私の話に合わせていた事になる。その一方で全てが本当の事だとしたら、なんで樋口君はこんな回りくどい話し方をしているのだろうか。


 どっちにしても私の反応を見て楽しんでいるだけなんじゃないのか?


「でもまあ、ここで嘘を吐くような場面ではないんだけどね。――よかったら、おまんじゅう食べて。これ、今日お客さんが持ってきたんだけど、結構美味しかったからさ」


 樋口君は菓子盆から透明なビニールに包まれた茶色いお饅頭を私の前に置くと、樋口君自身もお饅頭を口に運び、お茶をすする。


「友人として言わせてもらうなら、美咲さんはもうすこし慎重に事を運ぼうね。恵ちゃん達の話を立ち聞きして、恵ちゃんの双子の弟が僕だと推察するのはいい。だけど、それを直接本人に確かめに来る前に、少しは僕について周りから意見を聞いてもしてもいいんじゃない?」


 私が立ち聞きしていたのはバレバレかぁ――ん、恵ちゃんっ? それに立ち聞きしていた事は恵さんから聞いたのだろうか? という事は、樋口君は本当に恵さんの双子の弟なの!?


「どうして? 直接本人に確かめた方が早く疑問は解決するよ」


「じゃあ、僕が何の為に君の近くにいるのか分かる?」


 樋口君が私の近くにいる理由――そうか、樋口君が魔法協会の関係者なら、何らかの目的を持って私に近づいていると考えるのが普通なのかもしれない。


「樋口君は、何らかの意図があったから今まで私と親しくしていたの?」


「そういう可能性もあった、っていう話だよ。変だと思わない? 突然能力者だと判った美咲さんと協会関係者の僕が同じ学校で、同じクラスになっている事に」


「言われてみれば、そうだけど……」


 恵さんの弟が樋口君だと考えるなら、そこまで考えなきゃいけなかったの? でも、そんな風に考え始めたのが数時間前だし、そこまで頭が回らないよ。それに樋口君を信頼しているから、そんな何らかの意図があって私に近づいたなんて思えないよ、今だって。


「つまり私が突然能力者になったから、樋口君は私と同じ学校に通い、私と同じクラスになって、私と友達になったっていうの?」


 そう問いかけると樋口君は微笑みかけてきた。


「あくまでも例え話だよ。美咲さんにそういう警戒心が薄いんしゃないかと感じられるから、つい警戒するような事を言いたくなっちゃうのかもね。まあ、僕が美咲さんと同じ学校に通っているのは偶然だよ。みさきちとは違って僕は推薦ではなく、ちゃんと入試を受けたからね」


「じゃあ、何で私と友達になってくれたの? 何か意図があったからじゃないの」


「みさきちと出会った最初の頃は意図と呼べるものはなかったと断言できる。あの頃の僕は美咲さんを気には掛けても積極的に関わろうとは思っていなかったからね。でも、姉ちゃんたちにからかわれた日に美咲さんと話しをしてみたら、もう少し近くで力になれるならなってあげたいと思ったんだ」


「それは能力者の先輩だから? それとも私が魔法の事を何にも知らない奴で、かわいそうな奴だから同情しったっていうのっ?」


 自分で喋っているうちに感情が高ぶっていた。


「たしかに美咲さんを同情したよ。だけどそれは、あの頃の美咲さんが頑張ろうとしていたからであって、決して美咲さんの事がかわいそうだから同情した訳じゃないよ」


「なんかそれ、樋口君から一方的にほどこされている感じがして嫌だ。本当の友達なら対等な関係でありたいよ」


「対等な関係ねぇ」


 樋口君はおもむろに立ち上がると、机に向かい引出しを開く。


「ねえ、美咲さんにとって友人関係での対等な関係って、なに?」


「それは……立場が同じというか……」


 一般的に対等な関係というのは、社会的立場による比較が大きく関わっているような気がする。社会的立場が同じなら友達における対等な関係になるかといえば、それは少し違う気がする。では友達の対等な関係とはなんだろう?


「……すいません、解りません」


 自分で言った事ながら、自分がまったく理解していなかった。


「僕の意見を言うなら、友人関係に対等な関係なんて無いと思うけどね」


 樋口君は引出しから半透明な書類ケースを取り出すと、それをテーブルの上に置いた。そして、樋口君は座布団に正座して座ると、平然とした表情で急須にお湯を入れて自分の湯飲みにお茶を注いだ。


「お互いに思いやったり、迷惑を掛け合ったりもするし、一緒に遊んだりして楽しいのが友人なんじゃないの。そこに上や下、対等な関係なんて無いんじゃないのかな」


「でも、それは理想論だよ。人は意識してようと無意識だろうと、他人を自分と比べて自分の位置づけを決めるものでしょ」


「そうかもね。だけど、その位置づけは無理に決めなくても、時に上から引っ張ったり、時に下から支えたりできるのが友人関係なんじゃないのかな」


 私と樋口君とでは友達に対する考え方は違う。だけど樋口君の言う事も分からないわけでもなかったりする。私における美佳子との関係が上も下もない関係だと思うからだ。でも、そこまでの交友関係を築ける人なんて限られるし、それに大半の交友関係の場合、ある程度は上下関係に気を付けなければならないと思うのだ。


「みさきち。みさきちにお願いしたい事があります」


「私にお願いしたい事?」


 樋口君は頷くと、真剣な表情になる。


「僕が能力者だという事や、準魔法師だという事も、木曜日まで誰にも言わないでほしいんだ。まあ、僕としては言っても構わないと思うけれど、こればかりは上からの命令だから僕個人が勝手に決めるわけにはいかないんだよね。だからお願いします、この事は誰にも言わないでください」


 樋口君は頭を深深と下げる。


「うん、分かった。誰にも言わない」


 私がそう言うと、樋口君は頭を上げる。


「それでも、もしも私が誰かに言ったらどうなるの?」


「めっちゃ怒られるだろうね、僕が。一応、魔法協会には僕の能力者としてのデータとか存在しない事になっているみたいだから。それと、なぜ記録がないのかは、いくら美咲さんでも言えないからね」


「じゃあ、どうして樋口君が能力者だという事を私に教えてくれたの? 樋口君の話を聞く限り、この事は機密性が高い事柄に思えるのだけど」


「うん。美咲さんが立ち聞きしていたかもしれない事は、美咲さんがお風呂に入っている時に恵ちゃんから聞いていたから、僕の秘密にしている事に気が付いたのではないかと思ってはいたよ。でもそれが、美咲さんの中でどの程度までの確信があるものなのか分からないから、しばらく様子を見ようと思ったわけ。どうせ木曜日には知られちゃう事だからね。だけど美咲さんは、気になっている事があると言って話し出した」


「そりゃ気になっているからね、訊いちゃいます」


「そういう美咲さんの率直さは、たまに羨ましく思うときがあるよ、ホント。で、最初は誤魔化すつもりだったんだけど、なんだろう、美咲さんに対する後ろめたい気持ちに負けちゃったのかもしれない」


「私に対する後ろめたい気持ち?」


「うん、そう。協会の不手際もあって三ヶ月前の事件後、美咲さん事が世間に知られる事になったよね。それから今までの美咲さんを断片的にでも見てきたし、話を聞いてもきたから、美咲さんが自身の事を真正面から向き合ってきたのは知っているつもり。だからかな、能力者だと秘密にしている事もそうだけど、僕がやっていることにも後ろめたさを感じているのかもしれない」


「樋口君がやっていること?」


 私がそう聞き直すと、樋口君はテーブルの上の書類ケースから数枚をホッチキスで留められた書類を取り出し、それを私に差し出してきた。


「なに、これ?」


 樋口君から差し出された書類を受け取ると、書類の表紙に目をやる。すると表紙には、『籠宮美咲の学校生活に関する報告書』と手書きで書かれていた。表紙をめくり二枚目以降を見ると、私の学校での態度から交友関係に至るまでワープロ文字で記されていた。そういう内容で二ページにわたり私に関しての情報が書かれていて、文章の最後には『報告書作成 樋口健祐』と手書きで書かれていた。


「どういう事なの、これは? ねえ、樋口君」


 報告書に目を通した私がそう問いかけても、樋口君は顔を背けることなく正面を向いて私と向き合っている。


「見てのとおり僕が書いた、美咲さんの学校生活に関する報告書。一応、麻生魔法師から頼まれて作成した文章だけど、その扱いは非公開なものだから、これの存在を知っている人は少ないけどね」


「そーいうことを訊いてるんじゃないっ!」


 まただ。また、私の知らないところで私自身の物事が勝手に動いている……。樋口君が能力者だったことは樋口君自身の問題だし、私がどうこう言う事ではない。だけど、この報告書を樋口君が作成したのであれば、それはこの報告書を作るために私に近づいたとも考えられてしまう。これじゃあ、さっきから樋口君との会話に出てくる『何らかの意図』を疑いたくなっちゃうよ。


「樋口君――樋口君は、この報告書を作るために私と仲良くしてくれたわけじゃないよね? どうなの、答えてよ」


「親しくなった最初の頃はそういう事は考えていなかったよ。だけど、美咲さんの報告書を作成するようになってからは、美咲さんの話を聞いたりする時には頭の片隅で報告書のことを考えていたけれど――」


「樋口君は友達のこういう物を作って、なんとも思わないのっ?」 


 樋口君が喋っているのを遮り、樋口健祐君を睨みつける。


「こそこそと隠れて交友関係やら学校での態度とかを調べて、勝手に私の報告書を作成しているくせに、よく何食わぬ顔でいられたよね。まったく信じられない!」


 私は衝動的にテーブルの湯呑み茶碗を手に取り、そのままお茶を樋口君の顔を目掛けてぶちまけた。お茶を顔からかけられた樋口君は眼鏡を取ると、髪の毛から雫が滴り落ちるなか表情を変えることなくシャツのすそで眼鏡のレンズを拭き、そのまま眼鏡を掛ける。


「僕はね、美咲さん。報告書のために美咲さんと仲良くしていたつもりないよ」


「うるさいっ! もう樋口君なんか信じられないよ。この裏切り者」


 その瞬間、樋口君は今までに見たことのない悲しそうな表情になっていく。


 次の瞬間、突然部屋の扉が開くと二つの人影が入ってきた。


「そこまでにしときなさいよ、美咲」


 そう言って部屋に入ってきたのは私のお姉ちゃんでした。その隣には苦笑い気味の智子さんもいます。


「お姉ちゃんたちには関係ないでしょ、出っていてよ!」


 私がそう叫ぶと、お姉ちゃんは黙って私の前まで来ると、手を振り上げてそのまま手を振り下ろした。


 だんだん頬がジンジンと痛みが増していく。


 頬に手をやると、なぜか頬が濡れていた。


 私は泣いていた。そうなのだ、泣いているのも気づかないほどに私は感情が高ぶっていたのだ。泣いていたのを自覚した途端、本格的に涙が込み上げてきて次々と頬をつたい落ちていく。


「里香、美咲ちゃんは今日いろいろあったのだから大目に見てあげなよ」


「甘いのよ、智子は。健祐くんは何にも悪くないのだから」


「それでも美咲ちゃんの気持ちも分からなくもないけどなぁ」


 お姉ちゃんと智子さんがそういう会話をしていると、樋口君は立ち上がって椅子に座る。


「姉ちゃんたち、僕らの会話を立ち聞きするのは勝手だけど。これは、あくまでも僕と美咲さんの問題なのだから、あんまり出しゃばらないでほしい」


 樋口君に言った事に対して、智子さんは鼻で笑う。


「なにを偉そうに言っちゃっているんだか。言わなくてもいい事まで言っちゃって、美咲ちゃんを動揺させて泣かしちゃったくせに。そこは良心の呵責かしゃくがあっても秘密にしとくのが優しさなんじゃないの」


「はい、ストップ。ここで兄弟喧嘩を始められたら、もう面倒見きれないから今はやめておいてね。やるなら私たちが帰った後でお願いするわ」


 お姉ちゃんは私の頭を撫でながら、樋口君と智子さんをなだめるのでした。


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