【BABYLON】三匹の愛しい息づかい
斉藤みつるの朝に、スマホのアラームはいらない。起床時間は日によってばらばらだが、いつも愛猫たちが起こしに来てくれるからだ。
「んな~ん」
寒いばかりか、雨まで降っている十二月のある日、いつものようにキジ白猫の小次郎がみつるの身体の上に乗り、そのまま香箱座りになる。みつるは目を閉じたまま小次郎に触れ、その磨いたように艶やかな頭を撫で始める。
「んん~」
すると三匹いる愛猫のうち、唯一の女の子・華は、ぐずったあとにみつると同じふとんにもぐり、真っ先に脚の間に入って丸くなってしまう。確かにアラームの役目は果たしてくれているのだが、冬にこうだと、二度寝をしたくてたまらないのが人間だ。
「小次郎、華ちゃん、おはよう」
なんとか起床し目をこするみつるの元に、第三の刺客である武蔵がやってきた。武蔵と小次郎は、同じ家で生まれた実の兄弟で、ふたりとももう十三歳と高齢だが、子猫の時に譲ってくれたご夫婦とは、今でも年賀状のやりとりをしている。
ずん、ずんと足音を鳴らしながら武蔵はまず小次郎のお尻のにおいを嗅ぎ、しばらくフレーメンの状態で固まったあと、みつるの顔の横に座った。そして、容赦なく尖った爪を出して、みつるの額に鉄槌をくだす。
「いたっ! 武蔵痛い、痛いから! そうだ、今日こそ帰ったら爪切りだからね~!」
そう言うみつるの口調はやわらかい。爪切りひとつ取っても、三匹の反応はそれぞれで、小次郎は爪切りを含んだ、どんなお手入れも大好きだ。ブラッシングをしていると喉を鳴らし始め、ぐねぐねと動いてはみつるの手に鼻先をくっつける。華は鳴き声で「いやだ」と主張しながらも、みつるを攻撃しようとはしない。お手入れが終わったあとはすっきりするので、みつるを信頼しているのだと思う。
そして問題の武蔵だ。武蔵は最強の王で、身の回りのお世話を「させて頂く」こちらが物怖じしてしまうほどの美形だ。いや、猫の外見が爪切りや、ブラッシングや、お尻を拭けないなどの理由にはならないのだが、みつるは武蔵を特別に愛するばかり、いつも「失礼します」と断ってからそれらを行っている。
ああ、今日も綺麗だな、と枕に頭をつけたまま武蔵を見上げていると、また鋭利な爪で顔に痕をつけられた。さすがのみつるも、それには飛び起きて非難する。
「ちょっ……、武蔵ぃ、顔はやめてよ。ボディにして」
みつるがいきなり動いたものだから、当然そこで寝ようとしていた華が不快そうに長く鳴いた。このまま3にゃんとベッドでぬくぬく過ごせたらどんなに幸せか、そう悲しみながら床に足をつくと、母親の加奈子がバタバタと部屋に飛び込んでくる。
「みつる! みつる!」
「お母さんおはよう。どしたの、そんなに慌てて」
「慌てもするよ! ほらっ、これ見て!」
加奈子が提示してきたスマホの画面には、『第三回・きょうだい猫コンテスト』のタイトルと、その入賞写真が踊っていた。順にスクロールしながら見ていくと、準入賞になんと武蔵と小次郎のツーショットが掲載されているではないか。
「何コレ!? お母さん応募してたの?」
「みつるが寝てる間に、みつるのスマホから写真を抜き取ってね! ああ~ん、これでムサコジちゃんが全国に知れ渡ったのね~!」
加奈子は両手で自分の頬を包み、そのまま左右に身体を揺らして心底嬉しそうだ。母親のそんな笑顔を見られるのはよかったものの、ひとつ前の加奈子の言葉がどうも聞き捨てならない。
「『みつるが寝てる間にスマホから写真を抜き取って』ぇ!? プライバシーの侵害! つか、お母さんハッカーになれそうだね」
「そうかな? ハッカーってかっこいいよね。なれちゃう? なっちゃう?」
いつもそうだ。加奈子は芸歴八年目になった息子をまだ子供扱いし、要するに子離れが全く出来ていない。やめろと釘を刺してもいまだにキャラクターのイラストの入ったパンツを買って来るし、どんなにみつるの帰りが遅くなろうとも、一緒に晩ごはんを食べる。自分とみつるの境界線というか、「相手はもう大人」「相手の人格」をあまり考えられない、加奈子こそ少年の心で生きている、そんな人だ。
だが、それは今に始まったことではないので、みつるも加奈子の行動をある程度は理解している。そしておそらく自分が撮っただろう武蔵と小次郎が寄り添う写真を見て、親子並んで感嘆の声をあげた。
「あ~ん、うちの子世界一」
「テーマ的に華は入れられなかったけど、お耳の先っぽだけ写り込んでるのも最高~!」
「他の入選作の子たちもかわいいが過ぎる」
「インフタから応募出来るコンテストってけっこうあるみたい。また応募しとくね、みつる!」
「ぐっ、じゃないよ! 今度は抜き取らずに一言断ってね」
いつものことだし、本気で見られてマズいものはパソコンの中に保存してあるので、みつるもそれほど怒らない。加奈子がてへぺろ、と反応するのを覗き込んでいると、足元で当の猫たちが鳴いたり、みつるの脚に顔をこすりつけていた。
「ごはん出そうね~」
「どれにしよっか~?」
みつると加奈子はそれぞれ孫を見るような目になり、武蔵、小次郎、華の三匹の猫たちに甘い声をかける。みつるは現役のアイドルだが、それは実家の猫よりもファンに向けるべきだと、この場で指摘する者はいない。
いそいそとキッチンに入っていった加奈子の背中についていくみつるの後方で、スマホがメールの着信を告げた。仕事の連絡かと思いすぐにタップしてみると、メンバーの宇治原亮から、相変わらずテンションの高い文面がみつるを襲う。
『みつるくん! お誕生日おめでとうございます!!! 俺は映画の撮影なので、みんなと会えない……! めちゃくちゃ寂しい! ……けど! 今日も本気でがんばってきます。あ~、じゃなくて!! おめでとう、そしてありがとう! 俺の誕生日を一ヶ月間違えてたこととか、あれはもう全っ然気にしてないから、来年は……ね。忘れないでね。プレゼントは来週の「BABY番」の時に渡します。まっちゃんでした。ちゅっ。』
ラストは、誰かさんに影響されたとしか思えない文字で締められていた。見ただけでも、亮の声が聴こえてきそうなメールに、みつるは思わずげらげらと笑ってしまう。
「なにみつる、どしたの」
「あ、いや、メンバーからのメール。そんで俺、今日誕生日だったっけね」
「そういえば! 何時に帰って来る? ケーキはせっかくだから手作りしちゃおうかな。形はあんまり期待出来ないけど」
加奈子の趣味は、猫の写真を撮ることとお菓子作りで、今までにBABYLONのメンバーのみならず、スタッフまで数に入れて、大量のパウンドケーキやクッキーを作ってみつるに持たせたこともある。加奈子曰く、「作る」という行為がストレス解消になるのであって、出来上がったものは自分で食べるよりも、誰かの「おいしい」になる方が嬉しいのだそうだ。
加奈子が得意とするのは主に混ぜていくだけのパウンドケーキ、チーズケーキで、生クリームを滑らかに塗るのはまだ苦手らしい。口ぶりからして、まさにその生クリームのケーキを想定しているようだが、みつるはゆっくりと首を振って微笑んだ。
「今日は寒いから、出掛けないで待ってて。帰りは二十三時くらいかな」
「そう? ま、何かしら現場でお祝いされるよね。ケーキはべつに当日じゃなくてもいっか!」
「そゆこと。あんまりさ、俺に負い目を感じないで。今こうして二人と三にゃんで幸せじゃん。俺はアイドルでモテモテだし」
「ん……、じゃあごはんはみつるの好きなハンバーグにします!」
「わ~い!」
自分の帰宅後の夕飯のことで喜んでいると、お腹をすかせた三匹の猫たちが順番に鳴いたり、キッチンからリビングに戻ってヒトに甘えたりした。加奈子は食糧庫から華が好きな缶詰を選び、それを三等分して器に盛っていく。
一番みつるに懐いているのは、やはり最強の王・武蔵だ。武蔵の雑種とは思えないほどの凛々しい顔、優雅な立ち居振る舞い、毛並み、吸い込まれそうな瞳の色、そのすべてが言葉では尽くせないほど美しい。加奈子が呼んでも武蔵はみつるのそばを離れず、みつるが猫のテーブルまで誘導すると、やっと安心したように食べてくれた。
自分のように忙しく、不規則な生活をしている者にとって、猫との時間は驚くほど短い。出来る限り長く、幸せで、そして何より、彼や彼女らしい猫生を生き抜いてほしい。みつるは自分の猫たちに愛情を注ぐだけでなく、個性を尊重したいと常々考えている。
猫たちが食事を終えたところで、加奈子がヒトの朝食の準備を始めた。もう一度鳴ったスマホを覗き込むと、再び亮からの、今度は音声を受信したようで、みつるは絵文字のような顔をして笑った。




