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第3章 深夜のデッキと、言いかけた言葉

第3章 深夜のデッキと、言いかけた言葉

 深夜二時。

 列車の揺れが、規則正しく壁を叩いている。

 眠れなかった。

 タバコの匂いにはもう慣れたが、狭い個室で天井を見つめていると、明日の不安が膨らんでいく。

 呼吸が浅くなり、胸がぎゅっと締めつけられる。

 いたたまれず、私は逃げるように個室を出た。

 デッキへ向かう。

 夜行列車で唯一“外の気配”を感じられる場所だ。

 扉を開けると、そこには先客がいた。

 窓に額がつくほど身を寄せ、真っ暗な夜景をじっと見つめている。

 彼女だった。

「……眠れませんか」

 声をかけると、彼女はびくりと肩を震わせ、振り返った。

 メイクを落とした素顔。

 髪はゆるく下ろされ、眼鏡越しの瞳から昼間の鋭さがすっかり消えている。

 戦う女ではなく、ただ疲れた一人の人間の顔だった。

「……ええ。なんだか、怖くて」

 彼女は少しうつむき、また静かに外へ視線を戻した。

 深夜のデッキは静かで、彼女の言葉の重さをそのまま受け止めてしまう。

「私、今日……本気で仕事を辞めようと思ってたんです」

 切り出し方は淡々としていたが、声に力はなかった。

「誰も信用してくれない。成果を出しても手柄は上司。

 失敗したら、真っ先に私のせい。

 私がいなくても会社は回るどころか……“厄介者が辞めてくれると助かる”みたいな顔されて」

 彼女は苦く笑った。

 怒りでも愚痴でもない。

 心が摩耗しきった人の笑い方だった。

 だから、私は飾らず返した。

「……俺は今日、『お前は失敗の尻拭い要員だ』って言われたよ」

「……え?」

「ミスしたのは部長なのにさ。

 『若手が経験するいい機会だ』とか言われて押しつけられた。

 そのまま工場に謝りに行ったんだ。……正直、もう腐りかけてた」

 私は自販機で買った缶コーヒーを二本取り出し、一つを彼女へ滑らせた。

 受け取った彼女の指が、ほんの少し震えている。

「でも、工場に行ったら……みんな笑って迎えてくれてさ。

 『若い子に行かせて悪かったね』って。

 あの不格好なおにぎりを持たせてくれた」

 彼女の瞳が揺れた。

 夜明け前の海みたいに静かで、深く揺れていた。

「人が誰かを潰すのも知ってる。でも……救うこともあるって、今日知ったんだ。

 だから、俺は明日、戦える」

 彼女は息を吸い、缶のプルタブを開けた。

 金属音が、冷たいデッキの空気を震わせる。

 一口飲んだあと、彼女は私を見た。

 泣き笑い――そんな表情だった。

「あなたって……ひょっとして……」

「ん?」

 彼女は何か言おうとした。

 唇がゆっくり動く。

「……メ……」

 列車の走行音が、一瞬だけ弱まる。

 その隙間に混ざって、彼女の声が届いた。

「メ……シ……」

「え? 飯?」

「ち、違う!! 今のナシ! 忘れてください!!」

 彼女は耳まで真っ赤にし、缶コーヒーをぎゅっと抱えたまま、逃げるように走り出した。

 素足のまま、廊下を軽く叩くような足音が遠ざかっていく。

 デッキには私だけが残った。

 ガタン、ゴトン。

 レールの音が規則的に響く。

 ……まさか“メシア”なんて。

 そんなこと言われたら、死ぬほど照れる。

 窓に映る自分の顔は、どうしようもなく緩んでいた。

「……言えるかよ、そんなの」

 小さく呟き、残りのコーヒーを一気に飲み干す。

 苦いブラックのはずなのに、やけに甘かった。

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