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第八章 狂愛のアキレス 第一節「刻まれしもの」

 リューが姿を消してから、もう数か月が過ぎていた。

 あの塔での戦いを終えてなお、胸の奥に残っているのは後悔だった。――もし自分が、もっと強く、もっと速く、回復魔法を操れたなら。犠牲になった子どもたちの命も、失われずにすんだのではないか。そんな思いが、日ごとに重くのしかかってくる。

 だからこそ、彼女はハイリオスを訪れた。医療と学術の街。その中心で「蒼穹賢」と呼ばれる医師ヨハンのもとを訪ね、自らの力不足を吐露した。

 ヨハンは静かに耳を傾け、そして彼女に告げた。

 「魔法は術式だけでなく、経験の積み重ねだ。君が救えなかった者たちを嘆くのではなく、次に救える命のために力を注ぐべきだ」

 その言葉に背を押され、ロサンジェラは決意を固めた。診療所を増やそう。ひとつの街にとどまらず、もっと多くの人の暮らしを支える場所を作ろう。

 ヨハンの助力もあり、彼女は地方の街や村に小さな診療所を次々に設け、そこを統括する立場となった。

 ――人を救いたい。ただそれだけの思いだった。病や怪我に苦しむ人を一人でも減らしたい。その真っ直ぐな信念だけで、日々を駆け抜けていた。

 やがて診療所の運営が軌道に乗り始め、街の人々が彼女に感謝の言葉をかけるようになったころから、少しずつ体調の異変を覚えはじめた。最初はただの疲労だと思った。働きすぎだと笑ってごまかし、少し休めば治るはずだと軽く考えていた。

 だが数週間が経っても、衰弱は収まらない。体は鉛のように重く、頭痛と倦怠感がまとわりつき、診療所の巡回すら困難になる日も増えていった。

 「無理をしているだけ」と自分に言い聞かせても、症状は悪化するばかりだった。患者の前では笑顔を作るものの、背を向けた途端に膝が崩れそうになる。そんな自分を情けなく思いながらも、誰にも弱音を吐くことはできなかった。

 その噂を聞きつけたのか、ある日ヨハンが自ら診療所を訪ねてきた。

 「君のことが気になってな。……診せてくれ」

 彼は穏やかながらも厳しい眼差しで彼女を診察した。体内の魔力循環も臓器の働きも、どこにも異常は見当たらない。ありふれた病ならば、彼ほどの医師なら必ず兆候を見抜けるはずだった。

 だが今回は、何一つ説明がつかなかった。

 ただひとつ、気になる所見があった。首の後ろ、髪の生え際近くに、奇妙な痣が浮かんでいたのだ。

 「……この印は、いつから?」

 ヨハンが指先で触れたとき、ロサンジェラは首を振った。

 「そんなもの、生まれつきはありません。気づいたのは最近です」

 淡い紫色の模様は、ただの痣にしては不自然だった。輪郭は複雑に入り組み、まるで古代文字の断片のように見える。光にかざすと、わずかに淡く脈動するような気配すらあった。

 ヨハンは治療魔法を試みた。清浄の術、解毒の術、回復の術。どれも一瞬は効いたように見えたが、すぐに痣は元の色を取り戻し、さらに濃さを増していく。

 「……これは病ではない。呪いに近い」

 彼は額に汗を浮かべていた。無数の病を診てきた彼にとって、原因の見えない症状はほとんど存在しなかった。だが、この痣だけは違った。まるで誰かの強烈な意志が形を成し、ロサンジェラに刻み込まれたように思えたのだ。

 「誰かが……私に?」

 ロサンジェラの声は震えていた。だが同時に、不思議と確信めいたものを感じてもいた。これはただの疲労や偶然ではない。明確な“悪意”が、自分に向けられている。

 ヨハンは彼女を安心させるように言葉を選んだが、その瞳の奥には明らかな恐れがあった。

 「……手掛かりがない。だが、この印は放っておくわけにはいかない。強い執着……いや、憎悪のようなものが宿っている」

 その言葉を聞いた瞬間、ロサンジェラの背筋に冷たいものが走った。

 自分は人を救いたいと願ってきた。犠牲を減らし、苦しむ者を少しでも救いたいと、ただそれだけを信じて進んできた。

 なのに、気づけば自らが救いを必要とする立場に立たされている――それも、誰かの呪いに蝕まれながら。

 診療所の外では、今日も助けを求める声が響いていた。

 その声に応えたい。だが足は思うように動かず、痣は刻一刻と濃さを増していく。

 ――これは、試練なのか。それとも、断罪なのか。

 ロサンジェラは初めて、恐怖という言葉を心に浮かべた。


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