第四節「夜営にて語られる影」
ゼノンの言葉は簡潔であった。
「アキレスはアーラ地区にいる」
それだけを胸に、一行は荒涼とした大地を進んでいた。道はなく、ひび割れた地表と枯れ木の影が続くばかり。昼は容赦なく砂塵が吹き荒び、夜は骨の芯まで冷える風が肌を刺した。空には月すら雲に隠れ、どこか不吉な静けさが漂っている。
やがて夜が深くなると、彼らは崩れかけた石塔の残骸の陰に身を寄せ、小さな焚き火を囲んだ。火は風に煽られながらも、かろうじて橙の光を吐き出していた。仲間たちは無言のまま炎を見つめ、それぞれの胸にアキレスの名を刻んでいた。
長い沈黙ののち、その場に意外な声が落ちた。
「……アキレス」
焚き火の向こう、カイの従神魔――メギが、柔らかく口を開いた。普段は言葉を発することのない存在。その声にカイは驚き、思わず身を乗り出した。
「メギ……? お前、本当にしゃべれるのか」
メギは炎を見つめ、どこか夢から醒めた者のように静かに答える。
「はい……どうやら少しずつ、記憶が戻ってきているようです。断片的ではございますが……語らねばならぬ気がします」
仲間たちの視線が一斉に集まる。火の爆ぜる音と、夜風が石塔を擦る音だけが響いていた。
「アキレスは、かつて無敵の戦士でした。その一歩一歩が戦場を制し、彼が立つだけで仲間たちの心は勇気に燃えました。……彼は“仲間を守るために剣を振るう”ことを、誰よりも誇りにしていたのです」
静寂を破るように、腰の魔剣グラムが低く響いた。
「……あやつとは、一度、刃を交えた。私は貫こうとした。だが通らなかった」
剣の声は重く沈んでいた。
「私はあらゆるものを斬る剣。しかし、奴には届かぬ。……あの肉体は常軌を逸していた」
焚き火の炎が揺らぎ、仲間たちの表情に影を落とす。グラムですら通じなかったという事実が、彼らの胸に重苦しくのしかかった。
メギはおぼろげな記憶を探るように、少し間を置いてから言葉を続けた。
「ですが……彼の心の中心には、常に一人の存在がいました。パトロクロス――親友であり、恋人でもあった方です。アキレスは、恋人を守ることを唯一の誇りとしていたのです」
ヨハンが小さく息を呑む。「……だが、守れなかったのか」
「はい……」メギの声は静かに震えた。「その一点が、英雄の心を砕いたのです。やがて彼は、“自分がパトロクロスを殺した”と信じるようになりました」
リューが眉をひそめる。「なぜ、そんな思い込みを……」
「そう思うことでしか、心を支えられなかったのでしょう。“自分が殺したのなら、恋人は永遠に自分のものになった”と。……歪んだ慰めでございます」
火の粉が舞い上がり、夜空に散る。仲間たちは誰も言葉を発せず、ただ焚き火の爆ぜる音を聞いていた。
やがてメギは、さらに深い記憶を探るかのように、低く語りを続けた。
「その瞬間から、アキレスは変わりました。……愛は狂気へと姿を変えたのです。“愛する者を殺し、永遠に自分のものにする”。そうした逆説に囚われてしまった」
声には悲しみと哀れみが入り混じっていた。
「戦場で“愛しい”と感じた者を、彼は呪い殺し、その亡骸を保存しました。透明なガラスの棺に納め、魔力で腐敗を防ぎ、彫像のように並べ……そして微笑みながら語りかけるのです。……まるで幸せな英雄のように」
グラムが冷ややかに言葉を重ねる。
「奴はいまや“愛の標本館”を築き上げている。外から見れば狂人だ。だが本人にとっては、“愛を守り続ける幸福な英雄”であり続けているのだ」
アリスがその場で、わずかに口を開いた。
「……クズめ」
感情のこもらない、事実だけを切り捨てるような声音だった。焚き火の爆ぜる音が、その冷淡な言葉を一層強調した。
ザックは拳を震わせ、地面に叩きつける。「守るだの、愛するだの……全部ねじ曲げやがって!」
ヨハンは瞳を伏せ、ただ小さく首を振る。「……哀れなものだ」
そしてリューが剣に手を置き、炎を見据えながら低く言った。
「……だからこそ、俺たちが止める」
その言葉に誰も反論はしなかった。ただそれぞれが焚き火の揺らめきを見つめ、心の奥で同じ決意を強めていった。
夜はさらに深まり、冷たい風が砂を巻き上げる。火は小さくなりながらも、しぶとく燃え続けていた。
空には星が散りばめられ、どこまでも澄んだ闇が広がっている。
――目指す先はただひとつ。
アーラ地区の神殿。
かつての英雄にして、いまは狂気に堕ちた王者――アキレスが待つ場所。




