第一話 王女レーネ
私が生まれた時、世界はなんと輝いていたことか。
私が少女だった頃、運命はなんと優しかったことか。
だが、私が14歳になったときそれらはすべて私に背を向けた。たとえようもない愛が、目の前にあるものを焼きつくすほどの憎しみに変わったとき、きっと私の肉体も心も焼け落ちてしまったに違いない。
あのとき、父や母と死んでいれば良かったと思うときがある。そうすれば、視界を歪ませるような恐ろしい孤独と戦わずにすんだのだ。
*
私がこの世に産声をあげたのは、たしか暁のころだったと思う。父と母はそんな私に、シリル語で「暁」という意味のレーネという名を与えてくれた。逆境にも負けない、闇に希望をもたらしてくれるような少女になってほしいという願いもたくされたのだ。私は今思えば願い通りの少女だったと思う。まだなにも知らない、無垢で純粋だった幼い頃は。
ローズフランの王女である私は、それは厳格に育てられた。たとえば古くからあるローズフランの礼儀として、人前で髪にふれないとか、握手は目上の人に求めてはいけないとか、あくびはしてはいけない、髪は一糸も乱れてはいけない、そして食事中に食器の音を少しでもたてようものなら、宮廷中から非難を浴びた。
それでも私は幸せだった。
美しく優雅で威厳がある母クリスティン・ローズ・フランシーズ、少し威厳に欠けるものの、誠実な父クルース・ローゼズ・フランシーツ、魅力的な兄レクシオス・ローゼズといっしょに日々をともにできたからだ。
そう。家族の上に私の幸せが成り立っているといっても良かった。薄く、ちぎれやすいが酔っていられる夢のような幸福という文字。厚く、なかなか屈強でしつこい不幸という文字。この文字と、私は半世紀をともにすることになるのだが、それはまだ先の話である。
私が生まれてまもなく、母クリスティン王妃の母である祖母が亡くなった。噂話が好きなたちの悪い連中は私のことを「葬式王女」と呼んだらしいが母も父もそんなことに耳をかさず、とても私を可愛がってくれた。
兄のレクシオスも武芸や学問にすぐれ、まだ四歳で幼いながらもシリル語はもちろんのこと、ミシス語やバラリス文字もほとんど覚えてしまった。武芸の方では、6歳や7歳の周りの貴族の子たちに勝らぬとも劣らない力を発揮し、武芸の面では王子であるよりも騎兵隊長になった方が良いのではないかとよく冗談を言われたほどだ。
おかげで彼はよく「隊長閣下」というあだ名で呼ばれ、そのたびにうれしそうに頬を赤らめていたそうだ。
ちなみに妹の私のあだ名は「マドモアゼル・アルファン」だった。「アルファン」というのはおてんばとか、威勢がいいとかいう意味で、「マドモアゼル」がつくのはませた嬢ちゃんという意味があるらしかった。
私はてっきりそれが王女の冠名であるかと思っていたので、6歳ごろになって真相を知るまで、ずっと自慢に思っていた。「マドモアゼル・アルファン」いや、「おてんばなおませ嬢ちゃん」と呼ばれて意気揚々と胸をはる自分はさぞ滑稽だったことだろう。
あえてそれを指摘しなかった周りにも軽い憤りと水くささを感じることがあるのだが。
そんなこんなで、私たち兄弟は仲がよく、数少ない友達に
夫婦といわれてからかわれたが、それくらい私たちは通じ会っていた。たまに喧嘩になっても翌日は手をつないで宮殿を走り回るのがオチだ。だから誰もとめる必要がなく手がかからないと言われたのを思い出す。
一回だけ、与えられたリンゴの数が平等じゃないといってたいしたことでもないのに私の生意気な口が火に油をそそぎ、周りの大人たちをまきこむ大喧嘩になったことがあるが、母さまの鋭い叱責によって火災は鎮められた。
そして翌日はためらいがちながらも罰である「城下禁止例」をともにうけ、私室でモーツァルトの(何の曲だったかは忘れたが)曲をピアノで奏でていた。レクシオスが最後の一小節をどうしても間違えてしまうので、音楽については得意な私が教えてあげた。
レクシオスがピアノが上手なのは、ある意味私のおかげかもしれない。
さて、おてんばでませていると有名な私の性格はまさに「頭痛の種」で周囲を困らせた。
ままごとをしたいからといって、銀のスプーンやフォークを盗み出したり、リンゴが好きだからといって母さま自慢のリンゴの木からたくさん盗ったり、貴族たちのおかしなクセをまねしてみせたり、わざと通じない言葉で宮廷人に話しかけてみたり、たくさんのいたずらをしでかしたようだ。もちろんレクシオスも私の「遊び」にのって宮廷中を大いに困らせた。
ませているといっても、ただの屁理屈を連発する子供だったのだが、それがまた大人の痛いところをつくというので気を許してはいけなかったようだ。
でも、そんな私でも多くの人に愛されているのは手にとるようにわかった。
だから私もみんなを愛していた。
だがそんな幸福だった少女時代に影がさしてきたの13歳を過ぎてからだったのを、私ははっきりと覚えている。そのくらいの年になると、周りは私の婿選びにやっきになっていた。レクシオスが王位をつぐのは明確だったから、他国と強く関係をもつために、王女である私は重要な駒となっていた。
幾度となくさまざまな国の王子や皇太子などが私の元をおとずれ、素晴らしい贈り物を届けてくれたが私にとってそのようなものは二の次だった。私はレクシオスのような才能にめぐまれた美少年でなければいやだった。レクシオスの側にいる王子たちはどうしても無愛想で平凡な少年に見えてしまい、私は困っていた。
なかなか私の目にとまる王子がいないことに父と母は当然あわてた。あらゆる国に使いをよこし、良い王子を捜させた。だが、私はしょせん無駄だろうと意地悪く考えていたのを覚えている。これまで会ってきた中でレクシオスほど美しく英才な王子は一人もいなかったのだ。
どの王子も気に入らない、と愚痴をこぼす私に対して母は業を煮やしたのか一度ならず怒ったことがあった。
「あなたは周りのことも考えないで自分の好みだけ優先しているのよ」
だけど、どんなに言われようが状況はあまり変わらなかった。
だが私としても「独身プリンセス」としての烙印がおされるのを恐れていた。おまけに国民の私に対する目も冷たかった。差し迫ったときには文句なしに強国の王子と結婚させられるだろう。
私はそのことについては人一倍神経質になっていた。
そして、いわゆる『革命』が色濃くなってきたのはこの頃からだ。