第三節:解放と移動
出国の日の朝、城は静まり返っていた。
重厚な石壁を渡る冷気は鋭く、冬の空が城塔の上で鉛色に広がっている。中庭には一面の雪。吐息すら音を立てそうなほど、張り詰めた空気だった。
馬車の前で、父――現王は立っていた。長い回復の末に歩けるまでになったが、その表情に喜びはなかった。
「……行け」
短い言葉とともに手を軽く振る。その声に、温もりはほとんど感じられない。全幅の信頼を影に置いているのか、それとも元々親子の間に温かな情がなかったのか――アリスにはもう、どうでもよかった。
影は何も言わず、アリスを馬車へと導いた。車輪が雪を踏みしめ、城門を抜ける。高い城壁が遠ざかっていくのを見ながら、アリスは心の奥で小さく呟いた。
――やっと、この鳥籠から出られる。
しばらく沈黙が続いた。やがて影が低くつぶやく。
「寄らなければならない場所がある」
アリスが振り向く間もなく、影はマントを広げ、その布の闇が不自然なほど深く、広がっていく。
「……何をする!」
咄嗟に腰を引いたが、すでに全身は闇に包まれ、足元の感覚が消えた。重力も方向もわからない。冷気と熱気が交互に頬を撫で、耳元では無数の囁き声が遠くから押し寄せては消えていく。
その間、わずか数瞬。
だが、アリスにとっては何分、何時間にも感じられる異様な時間だった。
次に目を開けたとき、眼前に広がっていたのは見知らぬ都市だった。
高い塔が複雑に連なり、屋根の形も色も国で見たことのないものばかり。石畳の道を行き交う人々は、厚手の外套や異国の装飾をまとい、活気のあるざわめきが空気を満たしていた。どこか甘い香りが漂い、遠くからは鍛冶場の金属を打つ音が聞こえる。
アリスは息を吸い込み、すぐに吐き出した。冷たさの中に、確かに生きた熱があった。城の中では決して味わえない、混沌と活力の匂いだ。
「……ここは?」
「お前には探してもらう者がいる」
影は淡々と答えた。
「名はリュー。年齢は二十には満たぬはずだ。お前とそう変わらない」
「探す……私が?」
「ああ。俺には別の探し物がある」
影の言葉はそこで途切れた。だが、その瞳には一瞬だけ、遠い過去を思い出すような色が宿った。
アリスは問い詰めようとはしなかった。理解できないことは、この男には多すぎる。だが、不思議とそれが恐怖ではなく、むしろ心を揺らす刺激になっていることに気づいていた。
影は背を向け、雑踏の中へと消えていく。
人々の波に紛れ、黒いマントの裾が遠ざかる。その姿が完全に見えなくなるまで、アリスは立ち尽くしていた。
――自由だ。
それはまだ不安定で、足元がおぼつかない感覚だったが、確かに自分の中にある。
退屈と虚無に閉ざされた日々は、もう二度と戻ってこない。
代わりに訪れるのは、何が待ち受けるかもわからない、不確かな道。だが、それこそがアリスの求めていたものだった。
彼女はゆっくりと息を吸い、足を一歩踏み出した。
雪を踏みしめる音が、やけに心地よく響いた。




