第4節:氷の記憶、溶けゆく誓い
王城の塔の最上階、氷の結晶が天井から垂れ下がる謁見の間。
リューは再びその場に立っていた。
戦いの報告を終えた彼に対し、アリスは玉座から微動だにせず、静かにその報を聞いていた。
「術者の回収、結界の補修、残党の痕跡確認。それぞれ対処済みだ」
「……上出来だ」
アリスはそう言って、瞳だけをわずかに細めた。「思った以上に、動いてくれたな」
リューは応じない。ただ、王女の言葉を受け流すように黙していた。
アリスは椅子から立ち上がる。
白銀の礼装が静かに揺れ、床に氷の音を立てる。
「報酬を渡すとしよう」
彼女が右手を差し出すと、側近が一冊の古びた手帳を盆に載せて運んできた。
表紙は革で綴られ、王国の魔術印が封じに施されている。
「これは……」
「数年前、王国の北部に現れた男の動向を記録したもの。彼は“塔”と“封印”に言及していた。おそらく、我々の師かまたはそれに近しい者だろう」
リューは手帳を受け取る。「これで師の足跡を追える……」
「証拠は断片。だが、お前なら読み解けるかもしれぬな」
わずかな間を置き、リューは頷いた。「借りる」
「いいえ。私の名のもとに、この情報は“今この場からお前のもの”とする」
その言葉には王命としての重みがあった。
* * *
謁見の後、ロザンジェラとカイも塔の外階段にいた。
氷の回廊に差し込む日光が、青く反射している。
「……終わったんだね」
カイが息を吐く。
「ええ。でも、これで本当に全部終わりかしら」
ロザンジェラがリューの背を見ながら小さく言った。
すると、アリスの足音が階段に響いた。
「お前たちに言っておくことがある」
その声は、相変わらず氷のように冷たい。
「プルートは、この地に残すには危険すぎる。これ以上、セルンの標的になるのは避けたい」
「……私たちに託すつもりか?」
「任せるのではないわ。任命するの」
アリスはそう言い切ると、白銀の結晶で封印された小さな筐体をリューの前に差し出した。
「プルートに高度の氷結魔法を流している、溶かせるものなどほぼいない」
カイが思わず声を上げた。「でも……本当にそれでいいんですか? 大事な国宝じゃ……」
アリスは、ふと口角を上げた。「かまわぬ」
「この地に置いておくより、お前らの手元にある方が安全と判断した」
リューはその表情を見て、少しだけ目を細めた。
「……アリス。昔から、お前は命令しか口にしなかった。けれど今、それは少しだけ違って聞こえた」
「私は女王。感情で行動した覚えはない」
言い終えた彼女は、ふいに階段の途中で立ち止まる。
「リュー。私がかつて、お前に何を感じていたか。気づいていたか?」
リューは答えず、ただ彼女の背中を見つめる。
やがてアリスは、少しだけ首を振った。
「……それでいい」
その声は誰にも届かないほど小さく、風に紛れて消えていった。
* * *
別れの朝。
馬に荷を積み、リューたちは氷の国を後にしようとしていた。
アリスは城門には現れなかった。だが、城壁の上に立つその姿だけは、空に溶けるように見えた。
「じゃあ……行こう」
リューの言葉に、ロザンジェラとカイが頷く。
氷原の風が静かに吹いた。
その向こうには、師の痕跡。そしてセルンの本拠へと繋がる道が続いている。
リューは馬の手綱を握り、かすかな光の方角へと進み出した。
アリスは最後まで何も言わず、ただその背中を見送っていた。
氷の女王としての誇りを手放さずに——。




