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未来からの手紙

作者: ティアナ
掲載日:2026/10/24

エヌ氏のもとに最初の手紙がとどいたのは、二十歳の誕生日の朝だった。


白い封筒の差出人の欄には、エヌ氏自身の名前が書いてあった。消印の日付は、十年先だった。


『わたしは、十年後のおまえだ。信じられないだろうが、まあ読め。来週の試験は、三問目が出る。それから、駅前の喫茶店の女には近づくな。ろくなことにならない』


いたずらだと思った。しかし、筆跡はどう見ても自分のものだった。


翌週の試験には、本当に三問目が出た。


  *


手紙は、それから毎週のようにとどいた。


『その会社の面接は受けるな。三年でつぶれる』


『あの株を買え。来年の春に三倍になる』


『その女性と結婚しろ。おまえには、もったいないくらいの人だ』


エヌ氏は、手紙のとおりにした。迷うことは、何もなかった。手紙が、いつも正しい答えを教えてくれたからだ。


仕事は順調だった。財産も増えた。手紙のすすめで結婚した妻は、たしかにやさしい人だった。


エヌ氏の人生には、失敗というものがなかった。


  *


三十歳の誕生日の朝、とどいた手紙は、いつもと少しちがっていた。


『今日から、おまえが手紙を書く番だ。これまでにとどいた手紙を、日付のとおりに、一通ずつ二十歳のおまえに送れ。書きうつすだけでいい。机の引き出しに、送り方の説明を入れておいた』


引き出しをあけると、たしかに古い紙が一枚入っていた。なぜそこにあるのか、エヌ氏にはわからなかった。だが、もう何もふしぎには思わなかった。


エヌ氏は、とっておいた手紙の束を取りだし、最初の一通を書きうつした。


『わたしは、十年後のおまえだ。信じられないだろうが、まあ読め……』


書きながら、エヌ氏はふと思った。この文章を最初に考えたのは、いったいだれなのだろう。自分は書きうつしているだけだ。十年前の自分は、それを読んだだけだ。


しかし、そのことを深く考えるのはやめにした。うまくいっているのだから、それでいい。


  *


それからの十年も、同じだった。


四十歳の自分から手紙がとどき、エヌ氏はそのとおりに暮らした。そして四十歳になると、とどいた手紙を三十歳の自分へ書きうつして送った。


娘が生まれた。家を建てた。会社では重役になった。すべて、手紙に書いてあったとおりだった。


ときどき、妻が言った。


「あなたって、迷ったことがないのね」


エヌ氏は、笑ってごまかした。


  *


五十歳の誕生日の朝。


エヌ氏は、いつものように郵便受けをあけた。


何も入っていなかった。


つぎの日も、そのつぎの日も、手紙は来なかった。一週間たっても、一か月たっても、六十歳の自分からの手紙は、一通もとどかなかった。


エヌ氏は青くなった。


手紙が来ないということは、六十歳の自分は、手紙を書かなかったのだ。いや、書けなかったのだ。つまり十年のうちに、自分は……。


エヌ氏は、夜もねむれなくなった。


  *


しかし、生きていかなければならなかった。


エヌ氏は、生まれてはじめて、自分で考えて決めることになった。


会社の新しい計画に賛成するか、反対するか。わからない。娘の結婚相手を、どう思えばいいのか。わからない。週末に、どこへ出かければいいのか。それさえ、わからなかった。


エヌ氏は、よく失敗した。部下の前で、まちがった判断をした。株で損もした。妻とは、つまらないことで何度もけんかをした。


けれど、ふしぎなことに、毎日が少しも退屈ではなかった。


朝、目をさますと、今日はどんな日になるのだろうと思う。何が起こるか、わからない。それが、こわくて、おもしろかった。けんかのあとで、妻と並んで食べた夕飯の味を、エヌ氏はいまでもおぼえている。


  *


そして十年がたった。


六十歳の誕生日の朝、エヌ氏は生きていた。体もいたって元気だった。


エヌ氏は書斎の机に向かい、便せんを広げた。今日から、五十歳の自分に手紙を書く番なのだ。何を書けばいいかは、わかっていた。この十年の失敗を、ひとつ残らず教えてやればいい。あの株は買うな。あの日は、妻に謝れ。そうすれば、五十歳の自分は、何ひとつまちがえずにすむ。


エヌ氏は、ペンを取った。


そして、しばらく窓の外をながめた。


それから、ペンを置いた。便せんを、ていねいにたたんで、引き出しの奥にしまった。


五十歳の自分のもとに、なぜ手紙が来なかったのか。エヌ氏は、ようやくその理由を知った。


その晩、エヌ氏は、明日のことを何も知らないまま、ぐっすりとねむった。


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