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【BABYLON】この居場所で息をする

 久しぶりに訪れた実家は、変わらぬ様子で玲司を迎えてくれた。連絡していた日時にチャイムを鳴らしてしばらく待つと、母親の真美がインターホンで応対したのちに、ドアを開いて笑顔を見せる。挨拶もそこそこに自室へ向かう玲司は、緊張した面持ちで階段を上がり、途中で真美を振り返って言った。


「母さん、ほんとに愛梨、帰って来ないよね?」

「いま学校行ってるから大丈夫。ね、お茶くらい飲んでくでしょ?」

「いや、いい。あいつは鼻がきくから」

「玲司、ちょっと大げさすぎない? いつまでもお兄ちゃん大好きな、かわいい妹じゃない」

「話してる時間ないんだってば!」


 先に声をかけたのは自分なのだが、玲司はヒステリックにそう言い、真美の目の前から姿を消した。いそいそと二階に上がって右側の個室に入り、クローゼットを開く。

 せっかく来たのだからいくつか持って行こうかとも思ったが、きっとここにも毎日のように足を踏み入れているだろう愛梨が、自分が来たことを察するはずだとやめておく。ヴィンテージのジーンズをひとつ探し当て、それをバッグに畳んで入れると、玲司は一階に降りて母を探した。


「母さん、消臭剤とかある? ファブリーズ的なやつ」

「ああ、それならやっておくからいいよ。はぁ、小さい頃は仲良し兄妹だったのに、どうしてこんなことになっちゃったんだか」

「あいつが仲良しの域を軽々と超えてきたからだよ……」


 妹の愛梨は五つ年下の高校二年生だ。幼い時から友達よりも兄の玲司にぴったりくっつき、それは年を重ねるごとに重症化していった。玲司が実家を出たのは二年前。それは、自分がいない方が愛梨が楽に生きられると思ったからだ。


 だが、「お兄ちゃん大好き」「お兄ちゃんと結婚する」など、愛梨が玲司を溺愛していたのは言うまでもなく、突然一緒に暮らせなくなったことに傷ついているのも確かだろう。もうちょっと別のやり方があったのではと、玲司も気に病んでいるが、あれはどうしようもなかったと結論づけるしかない。


「じゃあ、もう行くね。俺が来たことは絶対に愛梨に言わないで。父さんにもよろしく」

「はいはい。玲司、最近忙しそうだけど、ちゃんと食べてるの?」

「うん。現場で出るお弁当ばっかりだけど、食べてはいるから安心して」


 その返事を聞いて、真美はいくらかほっとしたように頷いた。本当は久しぶりに真美の手料理が食べたかったと、玲司の腹がしくしくと泣いている。


「また愛梨がいない時に、顔出すね」

「顔はテレビでよく見てるから! あははっ、いまBABYLON絶好調だもんね。がんばって!」

「ありがとう。またね、母さん」


 最後に振り向いて笑顔で手を振り、ほんの数分の里帰りは終わった。急いで車に乗り込むと、もう終わったはずの桜の香りが入り込んでくるように感じる。そして玲司は、逃げるように、というより本当に実家から逃げていく。愛梨が帰って来ないことを祈りながら。




 寄り道をする気にはなれず、今日も一番に楽屋に入って息をつく。よろよろとパイプ椅子に腰を下ろして、売店で買ったミルクティーを一口ずつ飲んでいると、意外な顔がそこに割り込んできた。


「菊ぴー、おっはよ」

「おはよう、佳樹。珍しいな、伊吹がまだ来ないなんて」

「俺はねぇ、髪に時間取られることが多いんだ。今日はうまくまとまったから」

「さすがヘアケアのプロ。シャンプーのCM、三つも出てるのなんか佳樹だけだよ。女性タレントでも珍しいんじゃない?」

「今は男も美しさに磨きをかける時代よん」


 そう言いながら玲司の前の席に腰かけ、佳樹が正面から見つめてくる。いまさら恥ずかしくなどないが、次に何を言われるのか読めなくて、実家帰りということもあって変に怯えてしまう。


「……菊ぴー、前髪伸びたね」

「あー、そうかも。でも、もともと長めだよ」

「中央は目にかぶるようにしたいんでしょ? じゃあ、サイドを佳樹くんが切ってあげましょう」


 大人しくスタイリストに任せればいいものを、佳樹は鼻歌を歌いながら大きなバッグを漁って化粧ポーチを探し当てる。そこから美容師が使うようなシャープなハサミを取り出し、動揺する玲司に椅子ごと迫った。


「ちょ、ちょっと佳樹、近いうち美容院行くから」

「だーめ。今日の菊ぴーが暗く見えちゃうでしょ」

「でも、だからって床に髪が散らばっちゃうし」

「それもそうだねぇ。ん~……、あ、ナイス増田さん」


 佳樹が走り寄ったのは、いつも長時間の収録の際には弁当が置かれているテーブルだった。マネージャーの増田が手配したと思われる寿司があり、その隣に小さく畳まれた水玉のビニールを持って佳樹が戻ってくる。


「ちょうど二枚あるから、床に敷くのと、菊ぴーにかける用ね」

「佳樹、ほんとに切るの? 資格持ってるわけじゃないよね?」

「うん。そうじゃないけど、手先は器用だし失敗しないから安心して」

「なんか不安だなぁ……。でも、佳樹の声で聴くと暗示にかかりそう」

「確かに。じゃあ楽にして、力抜いて、顎引いてね~」


 ここでメンバーの誰かが入ってきたら気まずいな、と頭の隅で考えつつ、玲司は言われた通り目を閉じてじっとしている。佳樹の冷たい手と、温かい吐息が頬に触れる。玲司はその温度差にくすぐったそうに眉を寄せたが、佳樹は鋭利な音を立ててハサミを自在に操っているようだ。BABYLONで、いや、きっと芸能界の男性一美意識の高い佳樹に髪の手入れをしてもらうのは、ある意味贅沢と言えるだろう。


「お客さん、かっこよくします? それともかわいい系?」

「いつもと同じでいいよ……」

「王子様風ですね。かしこまり~」


 前髪を数ミリ切るだけだから、ものの二分あれば終わりそうなものだが、佳樹はそれ以外にもこだわっているらしい。佳樹が乗り気になると言ってもきかないので、そのまま好きなようにやらせることにした。

 ふと目を開けてみると、想像以上に真剣な顔をしている相手が映り、玲司は佳樹の魅力にほんの少し触れる。自分のファン、それも見た目で選ぶ佳樹。ファンも大切だが、唯一無二の自分が好きな佳樹。そんな佳樹が自分のために張り切ってると思うと、なんだかおかしくなって笑ってしまう。


「菊ぴー、どしたん」

「いや、佳樹でもメンバーの面倒みるんだなって思って」

「気まぐれよ。機嫌次第でやらなかったかも」

「じゃあ、今は機嫌いいんだ」

「そうですね。新しいドレッサーが届いたから」


 佳樹の部屋には、これまで三度ほどメンバーと泊ったことがあるが、母親のものだという大きなドレッサーが置かれていたのをよく覚えている。大きな鏡と引き出しもある立派な作りで、幼い頃はそこで母親に髪を手入れしてもらったと言った。なぜ母親のドレッサーを佳樹が引き継いだのか、お母さんはいまどこにいるのかと訊こうにも、すぐにはぐらかす佳樹のことは何もわからない。そうだ、いっそファンよりもリーダーである自分の方が佳樹を知らないと、玲司は急に切なくなった。


「はい、終了~。こんな感じでいかがですか? お客さん」

「お! いつもと変わらないのになんか違う気がする! マジで美容師レベルじゃん」

「そそ、スタイリスト顔負け~。これくらいなら、いつでもやるから言ってよ」

「ありがとう。ていうかお寿司あるけど、今日の収録って何か記念日とかだっけ? 三周年……は、この前過ぎたばっかりだし」

「それはあれよ。菊ぴーの誕生日だからでしょ」


 言われてうっかり大声を出すところだった。新年度が始まった自覚はあったが、まさか自分の誕生日を、しかも母親まで忘れていようとは笑えない。

 ポケットからスマホを取り出して待ち受け画面を出すと、たしかに「四月八日」と表示されている。メンバーの誕生日は毎年ちゃんと祝っているのに、自分を二の次にしていたと思い知らされた。届いていたメールは、昨年W主演をつとめたCruelの雨宮りくからの労いの言葉だった。


「佳樹、メンバーの誕生日よく覚えてたね」

「失礼な。まっちゃんの時はプレゼントまで渡したんだからね」

「俺にはないの?」

「じゃあ、ちゅーする?」

「じゃあってなんだよ。しないよ」


 佳樹が文句を言いながらも、散髪の片づけをしていると、一気に残りのメンバーがなだれ込んできた。亮とみつるが爆笑しているそばから数歩離れ、伊吹は眼鏡のブリッジを上げている。


「おう、菊ぴー、佳樹、おはよう! 何やってんの?」

「菊ぴーの前髪切ってたの。せっかくビニール敷いたし、まっちゃんもやる?」

「佳樹、プロレベルだよ。伊達にヘアケアにうるさくないよ」


 玲司が亮にこっそりと言う。亮は顎に手を当ててしばらく唸ったのち、玲司と席を交代して背筋を伸ばした。


「ちょうど襟足が伸びてきたから、美容院行かなきゃな~って思ってたんだ。俺は何度か佳樹に切ってもらってるよ」

「そうなんだ。おもしろい組み合わせだね」

「まっちゃんを口説いてるんだけど、なかなか落ちなくて苦戦してるの」

「菊ぴー、スルーでいいからね」


 はは、と乾いた笑いを返事の代わりにし、玲司はBABYLONらしい空気感に満ちた室内を見渡した。みつるはSNSの更新をし、伊吹は何やら参考書を広げ始める。


 衝突したことは数え切れず、解散の危機にも何度も陥った。それでもいまこうして笑い合えるのは、最後には誰ひとりとして諦めず、デビューという華々しい景色を思い描き、仲間を信じたからだと、玲司はグループのリーダーとして誇らしい気持ちになった。


「伊吹、何してるの?」

「簿記二級の資格を取るための勉強です。三級では履歴書に書いても無意味ですから」

「いや、趣味でやってるって知ってるけどさ、リストラでもされない限り、履歴書書く機会なんてないじゃない?」


 だが、そんな伊吹がかわいくて、つい微笑みながら隣に腰掛けてしまう。すると伊吹は玲司の瞳を見上げ、同じように朗らかな笑みを浮かべて言った。


「自分をアップグレードし続ける感覚です。玲司くんも何か検定を受けてみればわかりますよ」

「向上心があるのはいいことだよね! 俺も自信に繋がるような特技があればなぁ」


 佳樹はプロ顔負けの手さばき、亮は芝居、みつるはペット写真のコンテストでの入選経験がある。そして伊吹は、英検をはじめ、たくさんの資格を持ち、頭の良さで言えば確実に五人の頂点に立つだろう。

 比べて自分は「アイドルらしく」いることしか出来ず、趣味は読書に映画鑑賞と、表現者としてインプットするのに徹している。ファンが求める偶像を描けている自覚はあるが、やはりメンバーと比べると、何かが足りないような気がしてくる。


「玲司くんは、玲司くんらしくいればそれでいいんです」

「俺らしく……ってどんなだろう」


 珍しく弱気になっている玲司の手に指を重ね、伊吹がそっと頷いた。こんな近くで見つめ合っていたら、また佳樹に冷やかされると慌てる玲司だが、次の伊吹の言葉が胸にすっと馴染んできた。


「やさしくて、まとめ上手で、イケメンイケボの玲司くんです」

「なに、伊吹……めちゃくちゃ褒めるじゃん。伊吹も真面目すぎてかわいいよ」

「かわいい……は、嬉しくありません」


 うっかり素でそう言ってしまい、玲司は焦って両手を振りながら伊吹の反応を窺う。だが、普段からこの最年少くんがかわいいと思ってるのは事実なだけに、否定の言葉を口にするのは違うと思った。


「おぉ~、なんか俺、かっこよくなったかも!」


 さっきまで自分がいた席で、カットを終えた亮が感嘆の声をあげている。その後ろでは、佳樹が満足そうに腕を組み、ハサミをポーチに戻すと、亮の耳元に何かを囁いていた。


「ねぇ伊吹、伊吹はBABYLONでいられて幸せ?」

「いきなり何ですか。もちろん幸せですよ。俺の人生を変えてくれた、大切な居場所です」

「そっか。俺もね、BABYLONがなかったら死んでたかもしれない」

「大げさじゃないんですよね。俺もです。だから玲司くん、生まれてきてくれてありがとうございます」


 きっとそれぞれ抱えた傷を癒し合い、前へ進もうと努力を重ねた、かけがえのない仲間たち。気づくと、自分と伊吹を中心に、他のメンバーが集まっていた。玲司は四人に頭を撫でられ、ぎこちなく肩を竦めてはにかむ。今は物理的な距離を取っているだけの愛梨との関係も、いつか決着をつけなければと考えていた。


「みんな来てるな~!」


 パンパンと手を叩きながら、増田が楽屋に入ってきた。五人はばらばらに「おはようございまーす」と挨拶をし、手招きをする増田の元に歩いていく。


「前の番組の収録が押してるらしく、あと二時間はかかるそうだ。今日は玲司の誕生日だから寿司を取っておいた! 先に食べちまおう!」

「すみません……ありがとうございます」

「俺のおごりだから気にするな」

「そのおかげで佳樹くん、美容師になれましたぁ」


 嬉しそうに言う佳樹に適当な相槌を返し、増田は持参した紙皿に豪華なお寿司を取っていく。自宅でお昼をしっかり食べてきたというみつるは、残念そうに玉子二個だけでごちそうさまを言ったが、他の四人は嬉しそうにトロをつまんでいた。

 肩がぶつかってそちらを見ると、伊吹が恥ずかしそうに寿司を差し出している。一瞬わからなかったことを詫びるように目礼をし、玲司はその寿司を一口でたいらげた。

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