第3章 土(怒)竜のザック編 第1節:「渓谷の再会」
~ "There goes my hero, watch him as he goes."
「あれが俺の英雄だ。静かに歩いていくんだ、誰にも気づかれずに。」
──Foo Fighters "My Hero" より
西方の山岳地帯。断崖と霧に包まれた谷の奥に、それはひっそりと存在していた。
クラト渓谷——かつて土竜王と呼ばれた男が身を潜める場所である。
リュー、ロザンジェラ、そして従者の少年カイは、けもの道のような細道を辿りながら、その谷の入り口にたどり着いた。
「風が止んでる……木の葉も揺れてない」
ロザンジェラが足を止め、あたりを見渡す。
谷を覆う霧の中、ひときわ空気が重く感じられる場所。そこに浮かび上がるように、足元の地面に紋様が現れた。精緻に刻まれた土の結界である。
「怒ってるな……これは」
リューがひざをつき、紋様を指先でなぞる。術式は淡く脈動し、呼応するように周囲の土が振動した。
だがその力は、リューの魔力を察知すると穏やかに消えていく。主の意思が干渉を拒まなかったということだ。
その瞬間、地面の奥から鈍い音が響いた。
霧を切り裂き、山の重みそのものが歩いてくるような気配——。
「リュー……か?」
現れたのは、まるで岩が歩いているかのような巨躯の男だった。
肩幅は常人の倍、筋肉の鎧をまとい、粗布のマントを土埃まみれに纏っている。
だが、何より目を引いたのは彼の瞳だった。両目は完全に白濁し、光を失っていた。
「……ザック」
リューがそう名を呼ぶと、男は無言で地を叩いた。
瞬間、足元から土の槍が飛び出す。リューはそれを読みきって跳躍し、すぐに反撃の構えを取った。
「やるか?」
「試しただけだ。声だけじゃ確信が持てなかったんでな」
ザックは豪快に笑い、リューも肩の力を抜いて笑い返す。
「昔から手荒な挨拶だな」
「お前が避けるって信じてたよ」
そのままザックは近づいてくると、大きな手でリューの肩をわしづかみにし、無言で力強く抱き寄せた。
「……変わらないな、お前だけは」
かつての仲間と再会した喜びが、短い言葉にすべて込められていた。
「元気そうだな」
リューがそう応じると、ザックは手を伸ばし、リューの顔の輪郭をなぞるように触れた。
「細くなったか? いや……芯が太くなったか」
その様子を見ていたロザンジェラは、ふっと安堵の息を漏らした。だが、そんな静寂を破るように、後方から小さな声が届いた。
「……あの、俺のことは……」
ザックが顔を向けた先にいたのは、ロザンジェラの背に隠れていたカイだった。
まだ若いが、背筋を伸ばしてリューの隣に立ち、はっきりとした声で続ける。
「初めまして。カイと言います。リューさんと一緒に旅をしています」
ザックは無言のまま、カイの足音と気配を探るように顔を傾けた。
「……お前、握ってんのか?」
「え?」
カイが困惑する。
「拳だ。守るための覚悟を持ってるかって意味だ」
カイはしばし黙ったのち、静かに拳を握りしめる。
「……あります。俺はリューさんを、命に代えても守ります」
ザックは一拍の沈黙のあと、にやりと笑った。
「いい目をしてるな。……リュー、こいつ気に入ったぜ」
「リューを守るなら、まずは肉食って、筋肉つけろ、魔法はそこからだ、明日から教えてやるぞ」
ザックは微笑みつつ、カイの肩に手を置いた。
「うっわ……なんか、威圧感すごいですね」
カイは小声でつぶやきながらも、わずかに胸を張った。
それをロザンジェラは静かに見守る。
そして、ザックは目を伏せるように首を振ると、ぽつりと漏らした。
「……悪いな。今のお前の顔も、こいつの顔も、見えねぇんだ」
静かな言葉に、リューの表情がわずかに曇る。
「目……何があった?」
ザックは一瞬だけ口を閉じ、それから谷の奥を振り返った。
「話すさ。あとの焚き火でな。お前らを歓迎するには、まず飯だ。腹が減ってちゃ、昔話も泣き言にしかならねぇ」
そう言って、巨体をゆっくりと谷の中へと向けて歩き出した。
クラト渓谷。
その静けさの裏には、まだ語られていない傷と痛みが潜んでいる——。