20.リンドグレーン出発
ラストフォート砦をめぐる、リンドグレーン史上類を見ないほどの大規模な戦闘は、オリエンス軍の敗退で幕を閉じた。
散り散りになったオリエンス軍が撤退して数日後、首都ベルフライからリンドグレーンの正規軍が到着。物資や人員が補給されたことで、ラストフォート砦もやっと落ち着きを取り戻すことができた。
絶望的な戦力差の中、奇跡的にも犠牲者が最低限で済んだ。それはシェリル女王自らによる指揮に加えて、王配ウィルフォードの障壁魔法と、敵軍の隊長を体を張って退けた、アルフレッド、リズら護衛騎士の活躍があったからだ。砦の戦いを生き抜いた兵士たちは応援に駆け付けた味方へ興奮気味に話すのだった。
負傷していない者、ベルフライから応援に駆け付けた兵士たちは、周囲の警戒と敗残兵の掃討を持ち回りで行っている。負傷している者のうち、少しでも体の動く者たちは、急いで砦の修復へと取り掛かっている。
撤退したとは言え、オリエンス軍が次にいつ攻め込んでくるかはわからない。次の戦いに備えて、砦の防衛力を回復しておく必要がある。
そうやって砦内をせわしなく歩き回る兵士たちを横目に、中央広場には巨大な白金色のドラゴンが腰を下ろしていた。今回の戦いの趨勢を決めた、ウィルの使い魔だ。
ドラゴンを物珍しそうに眺めているのは、サイラスだ。
戦闘中は場内へ進入してきたオリエンス軍と戦っていて、砦正面で何が起こったのかを直接見る機会がなかった。大まかにはウィルから話を聞いていたが、まさかあの幼い小竜が突然この巨大なドラゴンに変化したといわれた時には、とても信じられなかった。だが……
「はぁー!これがルクスですか?!ずいぶん大きくなりましたね!おまけになんだか光を発するようになって……ちょっとまぶしいっス」
信じられないが、目の前に実物がいる以上、これがルクスというのは本当なのだろう。成体のドラゴンを見るのは初めてだが、このあふれる威容はまさにあらゆる生物の頂点にふさわしい。
「あとでユーベルさんにも見せてあげたいっスね。」
「そうだね。ユーベルには少し休むように言っておくよ。リズの治療をしてくれた後も、ずっと働きづめだし」
ウィルが答える。
ユーべルは救護班としてけが人の手当てをし続けている。ウィルの障壁があったとはいえ、大規模な攻撃で負傷したものは多い。単なる神官であるユーベルは、一日に癒すことができる兵士が限られている……ことになっているのだ。
「私がユーベルに伝えます。個人的にお礼も言いたいし」
レオとの戦闘で大けがを負ったリズは、兵士たちに砦に運び込まれた後、ユーベルによって治療されていた。本当であれば並の神官では癒すことのできないほどの重症だったのだが、ユーベルが少し本気を出して治療を行った。
周囲からは、護衛騎士の驚異的な回復力によるものだと理解されているようだが。
「それにしても、何で急にこんなに大きくなったんスかね?数日前まで抱えられるくらいだったのに……?」
「ウィル、あの時何があったのでしょうか?」
サイラスと、横にいたシェリル女王もウィルに問いかける。ルクスが巨大化したまさにその場にいたシェリルですら、何が起こったのかわかっていない。
正直ウィルもよくわかっていないのだが、ウィルが口を開く前に、意外なところから返答が返ってきた。ルクスだ。
「……我は主によって強制的に変異させられたのだ。通常ならばドラゴンが成体となるまで、永い年月が必要だ」
ウィルはこれまでを思い返すが、思い当たることが無い。
「僕が?何もしてないと思うけど。ルクスがアルビノで体力が無いっていうから、魔力を与えたくらいで……」
「それだ。成体になるまでに必要な大量の魔力を与えられたために、我はこれほどの短期間で成体となった。……いや、成長させられたと言うべきか」
「でも、それは衰弱していたルクスが心配だったからで……」
ルクスはフン、と鼻を鳴らす。
「人間も、成長するまでに必要な食事を一気に詰め込まれれば具合も悪くなるのではないか?」
なんと、ルクスが弱っていたのは、他でもないウィルの大量の魔力のせいだと言うのだった。
「な、なんだよそれ……」
今までの心配はなんだったんだと、ヘナヘナとその場に座り込んでしまうウィルだった。
さらに数日後。ラストフォート砦のある部屋で、ウィル、リズ、サイラス、ユーベルの四人が集まっていた。オリエンス軍の攻撃によるドタバタも一息ついたところで、これからの予定について話し合うためだ。
「じゃぁ、殿下は一度帝都に戻るんスね」
サイラスがそう言うと、ウィルは頷いた。
「うん。そうするつもり。今回の戦いで僕の魔杖が壊れてしまったから、修復してもらおうと思って。帝都にはアルフレッドもいるだろうしね」
第三皇子ヴェンパーからもらった杖は、制御部分が壊れてしまっている。このままでも使えないことはないが、今回のようなギリギリの戦いでの使用には不安がある。アルフレッドもいない今、装備の補充だけでもしておく必要がある。
「サイラスとユーベルは砦に残っていてくれないか?ルクスがいるとはいえ、まだ負傷者は大勢いる。オリエンス軍が攻めてこないとも限らないし」
そういうウィルに、ユーベルが心配そうに答える。
「殿下は大丈夫なのですか?まだ魔力が戻られていないのでしょう?」
「……」
たしかに、あの激戦からもう何日もたっているというのに、ウィルの魔力はほとんど空っぽのまま戻らない。おそらくポーションを大量に使用したせいなのだろう。ポーションの力で前借りした魔力が、まだ回復しないのだ。
「帝都まではオリエンス軍がいるわけでもないし、危険はないよ」
「私がいますから、大丈夫です」
ユーベルの治癒によってすでに回復したリズが胸を張る。ウィルもリズも、戦いの後にお互いの状況を聞いて驚いた者だ。なにせ二人とも後一歩で死んでいたかもしれないのだ。いくら戦闘といえど、ウィルのそばを離れるわけにはいかないとリズは考えていた。
「まぁ、リズの姉さんがいるなら大丈夫っスかね。ね、ユーベルさん」
楽観的なサイラスに対して、ユーベルは押し黙っている。普段通り神官服のフードを深く被り、表情は見えないが心配しているようだ。
「あの、私も同行させていただいた方が」
「大丈夫、リズもいるし、すぐ帰ってくるよ。ユーベルも砦の負傷者の看護があるだろう?」
「はい。お待ちしています」
落ち着いたとはいえ、まだ救護班としてユーベルは毎日忙しく兵士たちの傷を癒やし続けている。
献身的なその姿に、兵士たちの中は「砦の聖女」などと言い出すものもいるほどだ。まだまだ彼女はこの砦に必要だ。
「シェリル女王に挨拶したら出発するよ。すぐ帰ってくるから」
そういって、ウィルとリズは翌日には帝都に向けラストフォートを出立した。
「ルクス、使い魔がご主人様についていかなくて良いのですか?」
淡く光を発する鱗に覆われた背中にしがみついている少女、シェリル・リンドグレーンが尋ねる。目線を前に向けると、草木が点々と生えている平野が広がっている。遥か下にはラストフォート砦が見える。
ウィルが帝都に戻ると言って出発する際、シェリルを守るためといってウィルはルクスを砦に残していった。オリエンス軍の本体は瓦解して撤退したが、そこから脱落した一部の兵士が散発的に砦へ攻撃を加えたり、周囲の村へ略奪に現れたりしている。
シェリルはーー正確には、シェリルを背にのせたルクスだがーーは、そう言った残党を上空から見つけては、ブレスで薙ぎ払うようになった。
「主人の命はそなたを守ることだ。我は使い魔として主人の命令に従っているにすぎない」
早馬よりも早いスピードで上空を飛んでいるはずのルクスの背中だが、ルクスの声ははっきりと聞こえる。それどころか、強烈に吹き付けるはずの風もおだやかで、まるで草原にのんびりと座っているようだ。これもおそらくルクスの魔法的な力によるのだろう。
シェリルは毎日一度はこうしてルクスの背中に乗って周囲を警戒している。ルクスはウィルとシェリル以外を自分の背に乗せようとはしなかったからだ。
こうして今でもリンドグレーンのために力を使ってくれる使い魔と、その主人であるウィルに、シェリルは改めて感謝の念を抱く。
「ありがとうございます。ルクス」
「……礼には及ばない」
自然とルクスと話す機会が増えたシェリルは、段々とこのドラゴンが何を考えているのか、感じ取れるようになった気がしている。
今の沈黙は、おそらく照れているのだ。ルクスはドラゴンだけあって話し方は尊大だが、傲慢というわけではない。むしろウィルに似て義理堅い性格をしているようだ。いまだに好物のクッキーの礼だといって、こうして一緒に空を飛んでくれる。
「それに」
「……?」
「シェリルは我が幼竜のころ、魔力を与えてくれた」
たしかに、リズと一度だけ、ルクスに魔力を与えたことがある。少しでもウィルの助けになればと。そのことを言っているのだろうか。
「だから、部分的には、我の主人とも言えるだろう」
「ふふっ。そうですか。では、これからもよろしくお願いしますね」
その後、オリエンス軍は何度もラストフォートへ侵攻したが、女王シェリルを背に乗せたドラゴンによってなすすべなく撃退された。
惨敗を繰り返すうち、ついにオリエンス軍はラストフォートへ攻め込むことを諦めたようだった。
白く輝くドラゴンは、ラストフォート砦の、そしてリンドグレーン王国の象徴となった。
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