表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/15

ある男の物語

 今日はビジネスのために雇用主と共に街に来ていた。

 島の経済は意外なまでにしっかりしている。契約が書面を用いて行われていることに驚きもした。それどころか一応スーツを着る。雇用主はスーツだが、私はもちろん持っていない。だが、肝心のスーツも体にあっていないので並んで立っていても滑稽なのは雇用主の方だ。ではあるものの、こういうことは相手に合わせることが重要であり、相手へのリスペクトを表すものだからスーツは一着は持っておいた方がよい、と言われた。

 契約相手は牧場を何か所か持っている地元の有名人だ。その周りを巡っては見回りを兼ねた伐採を行うのだ。雇用主とは長い付き合いで契約もそこそこに雑談が続いていた。目の前に置かれたお茶を飲み終わった私は二人だけが知る思い出話に対し愛想笑いを振りまくしかなかった。雇用主も私に分からない話をして置いてけぼりになっていることに気付いてか、私がなぜこの島に来たのか聞いてきたので、島の伝統、文化などを体験したいからだ、と伝えた。それを聞いた彼はこんな話をしてくれた。



 ある男が仕事の待ち合わせをしている。 待ち合わせの場所に来ているが、この後必要になる仕事道具を忘れていることに気付いていた。だが、待ち合わせ相手と連絡する手段もなく、道具を取りに戻ると待ち合わせに間に合わない。かといって道具がないと集合しても仕事にならない。 取り敢えず待ち合わせの場所で仲間の誰が来たら理由を伝え、そこから一度帰って持ってこようと考えた。

 そのとき、一人の老人が近づいてきて、待ち合わせの場所を使うから、別な場所に行ってほしいと言われた。彼は待ち合わせの場所を離れる訳にいかないと説明するが、老人も聞くつもりはなく融通が通らない。

 彼は非常に気弱な男だった。それ以上強く言うことが出来ず、かといって暴力を振るうこともできない。ただ老人の強引さに対し、黙ったまま、頑なに譲らず待ち合わせ場所に居座り続けた。老人の仲間たちが集まってきて口々に文句を言われる。先に居たのは彼なのに老人たちは好き勝手言い出し、さも彼らが先に居たかのように正当性を主張し始めた。ついには彼を無視して、周囲でスポーツを始めた。左右に分かれて小さなボールを投げて相手のゴールに入れるタイプのゲームだ。意外にも老人たちは軽快なステップでラリーを続ける。その真ん中に立ち止まった彼にはボールや老人たちが当たってきて、来ていたスーツは汚れてしまった。それでも彼は待ち続けた。

 仲間たちが集まってきた。老人に挟まれた彼を見ると仲間たちは笑った。だが親方だけは笑わず、道具を忘れた彼を叱ることもしなかった。仲間たちに対して彼が示した姿勢を尊重し、約束を絶対に守ったことに強い信頼感を抱いた。後に彼は親方の娘を貰い、仕事を継ぐことになった。彼のエピソードは顧客にも受け入れられ、絶対に約束を守る男として評判になった。



 君の雇用主の話だよ、と補足された。雇用主は気恥ずかしそうにしている。彼はこの島で生まれ育ちながら生真面目にスーツを着る男で、そんな彼をみんなが信用している、とも。雇用主の娘さんが父親を大変誇りに思っているのはそういうところもあるからだろう。

 君も彼から学び、仕事だけではく姿勢も含めてよく学びなさい、と顧客から諭されて事務所を後にした。外はまだ暑く、車に早く戻りたくなった。その道すがら、大きな通りに出た。中央に公園のあるメインストリートだ。その公園では老人たちがボールを投げて遊んでいた。タンクトップに短パンで球技に興じる老人たちの横を、ジャケットを脱ぐ素振りもない雇用主が通り過ぎる。彼は優しく、頼りになる上司だ。そんな彼が築いた社会的信用はただ一つのエピソードでは語りつくせぬだろう。いつか他の話も聞かせてもらおう。その汗染みの浮かんだグレーのジャケットと、太陽を浴びて白く輝く街並みの背景のコントラストが、今も目に焼き付いて離れない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ