第三節:忘却の果てに
魔剣グラムの一撃が、黄金の鱗を裂いた。
雷鳴のような斬撃がシグルズの左肩を貫き、竜の体がのけ反る。咆哮が洞窟全体に反響し、黄金の霧が弾け飛ぶ。その声に紛れて、わずかに、人の声が混じった。
「……やめろ……誰か……助けてくれ……」
その声は掠れてはいたが、確かに、あの記録映像で見た高潔な騎士──シグルズのものだった。
「いまのは……記憶……?」
リューは剣を握る手を強め、竜の瞳を見据えた。狂気に満ちたその瞳の奥に、微かに揺らぎが見える。完全に怪物となったわけではない。まだ、どこかに“人の核”が残されている──そう思わせる、微かな希望。
そのとき、グラムが震えた。刀身が脈動し、剣がリューの意識に語りかけてくる。
──「彼の心を、写し出せ。お前の力で、彼自身すら忘れた記憶を――」
リューはうなずき、模倣魔法の構文を思い描いた。右手を掲げ、竜へ向ける。
「──写し出せ。《レプリカ・メモリア》!」
蒼白い魔素が走る。リューの手から放たれた光がシグルズの胸元へ届いた瞬間、洞窟全体がきしみ、空間が揺らいだ。黄金の霧が収束し、空間が軋むように歪む。
そして──映像が現れる。
そこは、黄金に輝く宮殿。かつて首都ドーエを治めた壮麗な王宮。広間には人々の歓声が満ち、王座の脇に立つ騎士がひとり、静かに頭を垂れていた。それが、若き日のシグルズだった。
彼は剣一本で敵国の大軍を退け、滅びかけた王国を救った英雄だった。民衆は彼を讃え、子どもたちはその姿を真似た。王は彼に金色の鎧を与え、名誉と地位を約束した。
だが、王は次第に変わった。富と快楽をむさぼり、民を顧みず、権力に酔いしれた。そしてシグルズに命じたのだ──隣国から、黄金を奪えと。
王命に背けず、彼は剣を取った。幾度もの戦で血を流し、命を落とす仲間たちを見送りながらも、彼は莫大な黄金を持ち帰った。それが国を潤すと信じて。
だが──民衆は、彼を讃えなかった。
「お前がいなければ、戦争は起きなかったのに」
「王の犬め。金に目が眩んだ裏切り者が」
彼の功績は嘲笑に塗れ、名誉は土に埋もれた。
「……なぜ、俺は……」
記憶の中で、誰にも見向きされず背を向けたシグルズは、黄金の鎧を脱ぎ捨てる。そして誰に看取られることもなく、闇の底へと堕ちていった。
「……心が、壊れたんだな……」
リューは拳を握る。幻の映像が霧に溶けると同時に、竜の動きが止まり、咆哮が止んだ。
「誰だ……私を……呼ぶのは……」
その声は、はっきりと人のものだった。
「リュー=エルバレスト。……英雄を、見届けに来た者だ」
竜の瞳が揺れ、その中に、ほんの一瞬だけ穏やかな光が宿る。
「……私の名は……シグルズ……騎士だった……」
その言葉と同時に、地面が揺れた。黄金の鉱脈に染み込んでいた魔素が、共鳴を起こして暴走を始めたのだ。洞窟の天井から岩盤が崩れ、霧が逆流し、空気が濁る。
「まずい……!」
シグルズの体が大きくのたうち、再び咆哮を上げた。それは、理性と絶望がせめぎ合う苦悶の声。人としての最後の抵抗が、彼の中で暴風となって渦巻いている。
「まだだ……まだ、終わらせない!」
リューは剣を構え直す。たとえ救えなくても、せめて苦しみからは解き放ってやりたい。彼の心に手を伸ばした者として、最後まで見届けなければならない。
「グラム、力を貸せ!」
魔剣が応えるように輝きを放つ。リューは歯を食いしばり、足に力を込めた。
──終局は、すぐそこにあった。




