第3節:「拳の記憶、再び」
夜が明けきる前、谷に淡い霧が降りた。焚き火の残り香がかすかに漂い、子供たちは静かに眠っている。
その谷の奥、岩壁に沿って作られた広場では、ザックとリューが向かい合っていた。
「……こんな朝っぱらから拳合わせるなんて、昔に戻ったようだなあ」
リューが苦笑すると、ザックはふんと鼻を鳴らす。
「体は鈍る。目が使えないなら、なおさらだ。大地の震えを聞くには、拳の声を思い出さなきゃなあ」
そう言って、ザックは足を地に叩きつけるように踏み込んだ。
その瞬間、大地が唸りをあげ、リューの足元が微かに浮いた。
「相変わらず……容赦ないな!」
リューは横へ跳び、魔力を込めて手を前へ突き出す。水の鞭が地を這い、ザックの脚へ絡みつこうとするが——
「ぬるい!」
ザックの足元から逆巻くように土が舞い上がり、水を弾いた。
リューはその勢いに目を細める。
「今の、あのときの“土竜の甲殻”か?」
「そうだ。あれをお前が模倣したときゃ驚いたぜ。完璧すぎてな」
「今なら、もっときれいに再現できるぞ」
リューの瞳が静かに燃えた。次の瞬間、彼は両手を地へ向け、ザックの構えと同じ型を取る。
「《模倣魔法・土竜の甲殻》」
重たい音とともに、地面から土の壁がせり上がり、リューの体を包み込んだ。
ザックは舌を巻く。
「……完璧だ。動きまで俺そっくりだな」
「お前の力は、忘れようにも忘れられないからな」
リューはゆっくりと構えを解いた。
「ザック。俺は……模倣しかできないけど、それでも一緒に戦わせてくれ」
しばらく沈黙が流れた。
そして、ザックは拳を握り、そっと突き出した。
「共に震わせよう、地を」
リューも同じように拳を突き合わせる。二人の拳が、音もなくぶつかり合った。
そのとき——谷の東、岩壁の向こうから、微かな地鳴りが届いた。
「……来たか」
ザックが大地に耳を当てるように手を置き、顔をしかめた。
「数は少ないが……奴らだな。結界の外、三十メートルってところか」
「目が視えなくても、そこまでわかるのか……」
カイが驚きをもらす。背後ではロザンジェラが結界の補強を進めている。
「さて、リュー。模倣だけじゃねぇ、今度は“共鳴”してみるか」
「共鳴……?」
ザックが笑った。「お前が俺の技を模倣する。それを見て、俺が次を読む。つまり、俺たちの拳が連鎖するんだ」
その提案に、リューは静かに頷いた。
「面白そうだな。じゃあ、一つだけ言っておく。俺は本気でやるぞ」
「上等だ。こっちも手加減はしねぇ。俺たちの拳で、この谷にもう二度と踏み込ませねぇようにしよう」
岩の裏から、黒装束の影が数体姿を現す。目元だけを露出した術者たちが、無言で構えを取る。
だが、彼らの前に立ち塞がるのは、かつて拳を交えた二人の戦士。
模倣と原型、そして共鳴。二人の魔法が同時に大地を揺らした。
土は唸り、水は吠え、空気が震えた。
クラト渓谷に、二つの意志が響く。
それはただの迎撃ではない。
奪わせないという、誓いそのものだった。




