第六節:模倣と業火の果て
灼熱の裂谷――そこは熱そのものが蠢く生き物のように大地を這い、空気すら焼かれ歪む、神の怒りが具現化した空間だった。
リューは裂けた岩の間に立ち、前方に現れた“それ”を見据えていた。全身から火焔をまとい、赤熱した肉体を振動させながら蠢くそれは、イフリートと呼ばれる中級神魔のひとり。だが言葉も表情もない。かすかに黒い霧を纏い、その瞳には光も理性も宿っていなかった。
その霧の奥から、誰のものとも知れぬ“声”が響く。
《滅ビノ業火ヲ、拡散セヨ……人ノ記憶ヲ、焼却セヨ……》
黒いロゴス。その呪詛が、周囲の空間に不気味な震動を走らせた。
「……グラム、今回は俺がやってみたい」
リューは静かに剣を引き抜かず、代わりに手を前に出した。
『ほう、自力でやると?』
「ジグルドとの戦いで、何か掴めた気がするんだ」
『ふ……いいだろう。命が尽きそうになったら、我が斬ってやる。存分に暴れろ、未熟な勇者よ』
グラムの声に、リューは笑みを浮かべた。
「頼りにしてる」
背後では、低級の魔獣が近づいていたが、カイが迅速にその前に出る。彼は支援用魔導具を展開し、リューの周囲に結界を張った。
「リューさんの集中の邪魔だけは、させない!」
イフリートが咆哮を上げた。その瞬間、熱波が走る。周囲の岩が蒸発し、空気が爆ぜる。だがリューは飛び退くことなく、その炎をまっすぐ見つめていた。
身体は焼けるように熱い。だが、その感覚すら懐かしく思えた。
(ノア世界……そうだ、俺はそこで……)
イフリートの右腕が炎を纏って振り下ろされる。リューは滑るようにかわし、その動きの軌道を記憶する。連撃、膝のひねり、重心の流れ——
「模倣」
リューの手が炎を纏う。イフリートのものとほぼ同じ軌道で、火焔の拳が逆襲となって叩き込まれる。
魔神が呻いた。まさか人間に自らの動きが再現されるとは思わなかったのか、わずかに身を引いた。
「……まだ、いける」
炎だけではない。リューは地面を蹴ると、イフリートの足元に氷の槍を出現させた。爆熱の足を一瞬止め、そこへ雷が降り注ぐ。
土の槍が背後から突き上げ、魔神の胴をわずかに裂いた。
『ふむ……全属性同時操作か。これはなかなか見ものだ』
グラムがつぶやく。
模倣。それは、ただ真似ることではない。相手の意図と意志を感じ、構造を見極め、内側から理解する行為。
イフリートの拳が再び振るわれたが、今度はリューの火鎧がそれを受け止めた。瞬間、氷が内側から熱を奪い、爆発的な衝突が生まれた。
裂谷の天井が崩れ、粉塵と火の雨が降る。だがリューはひるまなかった。彼の中で、なにかが開いていた。
「はは……楽しいかもな」
カイが遠くからそれを見つめ、息を呑んだ。かつてのリューにはなかった“高揚”が、その顔に刻まれている。
——そして。
気づけば、イフリートは沈黙していた。
膝をつき、肉体の炎が徐々に消えていく。すでに致命の一撃を受けていたのだ。
リューはまだ構えを解いていない。次の魔法を繰り出そうとしていた。
『もう終わった』
グラムの声に、リューはようやく正気に戻る。
目の前の神魔は、すでに息絶えていた。だが、その残滓が黒い粒子となって漂い始めている。
「ゼノン、回収を」
『了解した。エネルギー核を抽出、ポッド転送ラインに送る。……成功だ』
頭上の転送装置が光を放ち、核が回収されていく。
カイが駆け寄ってくる。
「すごかった……けど、危なかったよ。気づいてなかったんじゃない?」
「ああ……俺、少し熱くなってたかもな」
リューは笑い、汗をぬぐう。その額から、ほんのわずかに蒸気が立ち上っていた。
「次は……メランドとフレアか」
彼の視線の先には、熱気の渦巻く谷間が広がっていた。




