第五章 第一節:影縫いの夜行者(ナイトウォーカー)
静寂の部屋で、ゼノンは一枚のホログラムをじっと見つめていた。ノア世界、その最深部、そこには、異形たちの姿が映し出されている。かつてはこの空間に侵入することなどあり得なかった存在。だが今、彼らはこの世界に現れつつある。
「……召喚による歪み、か」
低く呟くゼノンに、背後から通信が入った。
『ゼノン、異形を確認した。中型以上が集団で活動している』
「……排除できるか?」
『命令は受けない。俺は俺の原理で動く』
その声は、低く、冷たく、どこか遠い哀しみを帯びていた。
「……わかっておる。そういう約束だったな」
『転送データを送れ。中型以上の異形の座標だけでいい』
「一人でか?」
『俺は英雄リューとは違う。ただの影だ。……影にしかできないことがある』
通信が切れる。ゼノンはふっと目を閉じ、古い記憶に沈んだ。
――かつて、ザギはリューと同じ進魔種の一人だった。ただ、彼らは別々の戦場にいた。ザギが任されたのは、“西部収束線”と呼ばれた最前線。そこは神魔との激戦地であり、彼の仲間は、誰一人として帰らなかった。
ただ一人、生き残った男。それが、影縫いのザギだった。
その日から、彼は沈黙を選んだ。語らず、眠らず、ただ“存在する”ことだけを許された者のように。
そして今、ノアに迫る異形を前に、彼は再び動き出す。
***
ザギの足元で影が広がる。彼は目を閉じ、薄く微笑んだ。
「……影よ、俺の目となれ」
その瞬間、ザギの放った無数の影がノア世界全土に広がった。各地の座標情報を瞬時に接続し、空間転移の“点”を作る。
次の瞬間、ザギは“そこ”にいた。
中型異形種が数十体、地下の水路跡に集まっていた。
「弱きものは、すぐ群れる……」
ザギの口元がわずかに歪む。その声に気づいたかのように、異形たちが一斉に振り向いた。異様な粘膜と硬質な甲殻の混成体。生物というより“災害”に近い。
ザギは一歩踏み出し、静かに右手をかざす。
「闇よ、絶望よ、わが友よ……」
その詠唱は、まるで詩のようだった。
「──暗夜行路。神魔を、闇に還せ」
異形たちの足元から、深淵のような闇が広がる。影が絡みつき、動きを奪い、やがて——混沌が訪れた。
異形たちは錯乱したように互いを攻撃し始めた。牙を剥き、肉を裂き、咆哮が空間に響き渡る。ザギはただ立っているだけだった。だが、その“無”こそが、闇の支配者である証だった。
──闇は争わせる。理性を奪い、本能を剥き出しにし、己の姿すら見失わせる。
ザギはゆっくりと目を伏せた。
「……そうだ。あの日も……俺は、ただ立っていることしかできなかった」
彼の胸裏に、一人また一人と崩れていった仲間たちの記憶がよみがえる。血の匂い、砕ける骨の音、叫び声。すべてを飲み込んでなお、生き残った者の重さ。
戦いが終わる。そこに残ったのは、黒く濁った魔素と異形の死骸、そして微かに漂うのは、このノア世界では手にはいるはずがない、“ダークエネルギー”だった




