【BABYLON】人生の推しと呼ばれた日
道路が渋滞していたせいで、バスの到着が二十分も遅れていた。早めに家を出たからいいが、そのぶん電車の時間が合わず、亮は選択に迫られる。ひとつは、最寄りの駅で時間を潰すか。もうひとつは、別のルートで早めに楽屋入りしてしまうことだ。数秒考えた末に前者を選び、亮はニット帽をかぶり直して、再び悩み始める。今度は書店かカフェ、もしくはゲーセンなど、いくつもの候補が頭に上がった。
「あの~……」
するとそこに、男性の声が割って入る。そちらに視線を向けると、亮の隣に同年代の少年が立っていた。少年は亮と目が合うとぱぁっと顔を輝かせ、口元に手を添えて小さく話す。
「BABYLONの宇治原亮さんですよね?」
「あ~っと……、あ、はい。お静かに……お願いします」
「わかってます。あの、これからお仕事ですか? お急ぎですか?」
少年は亮だとわかるとますます興奮した様子で、だがそれを必死に抑えようとしている。何と答えようか考えつつ、亮はまず少年を見下ろして観察した。
おそらく年齢は二つ下くらい。大学生だろうか、バッグには参考書やノートと思われるもの、筆記用具の類が入っている。身長は自分より十センチほど低く、言動は実年齢よりも幼く見える。これが女性だったら人違いのふりをするのだが、同性ということで気を許してしまった。さて、どうしようと困っていると、少年がはきはきと言う。
「俺、水原すばるって言います。十九歳の大学生です。亮さんのことは『消滅』の時からのファンで……ええと、握手とサインがほしいんですが、ここじゃマズいですよね?」
「りょ、亮さん?」
こち亀か? と笑ってしまった亮をキラキラした瞳で見上げてから、すばるはあたりを見回す。まだ午前中ということもあり、駅前はそれほど混雑はしていない。ちょうどスタバから三組のカップルが出てきたのを見つけるなり、すばるはそこを差してはにかんだ。
「スタバ、空いてるかも!」
「ね、ねぇ、急いでますかって聞いたよね?」
「えっ、やっぱり時間ないですか?」
しゅんと肩を落とすすばるが、小動物のようにかわいく見え、亮は思わず首を振ってしまった。同性なら、男なら週刊誌に撮られることもないだろうと、軽くとらえてしまったのも事実だ。
「三十分までなら」
「え、充分です。ほんとにいいんですか? 俺、おごります!」
「いやいや、年長者が払うもんでしょ」
ちょうど奥のソファ席が空いており、亮はすばるに席を取っておいてほしいと伝えてレジに並んだ。まだ朝の時間帯のスタバ店内には、JKやOLの類はいない。そして、多くの人がパソコンを出して作業しているため、男二人の来店を気にする人はいなさそうだと判断し、ほっと胸を撫で下ろした。
「お待たせいたしました。ご注文をお伺いします」
「え~と、キャラメルマキアートのアイス、トールサイズで二つ」
幸い店員も男性で、亮は無難にキャラメルマキアートを二つ注文する。すばるが待機している奥の座席を見ると、ふっと浮かんだサービスに頬を緩める。
「ホイップもお願いします」
「かしこまりました」
スタバのカードで会計を済ませると、すぐに店員がキャラメルマキアートを作り始める。珍しく男性のファンに憧れの眼差しを向けられ、浮かれている自覚はあった。たとえば玲司なら、たとえ男性だとしても、こんな誘いには乗らないだろう。
「アイスのキャラメルマキアート二点、お待たせしました!」
「ありがとうございます」
店員にレシートを見せて商品を受け取り、すばるが待つ席まで運んでいく。幸い、両隣の客が同時に腰を上げ、帰っていくところだった。
「亮さん、すみません。ごちそうになります」
「ああ、これくらいいいから、亮さんはやめてくれる?」
「じゃあ、何て呼べばいいですか?」
「まっちゃんでいいよ。呼ばれ慣れてるのがイチバン」
「はい、じゃあ、まっちゃんさんで」
「さん」もいらないよ、と付け足し、亮はテーブルにキャラメルマキアートを二つ置いて、すばるの前に座った。なんとなく微笑みかけてやると、すばるは顔を赤くして、いまさらもじもじし始める。
「夢みたいです……俺、今日死ぬのかも」
「いやいや、死なないでよ! え~っと、サイン? どこにすればいい?」
「あっ、じゃあスマホケースの内側に」
革製のスマホケースとマジックを震える手で取り出し、すばるは亮に頭を下げる。亮のサインは、伊吹に「女性アイドルみたいですね」と言われるくらい、丸くてキュートなデザインだ。
「ありがとうございます……! 大切に使います!」
「握手は……、なんか目立っちゃうから、帰り際にしてね」
「はい!」
嬉しさに涙ぐんでいるすばるをみとめ、亮は恥ずかしくて視線を逸らす。ドラマ出演が多くなってきた頃から、少しは男性ファンがいることも意識していたが、まさかここまで熱心なファンに遭遇するとは思わなかった。
「すばるくん……、学部は?」
「文学部です。漫画原作者になりたくて」
「自分が漫画家なんじゃなくて、原作者?」
「はい。俺は文章しか書けないので、原作者。ののち、アニメ化までが夢です」
「へぇ~。俺も最近、小説を書き始めたんだけど、難しいよね」
最初の一ヶ月は、どうがんばってもラノベ以下だった。だが、懲りずに単語をネットで調べ、レベルの高いウェブ小説を読んでいるうちに、だんだん文章力が身についてきたように思う。亮が書いているのは、自身の出演作のノベライズだが、いつかBABYLONの日常を小説化して、ファンに読んでほしいという願いがある。すばるには明確な夢があり、大学生活を送りながら、少しずつ作品を書き進めているのだと聞き、亮はますますすばるに興味が湧いた。そんなすばるが、自分のどんなところに惹かれてファンになったというのだろう。
「すばるくんは、俺の出演作っていくつ見てる? いつ好きになってくれたの?」
「全部です。いま映画の撮影中なんですよね。それも公開がすっごく楽しみで……! そもそも『消滅』は、他の俳優さんが目当てだったんですけど、いつの間にかりょ……まっちゃんの演技を追ってました。はっきりファンだと自覚したのは、そのあとたまたまMボに出てるのを見た時ですね。その、声が、好きなんです……。あと、男だけど姉ちゃんとコンサートにも行ってます。姉ちゃんは菊ぴーのファンです」
「そっか、そっかぁ。ドラマとか映画が好きなのかな? じゃあ、芳野桃丸くんの作品とかも見てるの?」
「はい、いくつかは。芳野さんのお芝居っていい意味でも悪い意味でも、強烈ですよね。俺はまっちゃんの、自然な雰囲気の方が好みです」
「ふっ……、それを今度の映画で覆してやるよ」
気づくと、自分の方がすばるを質問責めにしていて、亮は焦ってドリンクに口をつけた。すばるは、亮と話が合うのが嬉しかったのか、テーブルに身を乗り出して続ける。
「あと、姉ちゃんの影響でBABYLONファンになったので、バラエティもほとんど全部見てると思います。おかげで姉弟の距離が縮まりました」
「お姉さんは、何歳上なの?」
「六歳です。ふたりで仲良く推し活してます」
「それはそれは、ありがとうございます。菊ぴーにも伝えておきます」
深々と頭を下げ、すばるの反応を見る。すばるは亮にもらったサインを何度も眺めながら、目の前の本人に熱視線を送っている。すぐに出ようと思っていたのに、会話が盛り上がって結局上限の三十分を過ぎてしまい、亮は楽しさに一瞬自分の立場を忘れかけた。アイドルたるもの、たとえ同性でも特別扱いや、ひいきをしてはならない。
「ありがとうございました。あとこれも、ごちそうさまでした」
「いえいえ、俺も男性ファンに会えてテンション上がっちゃって」
「男性ファンって、そんなに少ないんですか? あー……、コンサートだとほぼいませんけど」
どこかのコンサート会場を思い起こしているのか、すばるが目を閉じて唸った。ミッシングのアイドルグループはどれもほとんど女性客だが、中でもCruelの女性人気は異常だと思う。
「お姉さん、Cruelには興味ないの?」
「そうですね。姉ちゃんは菊ぴーの王子様感が好きなんです。Cruelってクセが強くて、王子様キャラっていないじゃないですか」
「確かに。いや、BABYLONもつよつよですけどね!?」
飲み終わったドリンクを片付け、スタバをあとにして少し歩く。スマホで時間を確認すると、ちょうど次の電車がホームで待機している頃だった。
「まっちゃん、最高のファンサありがとうございました。今日のことは絶対に忘れません」
「俺も楽しかったよ。ありがとう。あぁ、このことはSNSには書かないでもらえると……」
「わかってます。俺もまっちゃんとの秘密を洩らしたくはありません。姉ちゃんにも隠しておきます。女は信用出来ないので」
「あはは。遭遇したって言ってもまっちゃんよ?」
すっと差し出された手を、亮は両手で包んでいた。熱心な男性ファン。自分の演技を高く評価してくれるひと。すばるとの出会いは、亮の今後に強く影響するだろう。
「次のコンサート、勇気を出してまっちゃんのうちわ持ってきて。すばるくんを探すから」
「ありがとうございます……! 手作りうちわで参戦します」
すばるが俯いて泣き出したので、亮は慌ててその手を離してしまった。もっと大事に握手した方がよかっただろうか、どう声をかけるべきかうろたえ、結果すばるの頭に無意識に触れていた。
「……まっちゃん?」
「あ、ごめ! その、悪気はなくて!」
「悪気があって頭撫でないでしょう。ごめんなさい、憧れの人とお茶しちゃったものだから、感動して。誰にも言わずに、もちろんSNSにも書かずに、大切に心の中にしまっておきます」
「すばるくん、俺のファンになってくれて、ありがとう」
「人生の推しです!」
いっそ連絡先を聞きたかったが、自分からそう言うわけにもいかず、そのまま名残惜しく別れることとなった。自分の出演作が、その存在が、すばるの人生に少しでも彩りを与えているのだと思うと、それまで以上にがんばれる気がした。
ホームまでの階段を下りる前に一度振り向いたが、すばるはもう改札前にはいなかった。亮は握った手のあたたかさを閉じ込めるように緩く拳を握り、次のコンサートでは、すばるのためにお茶を立てようと思った。




