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模擬戦は意外な結末で終わり、私はいつも通りの日常に戻った。
幸いにして医務室での診察の結果は特に問題なかった。ただ、その医務室でベッドに横たわり点滴を受けているBチームの人達を目にしても、同情する気になれなかった。しかし、その光景は嫌な記憶を思い出すような微妙な気持ちになってしまった。それはたぶん、私が彼女たちや彼と似たような経験があるからなのだろう。
診察の結果、問題ないという事だったので普段の日曜日と同じように魔力訓練などをこなし、そして今、私は着替えて更衣室を出ようとしていた。
更衣室に備えられた全身鏡で服装をチェックする。とはいっても、別にデート用の服装じゃないから、ティーシャツに膝丈スカートというごく普通な外出着ではあるけど、こういう身だしなみは、一応気をつけておいて損はないと思っている。女性なのだから。
それなりに伸びてきた前髪を整えると、私はバッグを肩に掛けて更衣室を出た。
更衣室からエレベーターまではそんなに離れてはいない。ただその途中には階段に繋がる通路がある。その通路の途中に扉にプレートが付いておらず何に使われているのか分からない部屋があるのだけれど、なぜか今日は扉が少しだけ開いて、その隙間から部屋に明かりが点いているのが確認できた。
秘密の部屋(全然秘密ではないだろうけど、そういう気分なのだ)の扉が開いていたら、その中に何があるのか確かめてみたくなるのは当然の好奇心ではないだろうか。
私はその好奇心に従い、知らないものを見られるかもしれないというワクワク感、どうせ物置だろうという現実的な考えもしつつ、本当に軽い気持ちで秘密の部屋に近づいていき――開いた扉から覗こうとした瞬間、部屋の中から誰かの話し声が聞えた。
「ダメだなぁ、あたし。ちゃんと制御できるって思ったのに」
「そうだね、全然制御ができていなかった。だけど、魔法球を使用して魔力の密度を上げたのは良かったよ。でも、緊急時なら急速に魔力を活発化させるのも有りだけど、今日みたいな模擬戦では徐々に活発化していって、白煙が晴れて相手が魔法に気がついた時には動けないというのが理想だったね」
部屋の中は長机や椅子が幾つもあって、綺麗に整頓されていた。その部屋中央に背もたれ付きの椅子が四つ並んでいて、その上にタオルで目を覆われ女性が仰向けに寝ていた。そして、椅子の上に寝ている人の前にはスーツ姿の中井さんが立っていた。
「ゆきなさんに言われなくたって分かってますよ。本当は少しずつ魔法の威力を上げて、魔力を活発化して相手の体力を奪って、時間内に動けなくしちゃおうって考えていたんですけど……はぁ、上手くいきませんでした」
「恵は微細な魔法コントロールが苦手だもんねぇ。であれば、魔法陣を構築して無難に魔法を発動してほしかったかな。今日の件で上から、ありがたーいお小言を聞かされる身としてはね」
どうやら、あそこに寝ているのは雪乃恵さんらしい。
っていうか、今の私のやっているのって、盗み見なんだよなぁ。
「すいませんね、余計なご苦労を掛けてしまって」
「いえいえ、これも私のお仕事ですから。それに麻生さんの教育方針が、『失敗なく成長はない、一生懸命に失敗できるうちはどんどん失敗すればいい』だもん。大丈夫、一生懸命にやって失敗したなら、それで責任を問われても上の私達がちゃんと擁護してあげる」
「……一生懸命かぁ。あたし、今日の模擬戦、本当に負けたくなかったんですよ」
恵さんは額に手を載せる。
「もちろんあの訓練生たちをあんな事にさせるつもりはありませんでした。……いや、少しは痛い目に遭わせてやろうという気持ちもあったんだと思います。でも、あんな無茶をしたのは、別の事で意地を張っていて、それで勝手に焦っていたからだと思います」
「そうか、焦っちゃいましたか。その意地になっているの、弟くんの事だったりする?」
「否定はしません。何だか最近、あいつとの実力差を意識しちゃうんです。特に木曜日のあの事故対応からは何だか急に離されちゃったみたいな感じなんです。噂ではあたしが対応した事になっているのは、皮肉ですよね。あたしはあんなに上手く魔法コントロールはできないのに」
「同時期に準魔法師になった弟に先に実績を作られちゃって焦っている、という感じか。気持ちは分からなくはないけど、恵、新人の準魔法師としてはあなたの魔法全般の技術は飛びぬけているから大丈夫……と言ったところでフォローにはならないか。まあ、恵なら嫌でもそう遅くない内に実績は作ることになるよ。だから、そんなに焦らないの」
最年少準魔法師の天才にも、誰かの実力差に悩む事があるんだな。しかも、その相手が弟だなんて雪乃家の血筋はどんだけすごいんだろう…………ん? 弟と同時期に準魔法師になったのなら、どうして恵さんが最年少準魔法師という事になっているんだろう? 常識的に考えれば弟の方が年下で、普通なら弟の方が最年少の冠が付くはずなのに。
「でも、それでもケンスケだけには、負けたくないです」
恵さんの口からその言葉――樋口君と同じ名が出た瞬間、樋口君の顔が脳裏に浮かび、びっくりして全身がピクンと跳ね上がる。そして、よろめいて足音をさせてしまい、私は急いで扉のすぐ側の壁に背中を貼り付けて息を潜める。
「――そうは言うけれど、そういう事は勝ち負けではないのは分かっているよね。ケンスケはたまたま――というか、あそこで爆発が起きるなんて思ってなくて、だから現場見学として連れて行っただけであって、その場に恵がいたら同じ様にやれたと思うけど」
「そりゃ、あの規模なら誰だって準備していればできると思います。だけど、とっさの判断で魔法陣も組まないでなんて、今のあたしにはできません。今日の事でそれを自覚しただけに、余計に悔しいんです。たぶん、あの場面でもケンスケなら成功させたと思うから」
「相変わらず負けず嫌いだよね、恵は。まあ、それが取り柄なんだけど」
恵さんのクスクスと小さな笑い声をさせた。
「なんなんですか、負けず嫌いが取り柄って」
「ほら、本当の負けず嫌いは、負けるのが嫌だから努力するからね。だから、取り柄なんだよ。それでも、同じ顔を生まれ持った相手にライバル心を持つのは分からなくはないけど、一長一短なんじゃないのかな。双子だからといって、すべてが同じという訳ではないのと一緒で、恵には恵の、ケンスケにはケンスケの得意不得意はあるのだし。だから……」
「だから?」
「……だから、そんなに慌てるなってことよ。誰しも得意な部分、不得意な部分があるのだから、不得意なところはゆっくりと伸ばしていけばいいの。どうせ慌てたからといって不得意なことが急に伸びる訳じゃないのだから、無茶せず地道にやりなさい。あなた達は体も心も伸び盛りなんだからさ」
中井さんがそう言い終えると、しばしのあいだ会話が途絶えて静かになる。
一方の私はといえば、部屋の中は確認できたのだから帰路につけばいいのに、こうやって部屋の中の会話を盗み聞きしている。特には中井さんと恵さんの会話に興味があった訳ではなかったのだけど、今はある小さな可能性が脳裏をよぎっていた。その小さな可能性とは恵さんの弟が樋口君ではないかというものだ。笑いたかったら、どうぞ笑ってやってください、そんな物語みたいな事を考えてしまった私を。もう小さな子供ではないのだから解ってはいます。いくら恵さんと樋口君は顔がそっくりでも、恵さんの双子の弟が樋口君と同じ名前だとしても、その弟が樋口君ではないことくらい。ただの偶然だというくらい。そんな物語の中みたいな偶然が起こるわけがない事くらい。一応、現実は見えていますから。それでも、まだ二人の会話を聴こうとしているは、もしかしたらという気持ちがあるからなのかもしれない。私が三ヶ月前まで自分の事を知らなかったように、余計に知りようのない友人の秘密を知れるかもと思っているからなのかも。
けして行儀のいい好奇心とはいえないし、誰からみても悪い好奇心なのだけど、こういうスパイごっこは十五歳になった今でもワクワクしてしまうのだ。
「ゆきなさん、あたしの母親のこと憶えていますか?」
「ん、恵の母親というと雪乃桜魔法師の事? ――そうだねぇ、十年前の私は訓練生三年目くらいだったから、あんまり接点はなかったんだよね。一応、私担当の総責任者ではあったけれど、本当にお忙しい方だったから面と向かって話しができたのは数える程しかなかったからなぁ。それで、私に何か聞きたいことでもあるの?」
「特に何が聞きたいということではなくて、ただ、あたしは母親の事ほとんど憶えていないから、どんな人だったのかと思って」
「そうだなぁ、私の当時の印象ではドーナッツの人だったわね。訓練しているとよく差し入れに持ってきてくれたみたいだったから、そういう印象になっちゃった。けど、そういう事はあなたのお兄さんか、当時の直接の部下だった麻生さんの方がより詳しいわよ。私なんかよりもずっと」
「それは分かってはいるんですけどね。でも、なんとなく聞きにくい感じがしちゃって」
恵さんの亡くなったお母さんは、雪乃桜さんというみたい。それに、その人は訓練生時代の中井さんの総責任者――私でいうところの麻生さんと同じ立場にあったらしい。そういえば恵さんは、自分の両親が亡くなっているという事を言っていた。そういう事は、恵さんは親戚の家とかに養子にでも入っているのだろうか? まあ、気になるところではあるけれど、私の踏み込んでいい話ではない。
なら、盗み聞きしてるなよ、私!
「そういえば、美咲ちゃんに悪い事しちゃいましたよね。三ヶ月前の事件のこと思い出しださせちゃったみたいだし。あたしがそこまで気が回っていれば良かったんですけど、まったく想い至らなかったんですよ。ダメですよね、あたし」
「こうと決めたら一直線みたいなところがあるもんね、あなたは。そういうところはケンスケを見習ったほうがいいかもね」
「あいつは周りに気を配りすぎなんです。いつも、どうでもいい事に気をまわしちゃって」
「そうかもね。あの子は冷静に判断できるけど慎重すぎる面もあるから、もう少し恵の思いっきりの良さを見習ってほしいものだねぇ」
「あいつ、慎重すぎて好きな人ができても告白できなくて、その内にその好きな人に恋人が出来ちゃったりするのかもなぁ。ケンスケなら有り得そうだと思いませんか?」
部屋の中から二人の笑い声が洩れる。
「それにしも美咲ちゃんはよく続いてますよね」
再び自分の名前が話題に挙がると、嫌でも会話の内容が気になり聞き耳を立てる。
「彼女、例の事件まで何も知らされていなかったそうじゃないですか。それでよく訓練開始してから今日まで一日も休まないで続けてますよね。よっぽど真面目なのか、向上心が溢れているのか、まだ昨日会ったばかりで美咲ちゃんの事はよく分からないけれど、あの訓練時の真剣な態度は感心しました」
恵さんに感心されて、ちょっぴり気持ちが舞い上がってしまう。
「確かに美咲ちゃんは頑張っている。けれど頑張っている理由は、それは美咲ちゃん自身の前向きな性格から来るものなのかもしれないし、またはもっと別のところから来るものなのかもしれない。ただ私の見解は後者だと考えているのだけどね。いや実際には、彼女は真面目で、向上心があるのでしょう。でなきゃ、ここまでは続けられないからね。でも、彼女の心の中には自身の魔力に対する恐怖心があって、それも大きな原動力の一つなんだと思う。まあ、これは私の勝手な想像でしかないのだけど、この二ヶ月間の彼女の訓練に対する直向きを見てきたから、そう感じるだけかもしれない。だけど、どっちにしても美咲ちゃんが無理をしているのは変わらない。だから、能力者の先輩として少しでもいいから気を払ってあげてね」
うまく隠せてるつもりだったけど、見透かされていたんだな、私の心の中。
「はーい、そのつもりです。でも、これで何となく分かった気がします。なんで美咲ちゃんの近くにケンスケを――
再び樋口君と同じ名前が恵さんの口から出た時だった。突然、私のバッグから流行の曲の着メロが流れはじめ、静かな通路に響きわたる。
私は慌てて携帯電話を取り出すと、盗み聞きしている事を瞬時に思い出し、流行の曲を奏でたままの携帯電話を握りしめ、逃げるようにその場から立ち去った。




