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53 女神アルテミスの恩恵

 外は空気がひんやりとして澄んでいた。


 背後にある東の稜線(りょうせん)に沿って朝日が昇り、世界が色彩(しきさい)をとり戻しはじめている。


 ハネツグとキャロラインは互いの手をとって朝露(あさつゆ)に濡れた草原を歩いた。


「見えてきた。あれが僕の家だ」


 ハネツグが指さした方を見て、キャロラインはギョッとした。


 まだ暗い草原と白けはじめた空の境から顔をだしている尖塔(せんとう)は、あきらかに昨日彼女が泥棒に入った教会の尖塔(せんとう)ではないか。


 彼女は本能的に腰を落としてふん張った。手をつないでいたハネツグは急に身体を背後に引かれる形となり、どうしたの?とふり返る。


「なんでここなのよ!?」

「あれが僕の家なんだ。昨日、同じくらいの時間に僕と君はあの家のまえで出会った」


「あ!あのときの!顔をつよく殴っちゃったひと!」


 ハネツグは恥ずかしそうにうつむきながら、殴られた(ほほ)をさすった。


「あのときから、ずっと君のことが頭から離れなくて、だって、とても可愛いひとだったから。そしたらシスターが君をつれて来いって言うんだ。神の教えを説くからって」

「シスター?それってもしかして」


 脳裡(のうり)にネグリジェの悪魔がうかぶ。


「あ、シスターっていうのは教会の代表をしている方で、正しい名前はシスター・キングコブラ」


 殺される……、なんらかの毒で殺される。


「わたし、ちょっと、心の準備ができてなくて」

「さあ、もうすぐだ」


 ハネツグの善意(ぜんい)牽引(けんいん)(あらが)いながらも、キャロラインの身体はズルズル前進してゆく。


「ま、待ってって!」

「なんで?教会は目のまえだ」


「ハネツグだけならいいんだけど、そのキングコブラって名前の人と仲よくなれる自信がない……てかそれ本名なの?」


 そんなやりとりをしながらも、ハネツグの力が勝っているせいで、とうとう教会を見おろす丘の上まできたときだった。


 ふたりの問答をかっさらい、沈黙だけ残すような景色が眼下にあった。


 教会周辺にキラキラ輝く黄金の湖が広がっていたのである。


 朝日を浴びたその湖はまるでそれ自体が太陽であるかのように燦然(りんぜん)とかがやき、ふたりの顔もその()りかえしで金箔(きんぱく)を塗ったように光った。 


 戸惑いながら黄金の湖を見おろしていたハネツグは、やがて湖のなかにシスターの姿を見つけた。ちいさな身体を一層小さく縮めて、彼女の周りには彼の弟や妹たちが心配そうな顔で集まっている。


 シスターの身になにか()ったのかと、ハネツグは急いで丘を駆けおりる。


 キャロラインも彼にひっ張られて丘をおりるが、足がまったく追いつかず、彼女の身体は風にたなびく旗のように宙を泳いだ。


 ハネツグの「シスター!」という叫びと、彼の背後でキャロラインが発する恐怖の悲鳴がとどいて、失意(しつい)の底におちていたシスターはハッと身を起こした。


 涙と鼻水でくしゃくしゃになった顔であたりを見回して、ハネツグを発見するなり眼球がこぼれるほど大きく目を見ひらいた。


 そして、しわと一体化した唇をぷるぷる震わせながら言った。


「ハネツグ……生きてたんか……ハネツグッ!」


 万感(ばんかん)の思いに耐えきれず、シスターは放りだしていた機関銃2丁を小脇(こわき)にひょいと抱え、空にむかって引き金を引きつづけた。


 (あかつき)瞑想的(めいそうてき)な静けさを破壊する銃声にシスターの咆哮(ほうこう)が重なる。


「神よおっ!!かーーッ! みーーッ!よーーーーーー~ッ!!」


 ハネツグは金貨が()かれた庭を全力で走り、シスターの前までくると(ひざまず)いて彼女の(ふところ)にとび込んだ。シスターはそんな彼を息がつまるほどきつく抱きしめた。


「あたしゃねえ、あんたを死なせてしまったんじゃないかと思って、自分を責めていたんだ」

「僕も自分を責めています。頑張ったんですが女神像を取り戻すことができませんでした」


 シスターは「うん?これのことかい?」と足元にある金貨の小山に手をつっこんで女神像をひっぱり出した。ハネツグは口から心臓が飛び出るほど驚いた。


「なんでここに女神像が…っ?!」


 そのあと、ふと思いだしたように周囲を眺めわたして、


「それに、この金貨はいったい?!」

「すべては女神アルテミスのご意志なんだ」


 そこでやっとシスターはハネツグの背後でぐったり座りこんでいるキャロラインに気づいた。


「あの娘はもしや…」

「はい、彼女を連れてきました」


 シスターは目を細めてキャロラインを手招(てまね)きした。

 立ち上がっておずおず近づく彼女の顔をシスターはがっしりつかんで色々な角度にひねってみる。


「昨日見たときは小汚い泥棒猫だと思ったが、こうして眺めてみると、中々どうして可愛い娘じゃないか。まあ、どん臭いところもなくはないが」

「すいません、わたし昨日、ここで盗みを……」


「過ぎたことはいいんだ。あんたは女神アルテミスがハネツグに巡りあわせてくれた大事な娘だ。たとえ泥棒だろうと娼婦だろうと、なんだったら男だって構いやしない」


 ひどい言われようである。


「さあ、教会にもどろう。ちょっと早いがみんなで朝食を食べるよ」


 シスターは子供たちに囲まれながら教会に戻っていった。ハネツグとキャロラインはそのまましばらく金色の草原に(たたず)んでいた。


「僕の仕事はここまでだ」


 ハネツグは彼女の正面に立った。


「このあとどうするかは君が決めることだ。誰もなにも強制しない」

「シスターが私に説教するんじゃないの?」


「シスターはすでに君を許している。僕にはわかる。だからこの先どこへ行こうと君の自由だ」


 キャロラインはハネツグをまっすぐにかえした。


「あなたはどうしてほしい?」

「教会に残ってほしい。そして、これからもずっと一緒にいてほしい」


 キャロラインははにかんで視線を下に逃がした。そして靴のつま先を見ながら「じゃあ、一緒にいてあげようかな」と答えた。


 父がそれまでの彼女を否定し、ハネツグが新しい生き方への橋渡しをした。ふたりの存在が彼女の人生をまったく違う軌道(きどう)に乗せてくれたのだ。より幸せで、より実りのあるほうへ。


 ハネツグは屈託(くったく)のない笑みをつくるとキャロラインに再び手をのばす。彼女はその手をにぎり、ふたりは並んで教会へ歩きはじめた。


 ハネツグは幸せだった。キャロラインも幸せだった。


 キャロラインは身体を反らすように空を見あげた。


 生まれたての朝日を全身にあびながら、ここから新しい自分がはじまるのだと自分自身に告げた。

読んでいただいてありがとうございます。

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