第6章 蒼穹賢のヨハン編 第1節:治癒と知識の国、ハイリオスへ
“Lights will guide you home, and ignite your bones, and I will try to fix you.”
「光が君を家へと導き、君の体に再び灯をともす。……僕は君を癒そうとするんだ。」
──Coldplay – “Fix You” より
カイの容態は悪化していた。額には玉のような汗が浮かび、息は浅く速い。身体の奥底から溢れ出る魔力が抑えきれず、周囲の空気すらざわつかせている。
「……魔力が、暴走寸前ね」
ロサンジェラが額の汗を拭いながら眉をひそめる。その手から放たれる回復魔法も、もはや一時的な抑制にしかならなかった。
「このままでは……」
焦燥がリューの胸を締めつける。無理をして笑うカイの顔が、どこか遠くに見えた。
頼るべきは、アベルが口にした名――蒼穹賢のヨハン。かつて共に修行を積んだ仲間の一人。水と癒しの魔法を極めた、才知と誠実の象徴だった男だ。
「向かおう。医療の都、ハイリオスへ」
リューの言葉に、ロサンジェラは黙ってうなずいた。
* * *
ハイリオスは、まるで異国のようだった。白亜の建物が並び、清潔な街路には魔法の噴水が涼やかな音を奏でていた。空を翔ける医療用の輸送獣。通りを歩く術者たちの衣には、医療印章が光っている。
だが、その繁栄の下に、明確な分断があった。
南区には高級な治療院が立ち並び、裕福な人々が付き添いとともに列をなしていた。一方で、北区では怪我人や病人が雑居屋の影に身を寄せ、見るからに疲弊した顔をしていた。彼らの前には「診療停止」「魔力不足」と書かれた札がぶら下げられている。
「……なんてこと」
ロサンジェラは言葉を失った。かつてこの国は、貧富の別なく誰にでも治療を施すと称賛されていた。今、その理想は瓦解し、冷酷な制度が支配している。
受付の建物でカイの診断を求めた二人は、無表情の事務官にこう告げられる。
「初診料として、五十金貨が必要です」
「なっ……!」
ロサンジェラが詰め寄る。「目の前で苦しんでいる子供がいるのよ! 命に値段をつけるの?」
「規定です」と事務官は感情なく返した。
リューはカイの手を握りしめ、ぐっと唇を噛んだ。
「ヨハンに会わせてくれ。蒼穹賢に、かつての仲間が来たと伝えてほしい」
* * *
面会はすぐに許された。中央診療塔の最上層――かつては研究と理想の場だったそこに、ヨハンはいた。
「久しいな、リュー」
薄青の法衣をまとい、銀の水環を纏った姿は昔と変わらぬ荘厳さを湛えていた。しかし、その眼差しに宿るのは温もりではなかった。氷のように冷たい視線が、リューとロサンジェラを貫く。
「……ヨハン。会えて嬉しい。助けてくれ。彼を……カイを診てほしい」
ヨハンは一瞬だけ視線を落とし、虚ろに呟く。
「魔病……か。珍しい症例だ。だが、そのために特例は設けられない。今のハイリオスは、無料で命を救える場所ではないんだ」
「……何を言ってるの?」ロサンジェラの声が震える。「あの頃、あなたが何を夢見ていたか、忘れたの?」
かつてヨハンは言っていた。“治癒とは誰にでも届くべきもの。魔法とは人を選ぶ力じゃない”と。
「夢など、現実に踏みにじられるものさ」
ヨハンは背を向けた。窓の外、白く輝く都市の向こうに、どこか遠くを見るように。
「この国は変わったんだ。理想だけでは、命は救えなかった。あの時……救えないものがあった。それだけだ」
ロサンジェラが息を呑んだ。
「その夜を、俺は忘れない。いくら理想を掲げても、空の青は飢えた者を癒さない。だから今は、限られた命だけを救う。……それが、俺の選んだ現実だ」
リューは静かに問い返した。
「それでも、お前は“誰かを救いたい”と思ったから、その力を磨いたんじゃないのか?」
ヨハンは答えなかった。ただ、無言のまま診療塔の奥へと歩き去った。
残されたリューとロサンジェラは、互いに顔を見合わせた。
「……彼は変わってしまったの?」
「……いいや。そんなはずはない」
リューの声は、静かに確信を帯びていた。




