第二節 模擬戦
重苦しい沈黙を破ったのは、ゼノンの低い声だった。
「……アリス、そしてお前たちが揃えば――或いは、プロメテウスを打てるかもしれない、プロメテウスを打倒すれば、ドーエ地区、コトー地区、そしてツーカシカ地区、東部の要所を抑えることができる」
研究所の一室に集った面々の背筋に、言葉の刃が突き刺さるように緊張が走った。
あの巨神を前にした記憶を持つ者は少なくない。リューとカイは顔を見合わせ、それぞれに苦い息を吐いた。
「……あの力は、言葉では表現できないぞ」リューは拳を握りしめ、苦々しげに吐き出した。「怒りの権化……そう言うのが一番近い」
その言葉にカイも頷いた。喉が乾き、呼吸すら浅くなるのを自覚している。プロメテウスの咆哮、すべてを焼き尽くす炎、心を砕く重圧――思い出すだけで背筋が凍る。
ゼノンは二人の反応を見て、頷くと立ち上がった。
「だからこそ模擬戦を行う。プロメテウス掃討作戦を実行する前に、各自の連携を確認しておく必要がある」
彼が導いたのは地下試験区画、D-7。そこにはかつてザックと魔剣グラムが死闘を繰り広げた、黒光りする広大な空間が広がっていた。冷たい石床に複雑な紋様が刻まれ、無数の魔力管が壁一面を走っている。
ゼノンが制御盤に手をかざすと、金属の唸りが響き、巨大な影がゆっくりと姿を現した。
全長十メートルの模擬戦用ロボット――しかしただの機械ではない。プロメテウスなど数々の神魔を遠隔撮影で得た戦闘データを元に動作を再現するよう調整されていた。赤い眼が瞬き、鈍色の巨体が軋む音を立てて起き上がる。
「これが……」アリスは小さく呟いた。
幼い頃から鳥籠のような宮廷で生きてきた彼女にとって、こうした機械仕掛けは未知の存在だ。だがすぐに瞳に冷ややかな光を宿し直す。自分が今担う役割を理解していた。
ゼノンが手を打ち鳴らすと、場の空気が張り詰める。
「作戦を繰り返すぞ。――アリス、お前の氷の魔法が鍵だ」
その名を呼ばれた少女は、一歩前に出る。
「承知している」
声は澄み切っていた。
氷の女王――彼女をそう呼ぶ者もいる。だが今日の氷は、孤独の象徴ではなく仲間と未来を掴むための武器だった。
ゼノンは指で空中に陣形を描く。
「プロメテウスの火の領域は常軌を逸している。だが氷の力で干渉できれば、その圧を数秒でも削げる。その間にリューとザックがコアを狙う。カイはなんとかメギの力を解放しろ。お前の“メギ”はまだ制御できぬが……危機の際に発現する兆候はある。利用できる可能性も捨てきれん」
「いや」ゼノンの声は断固としていた。「メギこそが、勝敗を分けるかもしれん」
カイは苦笑しながら肩をすくめた。「わかった…」
アリスが杖を掲げ、氷の陣を展開する。
「……試してやる。私の氷が、奴の炎を凌駕できるかどうか」
蒼白の魔力が床を伝い、模擬戦空間全体を凍てつかせていく。空気が白く曇り、息が凍りそうな冷気が満ちた。
同時に巨体が咆哮するように腕を振り上げる。灼熱の炎が天井に奔った。
氷と炎がぶつかり合い、地下空間が軋む。アリスの全身から冷気が迸り、氷の鎖が巨体の足を絡め取った。
「今だ、リュー!」ザックが叫ぶ。
二人は息を合わせ、氷で鈍った巨体の懐に飛び込む。リューは剣を振り抜き、ザックは拳に魔力を込めて殴りつける。
衝撃が走り、金属音が火花を散らした。
だが研究所のエージェント機能によりオートコントロールされている巨躯のすぐに拘束は砕かれ、炎が逆巻く。アリスの頬に汗が伝う。氷で封じられるのはほんの数秒――その短さを痛感する。
「持たない……!」彼女の歯が軋んだ。
カイが影を伸ばす。だがメギは未だ制御できず、伸びた黒は空を裂くばかりで相手を捉えない。
「クソッ、俺の影は……!」
それでも誰も諦めなかった。リューが全身を焦がしながらも剣を構え直し、ザックが血を吐きながら前へ出る。アリスの氷は何度も砕かれ、それでも次の鎖を紡ぐ。
模擬戦だと頭でわかっていても、その場の全員の心は本物の戦場にあった。
巨体が膝を折り、赤い眼が沈黙する。
ようやく、訓練は終わった。
全員が荒い息を吐く中で、ゼノンは無言のまま皆を見渡した。やがて口を開く。
「……悪くない。だが、まだ足りん」
言葉は厳しいが、その瞳には確かな期待が宿っていた。
リューは肩で息をしながらも微かに笑った。
「でも……勝機は見えたかもな」
だがすぐにカイが言葉をかぶせる。
「今回は傷つかない模擬戦だったけど……回復役がいないんだ。ヨハンか、ロサンジェラか……誰かがいなきゃ、次は命が残らないですね」
沈黙が場を覆った。
確かに今の戦いですら限界だった。まして実際のプロメテウスを前にしたら――。
それでも、誰一人として退く気配はなかった。
氷の冷気が残る地下室に、確かな決意だけが漂っていた。




