第4節 闇縫い、炎の国に現る
戦いの終息は、静かだった。
アク・ラ水源の地下洞窟に響いていた爆発音や詠唱の残響も、今や水の滴る音にかき消されていた。
洞窟の最奥部。リューは息を整えながら、最後の拠点を見渡していた。
すでに術者たちは倒れており、結界も解除されている。
だが――
「……何かが、おかしい」
沈黙の中、空気が揺れる。
リューは、どこかで感じたことのある“気配”に立ち止まった。
懐かしくもあり、鋭くもある魔力の流れ。“記憶”が動く。
「……まさかあれは……」
彼の思考の奥底で、忘れかけていた名前がよぎった。
リューは、崩れた魔力障壁の残骸に指先を添え、残滓を探っていた。
「……これで最後か?」
アベルが肩を回しながら近づいてくる。背には焦げ跡が残るが、大きな怪我はない。
「一通り掃討は終えた。だが……まだ“終わってない”」
リューはそう言って、薄く目を細めた。
違和感があった。空気が変わったのだ。
水源の魔力が“自然な流れ”を取り戻しつつある中で、ひとつだけ、流れに逆らう気配があった。
それは、まるで闇の中からにじみ出るような“静かな異物”。
「誰かが、いるな」
アベルもすぐに気づいたようだった。彼は柄に手をかけ、警戒を強める。
だが、次の瞬間――。
「リューか…」
その声は、洞窟の奥から響いてきた。
温度も湿度も一定だった空間が、ぞわりと“影”を帯びる。水脈に満ちた透明な魔力が、一瞬だけ重く染まる。
そこに現れたのは、黒衣を纏った一人の男だった。
片目に刻まれた刺青。全身を包む闇布。
足音もなく、まるで洞窟の一部が剥がれて立ち上がったかのような出現。
「……ザギ」
リューが低く名を呼んだ。
かつての修行仲間、“闇縫いのザギ”。
己の魔力を縫うようにして扱い、影を通じてあらゆる場所を往来する異能の魔術師。集団行動を嫌い、常に一歩引いた位置にいたが、その実力はリューが認めた数少ないひとりだった。
「なぜ……セルンに与している」
リューの問いに、ザギは何も答えない。ただ、静かに掌を開く。
そこにあったのは、黒く脈動する魔石――グラナダ。
アベルが唸るように言う。「いつの間に……お前……!」
ザギは、視線すら寄越さず、ただ一言、呟いた。
「関わるな…」
その言葉は、まるで洞窟の岩壁に染み込むように低く、重く響いた。
「なぜだ、ザギ!」
リューが踏み出す。「それをどうするつもりだ……!」
しかし、ザギはリューの言葉にかぶせるように、もう一度、淡々と告げた。
「お前は知らなくていい」
アベルが一歩前に出る。「待て、話せ! お前は何を知って――」
ザギの右手がわずかに動く。影が床から湧き上がり、その体を包む。
「……また会う」
それが、最後の言葉だった。
次の瞬間、ザギの姿は完全に闇へと溶けて消えた。
*
しばしの沈黙。
ただ微かな残り香のような魔力の痕が、リューの足元に漂っていた。
アベルがつぶやく。「……あいつ、本当に何も……話さなかったな」
「話す気もない。“渡さない”……それだけだ」
リューは目を伏せ、拳を握る。
かつて共に修行した者が、今や最も恐るべき敵になりつつある現実。
そして、彼がグラナダを手にして去ったという事実。
「……追わなきゃいけない」
カイが後ろから駆け寄ってきた。「リューさん……」
リューは短く頷き、歩き出した。
“門”とは何か。
なぜザギはそれをどうしようとしているのか。そして、師は何を見ていたのか。
闇は深まり、だが足は止まらない。
追わなければならない。真実の扉が、もうすぐ音を立てようとしている。




