第5節:再会と分岐
街道沿いの町にたどり着いたのは、塔を発って五日目の夕暮れだった。
旅に慣れないカイの足取りは重かったが、一言も弱音は吐かなかった。
「……ここ、意外と人が多いですね」
小さな広場を見回しながらカイが言う。
商人や旅人、地元の人々が行き交い、活気はある。だが、町に漂う空気にはどこか張りつめたものがあった。
「ここで一晩、休む。補給と情報を整えてから先へ進もう」
リューがそう言ったとき、少し先で子どもの泣き声が上がった。荷車にぶつかって転んだらしい。
泣いている子どもに、周囲の大人が困った顔をしている。そこへ、ひとりの女性が人混みを割って進み出た。
「痛いの、もうすぐ治るよ」
彼女が手を伸ばすと、淡い緑の光がふわりと子どもの傷口を包み、みるみるうちに癒えていく。
子どもはきょとんとした顔をしたあと、ぱっと笑顔を見せて駆けていった。
女性がこちらに目を向けた。リューと目が合う。
一瞬、彼女の瞳が大きく見開かれた。
「……リューさん?」
リューは歩みを止めた。名前を呼ばれたことにも、その声の主にも覚えがなかった。
「俺のことを知っているのか?」
彼女は苦笑した。嬉しさと戸惑いと、少しだけ寂しさの混じった笑み。
「まあ、そうなりますよね。私、ロサンジェラです。昔……一緒に修行してた。覚えてませんか?」
リューは眉を寄せた。名を聞いて、記憶の片隅に微かな影が差した。
──幼かった少女。よく転び、泣きながらも魔法を学ぼうとしていたあの子。あの、静かに励ましてやったことのある……
「……ああ。あの小さな子が、君か」
「はい。いまは治療魔法を使って、各地を巡ってるんです。人を癒すことしかできませんけど、それでも誰かの役に立てるならって」
話しながら、彼女のまなざしは昔と同じようにまっすぐだった。
カイがリューの後ろから首を傾げた。
「リューさんの知り合い? ……きれいな人だね」
「……彼女は昔の修行仲間だ」
「君の名前は?一緒に旅してるの?」
「カイです、無理言ってリューさんについてきちゃって……」
カイが照れ隠しのように笑うと、ロサンジェラは優しくうなずいた。
「よかったら少し、お話ししませんか? ここじゃ落ち着かないでしょう」
案内されたのは、彼女が治療活動の拠点として借りている小さな家だった。
木造の内装に薬草の香りが満ちている。
リューは静かに語り始めた。塔での出来事、侵入者、老人の死、そして本来なら二度と使いたくなかった魔法を行使したこと――。
カイは言葉を挟まず、そばで耳を傾けた。
ロサンジェラもまた、穏やかな表情で話を聞き続けていた。
「……それで、どうしたらいいのか分からず、こうして旅をしてる」
「……私に話してくれて、ありがとう」
彼女の言葉は、声を荒げるでも、驚くでもなく、ただ静かだった。
それが、リューにとっては何より救いだった。
リューは思った。ロサンジェラがこの数年で、ただ魔法を学んだだけではなく、
人の痛みに耳を傾ける術を身につけたことが、その言葉の重みから伝わってくると。
「……そういえば、あの頃、リューのことを馬鹿にしてる人たち、いましたよね」
ロサンジェラはふと、懐かしむように視線を落とした。
「模倣なんて、ズルいって。小さかった私は、意味もわからず見てましたけど、空気は覚えてるんです。何か違うって」
リューは答えなかった。ただ、視線を落としたまま、息を吐いた。
彼女は続けなかった。その理由を、彼女自身が知っているからだ。
大人になった今なら、あの時の言葉が、ただの“恐れ”や“嫉妬”から来るものだったと理解できる。
けれど、それを口に出しても、リューが喜ぶとは思わない。
「……で、今は誰かを探してるんですよね?」
空気を変えるようにロサンジェラが問いかけた。
「ああ。師の名前がノートにあった。だが、居場所までは書かれていない」
「手がかりをあるとしたら……“ミルデン”かもしれません。今はラゼルさんがあの町を治めています」
「ラゼル……懐かしい名だ」
低くつぶやく声に、カイが不思議そうな顔を向けた。
「知ってる人なんだ?」
「……ああ。かつての俺のことを馬鹿にしない数少ない修行仲間だった」
「私も明日、ミルデンに用があるんです。一緒に行きませんか? 案内くらいならできます」
リューは少しだけ迷ったが、やがてうなずいた。
「……助かる」
翌朝、三人はまだ陽の高くならぬうちに町を出発した。
舗装された街道を歩く間、ロサンジェラはあまり多くを語らなかった。
リューもまた、風の音を聞きながら、胸の奥を静かに整えていた。
そして昼過ぎ、遠くに石壁の町が姿を現した。
ミルデン──かつての修行仲間、ラゼルがいる町。
リューの歩みは、またひとつ、過去と向き合う方向へと進んでいく。