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【BABYLON】祝福のささやき

 まだ物語を『創る側』に回ったことはない。だがいつか、自分の手で誰かを世界に引きずり込みたい。そんな欲望が亮の胸の奥で疼いている。

 昨日のセッションは熱かった。運に左右されてバッドエンドにはなってしまったものの、亮は自身の趣味であるTRPGにもともとハッピーエンドなど求めていない。求めるのは自分とばれないようにリアルタイムで声を出す高揚感、キャラの個性を最大限活かせるような演技力、そして決して会わない「仲間」との時間。

 それは日々のストレス解消となり、BABYLONの現場に戻って、普段の仕事をこなすうえの原動力となる。ただ、一部の界隈で『さくらだ黄緑』が「BABYLONの宇治原亮なのではないか」という噂、及び検証がなされているようで、亮はネット上での名前を決めるとき、せめて緑色から離れるべきだったかとちょっとだけ後悔していた。


「まっちゃん、おっはよ~」


 まつ毛についた目ヤニを落としながら楽屋に入ると、一番先に来ていた佳樹が軽く声をかけてきた。三センチという身長差は、少し視線を下げるだけで見つめ合えるので、佳樹の綺麗な顔がそばにあるのに、いまさらドキドキしてしまう。


「ありゃりゃ、またクマすごいよ。メイクさんが言ってたじゃん。これ消すの、大変なんですよ! って」

「はよ。だーな……、いっそアイライン濃くしてもらうか」

「もう出来ちゃってるもんはしょうがないしね~」


 いつもなら伊吹が一番乗りのはずだが、そういえば午前中に個人の仕事が入っていると聞いた覚えがある。腰かけると軋むパイプ椅子の座面をはたく亮は、ふと背後に気配を感じて振り向いた。いや、振り向こうとした。


「昨日もネットでご活躍だったの? TRPG……だっけ。俺は全然知らないんだけどさ、要はキャライラストもあるなりチャみたいなもんでしょ?」


 亮の肩に顎を載せ、佳樹が耳元に甘ったるい声で囁く。来年公開の映画の主演に抜擢された亮は、出来ればその台本を読んでみんなを待ちたいのだが、佳樹と二人になるといつもこれだ。


「お前、なりきりは役者の始まりだぞ」

「もちろんバカにしちゃいないよ。でも理解しがたいっていう、俺の気持ちもまた自由。ただ、寝不足はパフォーマンスに影響しますから、アイドルというお仕事をされてるまっちゃんさんには、別の趣味をおすすめしたくもある、かな」

「ふっ。運や自分次第でストーリーが変わっていくというおもしろさがわからないなんて、人生損してるな」

「それってゲームじゃだめなの?」

「だめだ。でもま、みんなの気持ちも、言ってることも確かだよ。俺、ほぼ寝ないで現場に来るとかザラだしなぁ」


 昨夜というか朝方、寝付いたのは六時近かったと思う。常に睡眠不足の状態でアイドルや役者業を併行させるなど、自分がまだ若いからだという自覚はある。


「んで、前置きはこれくらいにして……」


 上体を起こして佳樹をどかそうとすると、意味深な言葉が亮の耳に響く。そこでやっと相手を見た亮は、佳樹の楽しそうで嬉しそうな表情に出会った。


「そんな俺から、まっちゃん、はぴばすで~!」

「そんなってどんなだよ」

「まっちゃん専用マネージャー兼メンバーの俺からだよ。背が高くて『顔は』大人っぽくて、お芝居が好きなまっちゃんに、高級ネクタイのプレゼント。ね、開けてみて」

「お、おぅ……?」


 顔は、と強調されたのが気になったが、佳樹の瞳のように紅く美しい、しなやかなリボンをほどいて箱を開いた。紺地にブルーのラインが斜めに入った、シックで優雅なネクタイが亮の目の前に姿を現す。


「ああ、すべすべ。気持ちいい」


 手の甲に垂らすだけでは飽き足らず、つい頬ずりしてしまうような極上の質感だ。しばらくうっとりとネクタイに見入っていると、ふいに佳樹がそのネクタイを持ち上げ、亮の胸元にそれを合わせる。


「うん、絶対似合うよ。ていうか似合ってる」

「おす。ありがとう」

「ねぇまっちゃん。今夜プライベートでバーに行こうよ。そそ、俺とサシ飲み……ていうかデートだね」

「そか、佳樹ってカクテル好きなんだったっけ」

「味にもこだわるけど……、ふふ。俺が好きなものは、そこで教えてあげる」


 いつもより低いが、そのぶんより甘い声が、亮の脳内を搔き乱す。もう六年も一緒にいて、それなりにメンバーの好きなもの、嫌いなものくらいは知っているはずだった。だが、いざ佳樹を前に本人が何を喜ぶかと考えてみると、頭の中にモザイクがかかっているように、うまく思い出せない。


「おはよ~。あ、佳樹だ。珍しいじゃん」


 亮が佳樹と二人でいることに緊張し始めたその時、楽屋のドアをノックしながら玲司が入ってきた。Cruelの雨宮りくとW主演ドラマの収録中の玲司は、最近「高校生見え」を気にしている。


「アラームより三時間も前に目が覚めちゃってさぁ。特にやることもないから来ちゃった」

「まっちゃんみたいになるよりはいいけどさ。あれ、佳樹の趣味ってなんだっけ」

「ん~、自撮りとか。ヘアケア……は趣味には入らないか」

「ははっ、JKかよ」


 ちょっと疲れた顔でバッグを近くの椅子に下ろし、隣の席に座った玲司は台本を読み始める。そうだ、自分だってそうするつもりだったのだと手を叩き、亮はいそいそと玲司の前に着く。


「二人とも本読みじゃつまんないよ~!」


 取り残された佳樹が、窓際で駄々をこねている。玲司は仕方ないな、という顔をして立ち上がり、佳樹の手首を引いて自分の手前に座るよう促した。


「佳樹はりっくん……ヒカルの台詞を読んでくれる?」

「え、おれ演技下手だよ」

「下手でも気持ちを込めてくれればいいーの。じゃあ俺からね」


 玲司が自分の台詞を読み始めると、一瞬で場の空気が変わった。静かな楽屋で台本の確認をしようと思っていた亮は、佳樹の子供っぽさに肩をすくめるが、玲司のやさしく切なげな声には、胸をぎゅっと掴まれたような気になる。

 玲司が雨宮りくとW主演をつとめるドラマは、生徒による先生いじめで次々に離職者を出している問題のクラスが、ある人との出会いによって少しずつまとまっていくという、ありがちなストーリーだ。玲司とりくはその中心人物で、対立し合いながらも相手の内情に触れ、心を開いていく。


「よくあるやつなんだよ」


 ぼそっと亮が呟いた。そうだ、誰でも書けそうで、今までにもドラマ化されてきたような話なのだ。だが、それをどう配役するか、脚本は誰が担当するのか、それによって映像は全く別のものになる。

 監督や脚本家で見る映画を選ぶ人は多いと言われる。初の医師役を見事にやってのけ、その撮影が終わる前に映画の主演の話が舞い込んできた亮は、TRPGのように声だけで遊ぶより、自分が演じることの方がずっと楽しいと日々感じている。同い年で、よく一緒に行動する玲司だからこそ、負けられない。だが、一視聴者として彼を応援したいという気持ちもまた事実だ。


「あれ、それもしかして、プレゼント?」


 亮の手元にある箱を見て、玲司が声をかけてきた。亮は箱からネクタイを取り出し、わざわざ椅子から立ち上がって玲司に自慢する。


「おうよ。佳樹にもらっちゃった」

「へぇ、『顔は』大人っぽいから、まっちゃんそういうの似合うよね。あ、そうだ。お誕生日おめでとう。ごめん、おれプレゼント用意してなかった」

「なんでみんなして『顔は』って強調すんだよ! 中身だって大人だわ!」

「んなムキになんなって。俺も近いうちプレゼント持って来るね」

「ん……、気持ちだけでも嬉しいけど」


 わかりやすいツンデレのような反応をしてしまった亮は、眩しい玲司の笑顔を見つめながら座り直す。そのやりとりを無言で見つめていた佳樹はというと、その紅く鮮やかな瞳を光らせ、亮の表情の変化を楽しんでいた。

 間もなくみつると伊吹も楽屋に揃う頃だろう。何度も読んでボロくなった台本の終わりの方のページを開き、亮は与えられた自身のキャラクターの辿る運命を想い、自嘲気味に笑った。


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