酒場で会った老人から聞いた話
この島の所在を明かすつもりはない。
ただ、見たもの、聞いたもの、忘れたもの。
それらを、ただ記すだけの酔夢逗留記。
これは、私がある島に短期間の就労目的で訪れたときの話。私と故郷を同じくする人が多く住むその島の文化を研究しつつ、地元で働きながら、地元の伝統や風習、習慣を体験しようとやってきたのだ。訪れる際はネットで仲良くなった地元のコミュニティの伝手を頼った。
ネイティブと彼ら人が多く暮らす島。その島は緑豊かで、過去に移住した人たちと子孫が住んでいた。道は舗装され、車が走り、スーパーもある。
港から降り、車で中央の街に向かったが、車窓から見える風景は開けたスペースにぽつぽつと住宅があり、最初イメージしていた鬱蒼とした森とはかけ離れたものだった。牧場が広がり、羊だろうか、白い影が見える風景は東南アジアのような雰囲気より、欧米化し近代化した姿であった。
私は地元のコミュニティに迎えられ、到着して間もなく歓迎会があった。当時は国交結んで何年目かの節目で式典も開かれ、大通り沿いには旗が掲げられ、近くのグラウンドには桜の木があり、その前では式典の舞台が用意されていた。そんな大通り沿いの酒場で歓迎会は行われ、その日は明るい内に集まって飲み始めた。
その酒場は古い木製の建物で、通気性を高めるために窓がほとんどなく、オープンテラスに巨大な庇が延びたような形状をしていた。
そこにこれまた古い、オーク材だろうか、カウンターバーがクレセント型に置かれ、中央では女主人が客に食事や酒を振舞っていた。異国に来たのに聞こえるのは自国の言葉。なんか拍子抜けだが、多くの人が日焼けしているものの、同じ故郷の人種なんだと分かる風貌をしていた。
自由に座って良いと言われ、カウンターの席に座った。左右に人はいなく、自分の人見知りが出ている。でも左の人はたまたま席を離れているだけなのだろう、空いたグラスが置かれていた。その更に左側には、痩せた無精ひげの初老の老人が座っていた。
目の前にコップが置かれた。どうぞ、と言われたのでお通しかなにかかな、と思い飲んでみる。温かい。それに出汁も良く出たスープだ。魚介ベースに、野菜の味も出ている。トマトっぽい感じもするけど、それほど強くはない。美味しい。それを啜っていると、左側から声を掛けられた。初老の男性がニコリと笑うと隙間だらけの歯が覗き、顔には皺がくっきり表れた。さっきまで強面のようで近寄りがたかったが、その笑顔に惹かれてしまった。席を左に移動すると軽い挨拶をした。
酒は飲まないのか、と言われたので何があるのか聞いた。地元の酒は見たこともない蒸留酒。かなり癖があるそうで、なれないなら輸入の酒がある、とのこと。なんだったらほとんどが輸入ものだ。ワインもあるしビールもある。意外にビールの種類が少なく、ワインの方が多い。だが、こんなところでワイングラスを傾けるのは微妙に思えてビールを頼んだ。すぐに瓶に入ったビールとグラスが置かれた。緑色のよく見たことのあるビール。故郷でも飲んだことがある銘柄だ。
注ごうとしたが、既にビールが入っていた。隣の老人が自分のビールを分けてくれたようだ。感謝し、グラスを軽く合わせる。飲んでみると程よく冷えていて美味しかった。次は私のビールを注ごうと心に決めた。
その後も老人と話した。彼は建築会社の社員で、この島には家を建てるためにやってきたものの、そのまま帰らず住み続けているらしい。今はドロップアウトし、気ままに一人で暮らしているそうだ。また、今度は夜に彼の家で飲むことになり、その日は別れた。
約束の夜。彼の家に向かうと、彼は広い、見晴らしの良い庭で焚火をして待っていた。挨拶すると、この強面からどうしてあんなぎこちない、でも嫌いになれない、引き込まれる笑顔で迎えられた。
彼の家は丘陵に建つ一軒家で、木造のペンキの剥げた家だった。平屋で広いベランダがあり、そこから焚火をしている庭に出られるようになっている。ベランダにはベンチもあって、そこでもゆっくりできるようだった。
夜風が心地よい夜。焚火を前にビールを飲みながら、先日出来なかった話を聞いた。
彼らはこの島にやってきて、家を建てようとして、実際に何軒か建てたらしい。当時は働きに島外から来た人が多く住み、仕事がこれからももらえると思っていた。だが、森を切り開くことに反対され、空いている土地は先住民が住んでいるため、土地がなく、急に仕事がなくなった。会社が交渉するまでの間、彼らは待機することになり、その間に彼は先住民の話を聞いて回った。彼らの文化はこの森、海に支えられて続けられてきた。様々な物語が伝えられ、それを口伝で今も語り継いでいる。その話を聞いた彼は魅入られ、会社が撤退を決めた後も残ることにしたらしい。動機は違えど、他にも残る人々はいて、そのまま住み着いて今に至っている。
なるほど、現に心地よい夜風とうまい酒。遠くの森は黒く揺れている。その音は静かな子守歌のようで、故郷では絶対に味わえない魅力がある。私は、彼を魅了した地元の物語を聞いてみたいとお願いした。彼は遠慮気味に、多くが語るほどでもない、下ネタばかりの話だよ、と言って恥ずかしそうに笑った。そんな中から選んで話してくれた。
ここから書くのは、後日改めて話してもらった内容をメモし、当時受けた感想を交えている。唐突に話してもらった話だが、非常に面白かったし、少々怖いものだったので、夜の怪談として聞いたからだし、話したせいもあるだろう。ボイスレコーダーがあれば、そのときの雰囲気も合わせて記録したかった。それほどまでに焚火を囲んだときのその話は引き込まれるものだった。
この島には成人の儀式があり、若い人々が森に入って、集団で何日か過ごし村に帰ってくるものだった。
この島は中央に大きな山があり、それを中心に山が連なって海に続いている。島を隔てるように山脈が続いており、その両脇には深い森が広がっている。人は海沿いに住むのが一般的だが、昔は森の中に空いたスペースに住んでいたらしい。そのスペースに村が作られ、今は海沿いの町と村を結ぶように広がった町が続いており、牧畜のために広げた平野も広がっている。
だが、原住民は変わらず森の許されたスペースにだけ住むようにしている。間に広がった町や牧場はあくまでも増えた人口を吸収するための場所であり、彼らの生活圏は元々あった空き地なのだ。
彼らが焚火をしていると、次第に木々の中から葉の形を変えるものが現れる。それは通常は大きな葉を持つのだが、その時は蔦植物のような、長い枝に小さい葉が何枚も成るらしい。それと同時に雷が鳴りだし、風が強くなり、上空の雲が雷光で時折光る。そんな中でひと際、姿を変えたツタに葉の生えたような姿が黒く見え、それを追って若人らは森に入っていく。奥に進むと洞窟が見えてくる。中は川が流れ出ていて、山のどこかでは雨が降り始めたのだろう、水量が増えて荒くなった川になっていた。その脇道を伝って洞窟に入る。中は暗いが、時折川が光り道を照らす。その洞窟を抜けたら儀式は終わり、村に帰ってくる。それだけの儀式らしい。
ただ、その洞窟の中でなぜ川が光るのか、というと、どうやら落雷が川底を伝っていくらしく、そのせいで薄紫に光るのだろうだ。落雷の度に光る以外は明かりがなく、時間が経つと急流になった川に足元が掬われそうになる。ときには川に入って奥に進むしかないが、川底を伝う雷の小さな手が伸びてくるので、まさに命がけの冒険なのだそうだ。人が死んでもおかしくないのだが、なぜか犠牲者は出ない。儀式を通過した人々は島に住む精霊の加護を受けると考えられ、初めて大人として迎えられる。そんな風習があるそうだ。
後に森に連れて行ってもらったときの話だ。その森には不思議な葉がある。枝の左右に葉が広がるのが一般的と思っていたが、そこでは枝に対し、複数の葉が帯の様に下に一方向に垂れ下がるのだ。それが揺れると結んだ髪の束が左右に揺れるように見える。また、両脇に垂らした手足のように見える。葉の形も含めると、まるで森の人の様に見えるのだ。それが森のあちこちに存在する。また、巨大なナナフシがいて、葉に擬態している。それが大きな手足でノソノソと動き回っているのだ。そのナナフシは1メートル以上はあるだろう。幅も広く、枝と言うより厚みのある葉なのだ。それが垂れ下がった葉の裏側を移動すると風もなく木々が揺れ、その中を風の流れに関係なく動き回る巨大な葉。これが精霊に見えたり、儀式の森の変化に見えたのだろうかと想像してしまった。
この島に住む少年が一人で留守番をしていた。彼の家は父が早くに亡くなり、母が再婚していた。養父は優しく、連れ子の彼を大変可愛がった。妹も生まれ、何不自由ない生活をしていた。そんな彼には友人がいて、家に招いては遊んでいた。
だが、その日は一人で、家に残っていた。玄関が叩かれた音がした。だれかが来たのだろうか、と玄関に近づくが誰もいない。表に出て探す。少し歩くと帽子を被った丸い体格の中年の女性が居た。彼女だろうか。声を掛けると彼女が振り向いた。帽子の下には血走った目と作り笑いがあり、大きな声で呼びかけてくれたことに感謝してきた。彼は急に怖くなり走って家に戻ると表玄関に鍵をかけた。他の出入り口も鍵をかけないといけない。彼は裏口も閉めようと走ったが、既に裏口には丸い影が映っていた。必死に扉を閉めようとするがドアが外から強い力で押されて鍵がかからない。なんとか鍵をかけたが、もう一つリビングに開いた窓がある。そちらに回ると丸い影が家に入り込もうとしていた。急いでそこも閉めようとしたが、また強い力で押される。必死に抑え込むが外からの力に押され、窓が開きそうになる。彼は必死で窓を閉じようとしていると、フッと外からの力が消え、窓を閉められるようになった。彼は戸締りし、布団に飛び込んで頭まで被り隙間から部屋の中を見ながら震えた。だが、それ以上のことはなかった。
翌日、友人を呼んだ。一緒に居てほしいと頼み、彼はしばらく一緒に居てくれた。だが、直ぐに家に帰ってしまった。その後、再び扉が叩かれる音が聞こえた。昨日より大きな音で叩かれている。彼は恐怖し、大急ぎで玄関の鍵を確認しにいった。鍵は締まっている。他の出入り口はどうなっているかとチェックしに走る。裏の勝手口に丸い影が見えた。彼は必死で扉に鍵を掛けようとした。また強い力で押される。勝手口の向こうは斜面に面していてそれほど広くない。その扉の隙間から血走った目が覗いている。彼は必死で扉を押し続けると、外から押されていた力がなくなり、再び鍵を掛けられた。
その日はそれで終わりだった。彼は自室に戻ろうとして見晴らしのよい二階から外を見た。ガレージが見え、届け物であろう室内用の植物が風に揺れて扉にぶつかっている。その音がまるで扉を強くノックする音に聞こえているようだった。その日は嵐になるのかもしれない。遠くの森も強く揺れていた。彼は自室とは反対側にある、別棟で仕事中の養父に守ってもらいたくなり、急いで向かった。
彼の家は元々あった家に、養父が建てた家が続くような造りになっていた。彼はずっと父と住んでいた家に住み続けていた。妹や母は養父の家に移り住んだが、彼は父と過ごした家を離れようとしなかった。養父は優しく、何不自由させなかったが、彼自身は養父に甘えることが、亡くなった父への裏切りに思えたのだろう。母と妹は車で買い物に居て不在だったが、家には養父が残ってくれており仕事をしていた。一人に怖くなった彼は、初めて自分から養父の元に向かったのだった。
あの丸い女性は誰だったのだろうか。突発的に山からの強風が吹くことがあり、その風が扉を押していたのだろうと思われる。どことなく一人で残ったときに家に人を上げてはならない、とか戸締りしておくこととか、そういう躾けのような話に思える。だとしても女性が出る必要はなかったように思えた。もしかしたら、彼が養父の庇護下に入るように促していた精霊なのかもしれない。
このように書くとあまり怖くないように思える。だが、あの暗がり。老人の口調。遠く黒い森。その時はその森がとても怖いものに思えた。何か違う場所、気軽に立ち入ってはいけない場所。そのように思えた。
国交開始の節目の祭典が行われ、故郷でもよく見る桜の絨毯、一部踏まれて黒い場所もある、が広がる通り。両側には見た目は石造りの商店が立ち並び、原住民も移住した人達も楽しく歩いている。桜のあるグラウンドでは学生が組んだバンドが演奏していて賑やかだ。穏やかで暖かい。あの日の夜とは真逆だ。だからこそ、彼らが森を伐ることなく、今ある場所で住み続けていることに納得したのだった。




