女の子って凄い。そう思った
金曜日。夕方の近い時刻。
武蔵野ダンジョン近くの大きな公園で、俺はハルカさんを待っていた。予定よりもだいぶ早い時間に来てしまい余計に緊張する。たまたまなのか、辺りに人の姿はなく、静かだ。その静けさがまた、心臓に悪い。
待つことしばらく、ハルカさんがやって来た。俺の姿に気付いた彼女は嬉しそうな顔で、手を振ってくれた。こっちも手を振って応える。なんだか、俺も嬉しい気分だ。ハルカさんはカジュアルな服装で、でも今日はいつもよりお洒落な感じがする。凄く、女の子だ。
「や、ハルカさん」
「おっす。おじおじ。隣良いかい?」
「もちろん、構わないよ」
ハルカさんは俺の隣に座る。確か、彼女と初めて会った時も、彼女はこんな感じで俺の隣に座ったよな。あの時は、俺のことをだいぶ警戒されてたんだっけか。あれは先月のことなのに、なんだかとても懐かしい。
「えっと……今日は良い天気だね」
「そだなー。夏も近いしなー。天気も良いし、風も気持ちいいぜ。明日も晴れると良いよなー」
「ダンジョンの探索は明日だけど、準備はできてるかい?」
「おう、できてるぞー。明日もよろしく頼むぜー。おじおじ」
無難オブ無難な会話から入っていく。ハルカさんも、会話をしながらこちらの様子を探っている気配がある。彼女も緊張しているのだろうか。だとしたら共感を覚えてしまう。
「……てかさ。えっと……」
ハルカさんは少し考えるような間を置いて、意を決したように、ある提案をした。その提案に俺は驚いてしまう。
「二人きりの時だけで良いから、あなたのことをアキヤさんって呼んでも構わないかな?」
「え!? あ……うん。構わないよ」
それは良いけど、どうして急に? 気になるぞ。というか、ハルカさん。雰囲気が変わったのか?
「いや、急にだよね。こんな呼び方は、あなたさえ良ければ……本当にあなたさえ良ければなんだ」
「うん、大丈夫。ただ、どうしてそう呼ぼうと思ったのかは気になるかな?」
ハルカさんが、いきなり距離をかなり詰めてきたから、ビックリしてしまったんだ。彼女がそういう動きをしてきたのが、ちょっと意外だ。
「その……アキヤさんは渋谷のスタンピード事件の前、夢の世界の話をしてたよね? で、私もそういう世界があるのかなーとは、思ってたんだけど」
「うん」
「昨日、夢に仮面を被った女の人が出てきたんだ。彼女は自分のことをリリスって言ってた」
リリスのやつ! ハルカさんの夢に出たのか!? 何のために!?
「……夢の中でさ、私がアキヤさんのことをどう思ってるか確認されたよ。それで、答えたらね。あの男は超が付くほどのシャイだから、おまえがリードしてやらないといけないよって念押しされたんだ。やりすぎだと思うくらい、強引に距離を詰めて構わないってさ」
「な、なるほど……」
誰がシャイだ! いや……それは合ってるな。リリスめ。念のためにハルカさんにも根回しをしてたって訳か。
「えっと、つまりね。夢のお告げってやつなんだ。アキヤさん」
「どうやら、そのようだね」
「信じてくれるんだ。良かったあ……」
そりゃまあ、俺の夢にもリリスって名乗る女は出てきてるからな。信じるって。というか、ハルカさんの言うことなら信用するよ。
「だから、ね。アキヤさん……私は、今からちょっと強引なことをするよ」
「強引なこと……?」
ハルカさんは、ほとんど身構える猶予を与えてはくれなかった。彼女は俺に手を重ね、言った。
「アキヤさん。好きだよ」
不意打ち気味に放たれた告白の言葉はあまりにも衝撃的だった。俺は、何と応えれば良い? 俺は、もっと慎重に手探りをしていくつもりだったんだぞ。こうも直球で来られると、戸惑う。
「返事は、すぐに、じゃなくて良い。私でも、この告白はかなり強引だと思う。恋愛って本来はもっと曖昧に距離を詰めていくものだと思ってるし。私」
「でも、今日のハルカさんは、かなり直球勝負で来てるんだね」
俺の言葉に、ハルカさんは照れ臭そうに笑う。俺も、何故だか照れ臭くなり、笑ってしまった。
「そうか……でも、どうしたもんかな。俺は……迷ってる」
返事に迷っている俺に対し、ハルカさんは「一つ」と言った。一つ? 何が、一つなんだろう?
「アキヤさんに、一つだけ助言をさせて。若者の、生意気な言葉だと思うかもしれないけど、言わせてほしいんだ」
「生意気だなんて、思わないよ」
ハルカさんの真剣な思いは、ちゃんと、伝わっている。だから俺は彼女の言葉を受け止めるつもりでいる。
「アキヤさん。あなたはきっと、いつも誰かのために動いている。誰かを助けるのは、素晴らしいことだよ。私も、そういうことができる人になりたいって思ってる。だけど……」
それから、ハルカさんが続けた言葉は本当に意外なものだった。まさかと思ってしまうほどに、俺の想定外の言葉だった。
「私には、アキヤさんが苦しそうに見えるんだ」
「……苦しそう?」
「気を悪くしたなら謝る。ただ、私にはアキヤさんが、そう見えるのは本当だよ。アキヤさんが誰かのために動ける人なのは尊敬してる。でも、時々心配になるんだよ。あなたが、自分のことを犠牲にしすぎてないかって」
「俺は……」
俺は自分を犠牲にしているだなんて、思っていない。けれど、もしかしたら……そう……なのか?
「アキヤさん。私は……アキヤさんが好き。もしも、あなたが私のことを好きだったなら、自分の気持ちを殺すことは、しないでほしい。私は、あなたが自分の心を殺すことだけは見過ごせない」
俺が……俺の心を、殺そうとしている? そんなことは……あり得るのか? 俺自身が、己の心を殺そうとしているだなんて。
「俺は……ハルカさんのことは好きだよ……でも世間一般では、それは……」
「世間一般とかどうでも良いよ。アキヤさん。あなたがどうしたいかを、私は聞きたいんだ」
そう言われたって、困る。俺は、どうしたら良い?
「ハルカさん……俺は……君のことは好きだ。でも、どうしたら良い? 俺には、それが分からない。どうしても俺には、その一線を越えることができない。どうすれば良いのかが、分からなくて、苦しいのかもしれない」
そのことについて、考えているうちに、なんだか苦しくなってきた。いや、この感覚は、昔から感じていたのかもしれない。俺がそれに、気付かないようにしていたのかも。
ハルカさんは俺の顔をじっと見ていた。何かを、決意するような表情で、戸惑うばかりの俺を見る。
「アキヤさん。苦しいんだよね。だから……これは救助活動。救助活動だから」
救助活動? 訳の分からないことを言い出したハルカさんは、さらに訳の分からないことを言い出す。
「人工呼吸は知ってるよね?」
ハルカさんは素早かった。俺が戸惑っていたからなのもあるけど、自分でも驚くくらい簡単に彼女の不意打ちを許してしまった。
それは、ほんの少しの時間のこと。ハルカさんと俺の唇が触れ合うのが分かった。柔らかい感触があり、抗うことができない。そして錯覚かもしれないが、彼女の温かい息が、俺の中に流れ込んでくる気がした。不思議なことに、俺の中にあった戸惑いが薄れていき、気持ちが楽になっていく。落ち着いていく。
「ごめん。アキヤさんの一線を越えさせてしまった。でも、楽になったと思うんだ。一線なんて、越えてしまえば呆気ないものだよ」
「ハルカさん。君は……」
「私はアキヤさんが一線を越える手伝いをしただけ。ここから先あなたが私の側にいてくれたら、嬉しいけど、アキヤさんが望むならもっと先の線だって越えられるけど、ここから先を、どうするかは、あなたに任せるよ。だって今ので、一呼吸できたでしょ? 余裕ができたはずだ」
ハルカさんが言う通り、感じていたはずの苦しさのようなものが無くなっている。まるで、彼女に吸い取られでもしたように、奇妙な感覚だ。でも悪い気はしない。
「……さ、アキヤさん。そろそろ行こうよ。目的の店は近くだからさ」
ハルカさんが俺の手を引っ張る。俺は彼女に手を引かれるままに立ち上がり、その手はすぐに離れることはなかった。あのキスを境に彼女と手を繋ぐことに抵抗感を覚えなくなってしまったのかもしれない。
それほどまでに、あのキスは衝撃的だった。女の子って凄い。そう思った。




