第九節「プロメテウス開戦 ~その6~」
プロメテウスの猛攻は止まらない。怒りと炎の奔流が、なおも彼らを呑み込もうとしていた。
立ち上がろうとしたリューの視界が、赤い奔流で塗り潰される。反射的に腰の剣に手を添えると、鞘の内で刃が低く鳴いた。
『——焦るな、未だ“核”は開いていない』
グラムの声音が、焼けつく鼓膜の奥で澄んだ線のように響く。
リューは喉の血を飲み込み、息を細く整えた。
「模倣——熱流、切断」
彼は手のひらを軽く返し、炎の奔流の“縫い目”を探る。下から上に走る圧力の節、渦の中心。そこへ扇の一閃を差し込む。炎が真っ二つに割れ、数瞬の真空の窓が生まれた。
「ザック、右!」
「任せろッ!」
土が吼えた。ザックの脚が地を抉り、鋼のような拳が割れ目へ突き刺さる。爆ぜる衝撃波がプロメテウスの肩を跳ね上げ、石柱が何本も粉砕された。
氷の鈴の音——アリスの指先から白い花弁が舞い、微細な霜晶が神殿全体に散り敷かれる。温度という概念そのものを削ぐ陣。溜め込まれた熱が一瞬だけ鈍り、炎の色が薄くなる。
「今よ、押し返す!」
「っぐ……!」
カイが膝をついたまま、なおも影を広げる。黒い翳が床の紋様へ絡みつき、炎の軌跡をわずかに撓ませる。
「奪い、盗み、忘れ、欲する人間どもよ。」
彼の声に、古い断罪の響きが混じる。
視線はやはり、カイの背後に寄り添う影——メギへ。
「答えよ。なぜ“人”に従う」
メギは沈黙した。代わりに、カイがその肩を貸りて立ち上がる。
「従わせてない。——一緒にいるだけだ」
「戯言だ」
プロメテウスの足元から赤い紋章が立ち上がる。複数の円環、噛み合う歯車のような火の軌跡。彼が踏み鳴らすたび、神殿の床が低くうなり、天井の裂け目から溶けた石が滴った。
リューは掌をひとひら掲げた。
「楔」
術式の連結点へ、氷と風と土の“点”を次々と打ち込んでいく。欠片のように小さな“点”をいくつも差し挟み、術の歯車を一歯、また一歯と噛み違わせる。
「アリス!」
「承知」
女王の白い息が、ゆるやかに天へ昇る。霜は冠の形を取り、神殿の頂点に静かな“冬”を据える。熱の支配に、“休止”の記号が刻まれた。
「——鬱陶しい」
プロメテウスは肩を払っただけだった。二の腕で打ち払われた空気が衝撃波となり、氷冠は砕け、リューの楔は弾かれ、ザックの胸板が軋む。振り向く暇もなく、彼はカイの真上へと瞬き一つで迫る。
「やめろ!」
ザックが飛び込むよりも早く、カイが微かに首を振った。
彼の足元で、影が蠢く。
「……オマエキライ」
空間が笑ったように歪む。メギの囁きに合わせて、床一枚ぶんの広さが、ぽっかりと色を失った。音も熱も、運動も、燃焼も、そこでは成立しない。プロメテウスの踏み込みが、その“無”に足首だけ囚われる。
——一瞬。
その瞬きほどの隙に、ザックの拳が潜り込む。
「オラァッ!」
拳が頬をかすめた。赤い血ではない、白々とした“ひび”がプロメテウスの面貌に走る。
神殿の空気ががらりと変わった。怒りの温度が、一段、深く沈む。
「……人間」
リューは歯を食いしばり、崩れる感覚の中で楔を握り直した。
リューの掌が、プロメテウスの胸前に触れた。燃焼ではない。氷結でも、衝撃でもない。
——“点”として彼が搾り上げたものをプロメテウスの内部に打ち込み、体内に楔となって無限拡散する。
刹那、神殿の炎が消えた。
音が戻る。空気が泣く。天井のひび割れから、冷たい灰がはらはらと舞い降りた。
プロメテウスは一歩、後ろへ退いた。終わりのない連続的な内部からの痛烈な痛みがその眉間に刻まれる。
「なんだこれは…」
『いい顔だ。やっと“剣の手前”に来たな』
グラムが愉快そうに笑う。
だが勝利の香りは、まだどこにもない。リューの足は震え、アリスの息は白すぎ、ザックの拳も血を滲ませ、カイの瞳には微熱の光が灯ったままだ。
プロメテウスは掌を下ろした。
黒い灰が、雪のように舞う。彼の記憶が回転しはじめた。
「人間よ…憎き人間よ…」




